盛夏のSummer vacation(里見×悠人) アスファルトから昇ってくる熱で、その日は何処を眺めてもゆらゆらと蜃気楼のように揺れ、空気は埃っぽい濁りをたたえていた。 じっとりと漂うそんな空気の中を一瞬の風が吹き抜け、次の瞬間には一台の車が立派な純和風家屋の門の前に止まった。 真夏の暑さを全く感じさせない艶のある漆黒のボディは、脇を通る歩行者に容赦なく夏の太陽を反射させる。だが、そんなものは中にいる人間たちの知るところではないし、そんなことを気にする歩行者もあまりいないだろう。 ただおかしなことに、止まったはいいが、一向に人が降りてくる気配がない。 しかし、それも仕方のないことだった。 クーラーの効いた車内では、呆れて物も言えないような言い合いがされているのだから。 「悠人、俺は車から降りたくない」 「何言ってるんですか。貴方のしでかしたことの謝罪のために、今日ここにいるんでしょう。貴方が謝らなくて誰が謝ると言うんです」 「代わりに謝ってきてくれ」 「いい加減にしないと、殴りますよ」 柳眉を吊り上げて利き手で拳を握った悠人は、助手席でやる気もなく背もたれに体を預けたまま指一本動かす様子もない里見を、いつものように怒鳴っていた。 「私だって、せっかくの休日に、仕事でもないのに貴方と一緒に出掛けるなんて、はっきり言って嫌なんです。けれど貴方がわがままを言うから、仕方なくついて来て差し上げたんじゃないですか。男なら、自分のけじめくらい自分でつけたらどうですか」 「けじめとか、今時流行らない」 「何女子高校生みたいなこと言ってるんです。それでも貴方は大人ですか、社会人ですか、社長ですか!」 「そうです」 「バカ正直に頷く人がいますかっ」 「あんまり怒鳴ると、高血圧で早死にするぞ」 「誰のせいですか。だ、れ、の」 「……痛い」 さすがに人と会う前に痣をつけるのは躊躇われたため、悠人は拳を解いて駄々っ子のような里見の頬をこれでもかと抓り、捻った。 悠人なりに気遣ったつもりだろうが、それでも気の済むまで抓られた里見の頬は、平手打ちをもらった時のように赤くなった。 「さぁ、とっとと謝って、私に休日を下さい。職務外手当ての上乗せを要求しますよ」 「悠人ならいくらでもやる」 「そういう問題じゃないでしょう。……ほら、お菓子持ってください」 後部座席に置いてあった大きいサイズの紙袋を取って里見に押し付けた。紙袋には高級和菓子メーカーのロゴマークが入っている。 「俺が暑さに弱いの、知ってるだろ?」 「暑さなんて、たった数分外に出るだけですよ。それくらい我慢してください」 「仕事以外だから嫌」 「嫌とか言わない。自業自得です」 何だコレは。本当に大人なのか。理人よりも聞き分けが悪い。何でこんな奴が経営している会社が潰れないのか不思議で仕方ない。 里見が暑いのが嫌いなのは、悠人もよく知っていた。 夏、日差しの出ている間は決して外には出たがらない里見は、部屋の中でクーラーをガンガンに効かせて、長袖シャツとジーパンで過ごしている。 不健康だからやめろ、と言っても里見は全く聞く耳を持たない。 自分の生活のスタイルには誰にも干渉されたくないのか、それを言うと機嫌が悪くなるために、ここ最近は悠人もあまりうるさくは言わなかったのだが。 唇を尖らせて、クーラーの止まった車内で早くも汗を浮かべている里見に、今回ばかりはうんざりしていた。 元はと言えば、里見が悠人の弟である理人を強引に攫って性交を強要したせいなのだ。 もちろん本当のことを里見の父親に話せるはずもなく、しかもそのすぐ後に色々とあったせいで、悠人自身も言及する気力がなくなったため、とにかくけじめだけはつけなければと、菓子折りを持って理人の恋人である宮村の家を訪ねることにした。 理人自身も数ヶ月前からそこで暮らしているため、悠人の方は理人の様子見も兼ねている。 というのも、里見の一件の際に、理人をちゃんと守ってやれなかった宮村に対して怒った悠人が理人を連れ帰ろうとした時に、何も知らない兄貴にどうこう言われる筋合いはない、と強い口調で拒まれたためだ。 仕事以外は全く駄目な里見のお守をしていることもあって、宮村家にはなかなか様子を見に行く機会がなく、しかも兄弟をやっていて初めて反抗された悠人は海よりも深く傷つきながらも、やはり理人を心配していた。 それはもう「習慣」として身についているので、理人が拒もうと拒むまいと仕方のないことだった。 理人が……あんなに可愛かった理人が……っ、と。 思い出すのも辛い、兄離れ宣言。 いつかは来ると思ってはいたが、それでも実際そうなってみると寂しいやら悲しいやらで、しばらくは溜め息の耐えない日が続いた。 直後に何があったかなど思い出したくない気持ちも相俟って、気分は奈落の底にまで落ち込み、両親にまで心配されたほど。 自分にとって都合の悪い部分をなるべく遠ざけようとするのは人間として仕方のないことであるし、どんなにブラコンでも基本的な部分は普通の人間と変わらない悠人はとにかく忘れようと努力した。 それなのに、すぐ隣にいる男が、それ以来頻繁に悠人にちょっかいをかけるようになったせいで余計に心労が圧し掛かる一方。 そんなわけで、悠人はこの謝罪を終えてからとっとと帰宅して、里見の顔を見ないで済む休日を存分に満喫する予定でいた。 ぐだぐだとして貴重な時間を無駄にしたくない。 それに悠人は、元々ぐだぐだした人間が嫌いだった。 わがままを言っても許してやれるのは最愛の弟だけ。 だから里見は嫌い。 それだけじゃなくても里見だけは嫌い。 でもこれは仕事だから仕方ない。 頼まれごとだから仕方ない、と割り切っているからこそ、わざわざ保育士のような役を引き受けているのだ。 だが、里見がそれを理解していないところに一番の問題があった。 考えるだけでも呪詛を吐きたくなるような現状を、里見の顔を見るたびに思い出すために、悠人の顔からは情が消えた。それも里見はへっちゃらなようで、「嫌」とありありとわかる目で悠人を見つめ返していた。 当たり前の話だが、悠人は普通の人間だ。 決してお人好しでも、温厚な性格でもない。 もちろん、沸点と言うものも存在する。 「……いい加減に―――」 しろ、と身分を考えずに怒鳴ろうとしたとき、里見が「あ」と口を開いた。 そして悠人の一番苦手とする笑みを浮かべる。 こういう時の里見は、大抵ろくなことを考えていないことを、悠人は経験上よく理解していた。 「悠人がこの後、デートしてくれるっていうなら、とっとと行く」 「……っ」 このセクハラ上司ッ。いや、パワハラか? とにかく、休日まで平日みたいなことを言うな。 ……いや、むしろ平日の方こそ謹んでもらいたい。 平日は悠人以外の人間もいる場所で、平気で食事だデートだと言いながら、勤務中に押し倒そうとまでしてくる。非常識極まりない、というか、世間体というものを気にしてもらいたい。 あんたは大企業の社長っ。しかも顔がいいからCMにまで起用されているんだぞッ! そんな顔良し頭良し金持ち若手社長が実はホモだなんて、メディアに取り上げられでもしたらどうしてくれるっ。俺は職場の人間として、同僚や会長であるあんたの父親に顔向けできないっ! 悠人は溜め息をついて、天下の宝刀を持ち出す。 「会長に連絡して、ボディーガードに無理やり引っ張ってもらいますよ」 「それは嫌だ。あいつらがいるだけで涼しい部屋も熱帯のジャングルのようにむさ苦しい」 「じゃあ、嫌嫌言ってないで自分で動いてください。それに宮村ジンとは元同級生という間柄以前に、貴方の……あまり表に出したくない仕事の相手でしょう。謝罪するのも仕事の一つです。ソファにふんぞり返って、札束の勘定ばかりしているだけが仕事じゃないんですよ」 「悠人、それはちょっと言いすぎ」 「貴方がそこまで言わせているんでしょうが。行きますよ」 俺はそこまで偉そうにしていない、と里見は不満の色を浮かべるが、腹が底冷えするほどの冷たい一瞥を容赦なく浴びせる悠人には敵わず、暑いの本当に駄目なんだよ……とぶつぶつ言いながらシートベルトを渋々外した。 ドアを開けて、押し寄せる真夏のもわっとした空気が肌に触れた瞬間に里見は露骨に眉を顰めたが、そのすぐ傍で涼しげな表情のまま「出てこい」と言うかのように仁王立ちした悠人に、仕方なく重い腰を上げた。 「あーちー……」 「まだ車から出て一分も経ってませんよ」 「暑いもんは暑い。夜だったらまだマシだったのに」 「生憎と、今夜は両親と食事の予定があるので」 「知ってる。悠人が空いてるのは昼間だけだったから、仕方なくそうした」 「『私』が、仕方なくついて来ているのだということをお忘れなく」 とことん自分中心な里見に自分の苦労など理解はできないだろうと思いつつも、几帳面できっちりしいな悠人は聞き捨てならずに訂正し、威風堂々と構える年季の入った門の脇にあるカメラ付きインターホンのボタンを押した。 『はい』 「理人の兄の東悠人です。先日の件で話があるのですが、宮村ジンさんはご在宅でしょうか」 顔は見えないが、宮村以外の人間だということは悠人にもわかった。おそらく、下っ端の人間だろうと踏んで、最初から宮村を呼ぶ。 『お話は伺っております。少々お待ちいただけますか』 「はい」 ヤクザの家の人間にしては、言葉遣いが正しいだけでなく、口調も柔らかで耳に心地よい。 そんな人間もいるものなのか、と思っていると、インターホンのすぐ隣にある小さな扉のロックが解除された。 『中へどうぞ。玄関の戸も開いておりますので、入ってお待ち下さい』 「ありがとうございます」 ここまで、里見はノータッチ。 普通挨拶をするのは貴方の役目、と小言を言いながら、しかめっ面をしている里見を門の中へと促す。 敷地内へ入ると、まず目に飛び込んでくる日本家屋は、思わず口を開けてしまうほど大きく、どっしりとその場に構えながらも周囲の景観に自然に溶け込んでいた。 門から玄関までは人が三人ほど通れる広さの道が作られ、両脇は手入れの行き届いた庭園が広がっている。立派な屋敷が自然にそこに在るように思えるのも、この和風庭園の効果なのだろう。 「……へぇ」 外からは高い塀に囲まれていてわからなかったが、全貌を露にした美しい庭園に、元々和の趣のあるものに目がない悠人はしばし見惚れた。 いいなぁ。こんなに広くなくてもいいから、自分の家を買う時は見ていて落ち着けるような和風の庭が欲しい。 だが家を建てるのは結婚をしてから、と決めていた悠人は、まず最初に転職をする必要があることを思い出す。 何せ、里見は昼夜を問わず場所を問わず、毎日のように悠人を連れ出そうとするし、こうして休日に呼び出されることも少なくない。セクハラなんて、数えていたらキリがないほどされている。 里見の『男も女も、気に入った人間なら問題なし』と豪語するその無節操ぶりを知っている社内の一部の人間の間では、実は悠人も同性愛者ではないのか、という根も葉もない噂がまことしやかに囁かれているのだ。 この男のせいで……と、すたすたと何の感慨もなく歩く里見の背中を軽く睨み付け、湧いてくる怒りを押さえ込むために、考えても無駄だと言い聞かせてから、すぐ小走りに後を追った。 炎天下で暑さに弱い里見は、周囲の景観など気にしていられるほどの余裕がないのだろう。悠人と違い、仕事で立ち寄る里見には、今更な光景なのかもしれないが。 ガラッと戸を開けると涼しい空気がそっと流れ出し、里見は「あー涼し……」と中学生のような仕草で綺麗に磨かれた床の上にどさっと座り込んだ。 「人様の家で大人がすることではありませんよ」 「待たせているのは向こう。この暑いのに、少しくらい悠人も大目に見てくれてもいいだろう」 「私は貴方と違って、常識を持った普通の大人なので、そういうだらしないことは大目には見ません。プライベートでも同じです」 「相変わらず手厳しいのな」 「普通でしょう」 いやいや、普通にそこまで厳しく言う人いないから。プライベートまでそんな風に言われてたら、気が張って仕方ないから。 里見は言おうとして、また不毛な言い合いが続くだけだと、すぐに口を閉じて汗を拭った。 よくこの暑いのにそんな涼しい顔をしていられる、と無言で玄関を見渡している悠人を盗み見た里見は、実は悠人もそれなりに暑いと思っているのだと気付く。 仕事中はきっちり留められているボタンも、プライベートということもあって一番上のボタンは開いているし、襟足まで伸びた髪の先が汗で喉元に少し貼り付いていた。 ……あー。 「……ムラっとくる」 「はい?」 「いや、何でもない」 ぼそりと呟くと、悠人が怪訝な顔をして反応した。言えば何を言ってくるのか簡単に想像がつくため、里見はそれ以上何も言わず、ここにいる目的も忘れて悠人のことを考える。 今悠人の首筋を舐めたら、きっと汗で少ししょっぱいに違いない。本人は認めていないが悠人は敏感な方だから、猫が毛を立てるみたいに、それだけで全身が粟立つだろうな。あれ以来悠人の肌に直接触れていないから、まだ悠人が何処を触られれば一番感じるのか、よくわからない。乳首が弱いことくらいしか……。脇は? 臍は? それとも内股あたりか? どれも試してみたい。 ストイックで常に張り詰めた弦のような鋭利さをたたえる悠人を、正体を失くすほど乱れさせたらどうなるのかとても興味がある。 「……っ、何ですか?」 何やらただならぬ気を感じた悠人は、里見を見る。相変わらず立ち上がる気力もないようにしか見えないが、視線はジッと悠人を向いていて、唐突に一抹の不安が頭を過ぎった。 「んー……何でも」 にっこりと笑って答えた里見は、頬が緩んで思わず引いてしまいそうになるくらいの桃色オーラが何故か漂っている。 「だったら、意味もなく変な顔をしないで下さい。頬が緩むとだらしなく見えます」 「それは悪かった」 全く、何を考えているのやら。 こちらとしてはあまり考えたくないことを考えていそうな顔だった。明らかに。 フン、と悠人が小さく息をついたとき、小走りにこちらの方へ近づいてくる一人分の足音が聞こえた。 慌てて里見を立ち上がらせたのと同時に顔を見せたのは、背筋の伸びた短髪の三十代半ばの男だった。この猛暑の中、スーツを着込み、ネクタイまできっちりと締めている。 「申し訳ありません。お待たせしてしまって」 「いえ、お構いなく。この度は大変なご迷惑をおかけして、こちらの方こそ、申し訳ございません。それで……」 宮村は、と言おうとした悠人を遮って、男は簡潔に状況を説明した。 「組長ですが、今ちょっと手が離せないようで、三十分ほど待っていただくようにと申しておりましたが、どうなさいますか」 「じゃあそれまで理人に会わせて貰えますか。宮村さんが来るまで待ちますので」 「それが理人さんも課題の途中とかで手が離せないそうです。ひと段落したら応接間に来るようにお伝えしておきました。とにかく、応接間へどうぞ」 にこりと穏やかな笑みを浮かべるこの男は本当に極道の人間なのかと疑いながらも、カジュアルシューズを脱いで上がると、床がひやりとしていて足に心地よく、悠人は思わずふぅ、と息をついた。 見た目はそれこそヤクザにふさわしい体躯だが、顔つきはその辺で保育士でもしていそうな男の後ろについて、室内へと案内される。庭が見渡せる廊下を少し進んだところで、雪見障子の和室へと通された。 冷房が些か効きすぎていたのと、元々汗を少しかいていたこともあって、軽く鳥肌が立つ。少しだけ身を震わせた悠人も、すぐに冷房に馴染んだ。 お茶を取に行くと言って男はすぐに部屋を離れた。目の前に用意されていた座布団の上に悠人は正座、里見は胡坐をかいて座る。 雪見障子の薄いガラスの部分から見える庭に、悠人はもっと見てみたい、という衝動に駆られた。こんなところに暑さにへばって幼児化しているどうしようもない無節操男と一緒にいて、いまいち通じ合わない会話をしているよりは、暑くても外で庭を見て回った方が今の悠人にはよっぽどよかったというのもあるのだろう。 数分ほどで先ほどの男が戻ってきて、木製の座卓に冷えた緑茶を慣れた手つきで置いた。 「あの……庭を、少し拝見させていただいてもよろしいでしょうか」 その言葉に里見が反応したが、悠人は無視をして、その立派な体躯にとても似合わない盆を抱えた男に向き直った。 「えぇ、どうぞ。……面会の仕度ができましたら、お呼びいたしますので。ただ他の部屋にはくれぐれも入らないようにお願いします」 快く承諾してくれた男に礼を言い、「貴方はここで寛いでいてください」と里見に言って早速外に出るために立ち上がった。 「悠人」 「この炎天下、貴方に外に出られたら、逆に厄介なだけです。すぐに戻ります」 傍にいろ、と目で訴える里見をあしらって、悠人は部屋を出ると、小気味のいい音を立てて障子を閉めた。 靴を履きなおして外に出ると、またも熱気が悠人の全身を包み、昼前の陽光が悠人の全身を照らしてくっきりと影を作る。 目の上に手を当てて、少しばかり恨みがましく太陽を見上げてから、すぐに顔を元の位置に戻して庭を散策し始めた。 低木や植え込みは、種類は違えども、一様に葉を緑色に染め上げ、太陽の光を通して明るい清潔感を漂わせながら日本の夏を彩っている。すぐ近くでは、蝉の鳴き声が真夏の陽気を高らかに歌い上げていた。 白玉砂利に囲まれた飛石によって奥へと誘われると、筧を流れる微かな水の流れが静かに耳に入り込み、カコン、と竹が薄く濡れた石を叩く音が響く。その向こうは塀になっていたが、敷地内の奥にも庭は続いているらしく、飛石は屋敷の端で右にゆったりとした弧を描いて視界から消えていた。どうやら、屋敷をぐるりと囲むような形で庭が作られているらしい。 悠人は何の躊躇いもなく飛石の上をゆっくりと歩いて進んだ。 今度は少し狭くなっていて、飛石の周りに先ほどと同じ砂利が敷き詰められているだけだったが、突き当りには唸らずにはいられないほどの立派な樹木が聳え、広がった枝の先から茂る葉によって、大きな木陰が生み出されていた。 足早にその大木の根本までやってくると、そこに在るだけで威圧感を覚えてしまうほどの堂々たる貫禄を持った佇まいに、悠人は感嘆の息を洩らす。 あのダメ社長にも、これくらいの雰囲気を常にまとっていて欲しい。 これは逆に引っ張って連れてきた方がためになったかもしれない、と思いつつ、木陰を吹き抜ける風の心地よさに軽く目を閉じた。 ざわざわと葉同士が擦れ合い、ささくれ立った心でさえも穏やかな気持ちにさせてしまえるような音色を奏でる。それはどんな音楽よりも悠人の心を癒した。 このまま寝てしまいたい……とさえ思ったが、実際こんなところで寝転げていては、里見に示しがつかないし、それ以前に人様の家に謝りに来て醜態を曝すなんて非常識はとてもできたことではない。 二、三分ほど木に寄りかかって涼み、そろそろ行こうかと目を開けた時、風に乗って微かに人の声が聞こえてきた。 ―――理人? それだけで理人だと直感したのは、偏(ひとえ)に悠人の理人に対する兄弟愛の……まぁ平たく言うと過剰なブラコンの為せる技というべきだろう。とにかく悠人はそれが理人のものだと確信し、声のする方へ足を向けた。 いつもなら走っていくであろう悠人も、最後の別れ方が気まずかっただけに、今会っても何から話していいのかわからないというのが正直なところで、歩調は逸る気持ちに反比例して慎重になっていた。 砂利を踏まないように飛石の上を足音一つ立てずに歩く悠人は、一見不審者のようである。しかし、悠人本人は見た目など気にする余裕もなく、会って何から話すのかと、そればかりをぐるぐると考えていた。 屋敷の壁伝いに進み、また広く庭のスペースがとられた部分をそっと覗いてみた悠人は、それを見た瞬間に固まった。 「……っ!」 そこはこじんまりとした広場のようなスペースに大きめの池と灯篭があり、縁側が設けられていた。その縁側で二人の男が抱き合っていたのだ。 しかもそこから聞こえてくる小さな声は、確かに理人と宮村のものだった。 七分のズボンから素足を曝して仰向けになっている理人に、上から宮村がのしかかっている体勢に加え、宮村の片手は理人の下肢にあてがわれている。小さく喘いでビクリと体を震わせるところを見ただけで、今まさに事の最中であることがわかる。 悠人の立つ場所からでは理人たちの声はぼそぼそとしか聞き取れず、何を言っているのか見当もつかなかったが、恋人たちが甘い睦言を囁きあっているようにしか見えない。 わ、わ、わ、何コレ。え、ちょ、見たくない光景が目の前に……っ。あぁ、理人、あ、何して……! 理人が自ら、のしかかる宮村に顔を寄せた。キスをするのだと思った悠人は、理人が宮村の舌を舐めるのを見て、何故かザワリと肌が粟立った。 猫が毛繕いをするように、頭を少しだけ動かしながら舌同士を擦り合わせている二人を見ていたくないと思うのに、悠人の足はその場に貼り付いて動かない。 どこか既視感を覚える光景に、悠人の脳裏で過去の忌まわしい記憶が鮮明な映像となって流れ出した。それは一瞬で悠人の体の自由を奪い、心を縛りつける。 大学二年の夏の終わりに、サークルの合宿で悠人は里見の手によって、内に潜む欲望の存在を覚えさせられた。 それを悠人は必死になって忘れようとしていた。 だってそれは。 たった一度きりの過ち。 あの時、悠人は男に……里見に身を許してしまいたいと、自らの欲に負け、常軌を逸脱した行為に翻弄されたいと思ってしまった。 それがたとえ一瞬であっても、実際にそうはならなかったとしても、悠人にとってはこれ以上ないほどの醜態を曝した過去の汚点だった。 「……ぁ」 無意識に洩れた声に震える手で悠人は口を覆う。 嫌だ、嫌だ、嫌だ。 あんなのは、間違っている。 心臓の鼓動が大きく波打ち、早鐘を打つ。体の奥で、季節から来る暑さとは別物の熱がちりちりと滲み出してくるのに耐え切れず、悠人は後ずさり、妖しく舌を交わす二人を視界から追い出してすぐ脇の壁に凭れ掛かった。 「悠人」 「っ、んぅう……っ」 突然後ろから声をかけられ、思わず声を上げそうになった悠人は、里見が回した手によって元々口を覆っていた手ごと押さえつけられる。 「し。……そこにいる二人に、覗きをしていたなんて、知られたくないだろう?」 里見が小声で喋ると、熱烈に交わる二人との距離がそう離れていないということを認識させられる。 顔を赤くする悠人に、里見はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。 「…………ッ」 不可抗力とはいえ、悠人が理人と宮村の情事を見ていたことは事実である。 二人に知られる以上に、里見に弱みを握られたということが、悠人を最悪の状況に追い込んでいた。 「悠人にそんな趣味があったなんてね。見た目に反して、実は結構な変態なんだ」 耳元で里見がわざとらしく詰る。そんな理不尽な物言いに、耳にかかる息に体を震わせながらも悠人は激しく頭を左右に振った。 「じゃあ、コレは一体何?」 「……っ、ぁ……!?」 封じられた口から洩れ出した声は、悠人が思う以上に艶の混じったものだった。 な、んで……。 理由は悠人にもわからない。ただ里見にぐい、と触れられたその部分は僅かだが確かに反応していた。 「ち、がう……」 「ふぅん。じゃあ何で、こんな風になってるんだ?」 「あ、っ…ぅ…んんっ」 カジュアルパンツの上からぐりぐりと強めに局部を押され、悠人は声を上げまいと唇を噛んだ。 触れるだけでなく、より確かな刺激を与えられて、恋人もいない割に、普段からあまり自慰をしない悠人の体は、他人から与えられる慣れない快感に震える。 「弟が自分と同じようにここを刺激されながら服従させられる様(さま)に、悠人は何を思ったのか、是非とも聞かせて欲しい」 なおも里見は悠人を貶める言葉を囁く。 悠人は何も答えない。 顔を赤く染め、声が洩れないように唇を噛み、口元をも押さえながら、否定の言葉を紡ぐ余裕もなく首を左右に振るだけだ。 「じゃあ、どうしてこうなった? 理由くらい、自分でもわかってるんだろう?」 それにも悠人は頭を横に振って答えるだけだった。 そんなのわからない、と悠人は言いたかったが、里見の手が布の上から刺激を与え続けているせいで、少しでも油断をしたら、必要のない声も洩れそうだった。 「……昔のこと、覚えてるか?」 「……!!」 唐突に核心を突かれ、悠人は目を見開いた。 「あの時の悠人も、こんな風に、感じているのに何を問うても口を閉ざした。それは口を開けたら悠人にとって良くないことを言いそうになるからだ。今と同じように」 里見は「隠しても無駄だよ」と口の端を少しだけ吊り上げて、悪辣に笑った。悠人を見る二つの瞳は心の中を見透かすかのように鋭く光り、捕らえた獲物は決して放さない獅子を彷彿させながら、ただジッと悠人だけを見つめていた。 「…………っ」 「でも悠人は、絶対にそれを言わない。強情なのは今も、昔も相変わらず」 そう言いながら、里見は悠人のベルトを外し、パンツの前を寛げると、下着に小さなシミをつくって勃ち上がっている悠人のものを直に触れてきた。 そこまでされるとは思いもしていなかった悠人はとっさに阻止することができず、抵抗しようとした瞬間に、先端を指の腹で擦られて背中を反らせた。 「んんっ……! ぅっく、ぁ……っ」 唇から洩れそうになる嬌声を押し殺し、直接的に与えられる刺激に耐える。禁欲的で真面目な顔は、今や快楽に溺れて朱に染まり、苦悩に歪められている。それが里見の劣情を煽り、嗜虐的な欲望を生んだ。 「すごい、もうこんなにべとべとだ。触るたびに濡れた音がするの、そろそろわかってくる頃だろう。ほら、こうやって……」 「んっ……ぅんんん……ッ!」 「先端のところをちょっと強く擦ってやるだけで、いやらしい液が溢れてくる。ここが一体どこなのか、わかってるのか?」 ここは人様の家の立派な庭の片隅で、真昼間。しかもここへは謝罪のために訪ねてきているのだ。 それなのに、今悠人は呼吸を乱し、頬を染めて、口にするのも躊躇われるような場所を忌むべき相手に刺激されてどうしようもなく感じている。 その事で羞恥心と背徳感を煽られ、悠人はぎゅっと目を閉じた。 やめてくれ、と仕草で訴える悠人に里見はさらに続けた。 「悠人が感じる場所が他にもあることを俺は知ってる。ここを、弄られるのも弱いんだよな」 知らずのうちに硬くなっていた胸の突起をシャツの上からもう片方の手でくりくりと捏ねられて、たまらずに悠人は顎をのけぞらせた。里見は汗ばんだ白い肌にすかさず噛み付いて、紅い花びらを散らしていく。 とぷ、と先端からさらに濃度の増した先走りが染み出し、里見の手を汚していく。 「……っ、ぁぅっく……やっ」 「嫌、ね。こっちを弄った途端に先から蜜をたくさん溢れさせたのは悠人だろう? もう少し素直になったらどうだ」 「だ、れが……ッ」 そこでやっと悠人はまともに口を開いたが、それ以上言うことができずに、里見を睨みつけた。 だからね、そんな顔しても意味ないから。可愛くて、もっとめちゃくちゃにしてやりたくなるだけだから。 里見はその視線を余裕の笑みで返し、既にシャツの上からでも隆起しているのがわかるほどに硬くなった乳首を唇で挟む。 「っあ、ぅ……んん」 一瞬の悲鳴を手の中に押し込めて、身を弄る男が与える望まぬ快楽をやり過ごそうとする。しかし悠人の体は心を裏切り、更なる刺激を求めて微かに揺れる。 「どうかした?」 どうかしたもクソもあるか。早く手を離せ。 言いたいが敏感な部分を責められたまま訊ねられては、口も開けない。 すると里見は、悠人の心情を察したかのようにスッと悠人から体を離した。 「そんなにやめて欲しいならやめるよ。悠人は相変わらず素直じゃないからつまらないし。もうそろそろさっきの人が呼びに来る頃だろうしな」 里見が心にもないことを言って突き放すと、快感と羞恥心で赤く染まっていた悠人の顔がスッと青くなる。 「……っ!?」 「でも、それをどうにかするにはまずトイレの場所を聞かなきゃな? 前を膨らませて、シャツを乳首で押し上げたまま、冷静な顔で聞けばいい。きっと気付かない振りをしてくれる。大人だからな。それが組長の恋人の兄だとしても、そういう風に乱せる人間が俺以外に考えられなかったとしても、黙っててくれるよ」 「……っ、貴方は……どこまで最低なんですか……!」 「心外だな。悠人がやめて欲しいって目で訴えるから、やめてあげたのに。悠人の方こそ、我侭だ」 「そんな……」 本当はそんなことはないのだが、すっかり里見のペースで翻弄されてしまっている悠人は弱々しく呟いて、どうしていいかわからなくなってしまう。 「悠人は、それをどうするのかな」 「っ……うるさい……!」 頼る相手が里見しかいないことを知っていて、わざとそうさせているのだと、そこでやっと悠人は気付いたが、気付いたところでどうにもならない。 「ここで自分で処理するのも構わないけど。見ていて面白そうだし。庭師が、砂利や飛石に付いた白いものが一体何なのかなんて、気付くはずもないからな。何も知らずに処分してくれる。服が汚れても、少しくらいならお茶を零したとでも言い訳できる」 俺はここで拝ませてもらうよ、と里見は当たり前のことのように言った。もちろん、悠人がそんなことをできないのも承知の上で。 「早くしないと、探しに来るかもしれないよ。そんな状態でいるところなんて、見られたくないだろう?」 「……貴方は、私に何をさせようと言うんですか」 「何も。ただ悠人が望むなら『隠蔽工作』に付き合ってあげてもいいか、って思ってるだけ」 人一倍真面目で、自覚なしにプライドの高いことを知っていて、あくまで悠人の口から言葉を紡がせようとしている。それを理解した悠人は、敬語も忘れて低く唸った。 「……誰が、あんたなんか頼るもんか」 「なら、その格好でいればいい。もっとも、その下着は使い物にならないだろうけどな。悠人がだらしなく垂れ流した液で、大分濡れてるみたいだ。下着を脱いで元通りにしても、今度はそのパンツに染みができるだろうな。幼稚園児のおもらしみたいに」 「っ、ふざけるな……ッ」 「その格好でいるっていうのは、そういうことだ。……仮に染みができなかったとしても、勃起したまま人と会うなんて恥ずかしいこと、悠人には耐えられないよな? だらしないのが嫌いで、男にこうやって弄ばれて感じるのも、全部相手のせい。自分はちゃんとしているから悪くないって、悠人を知らない人間がそこまで理解してくれるとは思えないけど」 熱の集中した下肢に一瞬だけ視線を走らせる大柄な男の様子を思い浮かべる。頭の中で何を考えているのか、想像しただけでも悠人はいたたまれなくなって首を左右に振った。 「……嫌だっ」 「悠人が拒むなら、それも仕方がないんだよ。嫌だと言っても、それは悠人の選んだやり方だし、俺のせいじゃない。悠人が自分で招いた事だ」 「違うっ……やめろ…!」 「違わないね。悠人は、人の家で他人の情事を覗き見するだけじゃなくて、自分自身までいやらしく勃起させて先走りを溢れさせるような変態なんだ」 里見は次々と悠人を貶めるように淡々と述べた。耳に入り込んでくるその事実が、悠人の体から徐々に力を奪っていく。 「やっ……そ、な…じゃ…っ」 俯いて力なく首を横に振って否定し続けるが、その声からはいつもの冷静さも覇気も完全に失われていた。 「そうじゃないなら、何でここまで言われても、まだ勃ったままなんだ?」 「……っれは……」 悠人自身にも理由がわからず、未だに熱を失わないその箇所を見やって、その光景のあまりの淫猥さに耐え切れずに目を逸らした。 人間の欲望の淫らさを知り、そして自らの内にも同じものがあることを理解して絶望する純潔な天使のようだと里見は思った。 もっと汚してみたい。気が狂うほどに乱れさせて、視界の中に自分ひとりしか入らないほどに溺れさせてみたい。飛び立つことがないように羽を全て毟り取って、鎖で繋いで、誰の目にも曝さないようにどこかへ閉じ込めてしまいたい。 虚ろな目をして、天井から伸びる鎖で腕を吊るされ、地上に堕とされた天使は、それでも悲しい色をした儚げな燐光を放つ。絶望の中で全ての希望を絶たれ、抗うことをやめて、天使は哀しげに微笑みながら汚れた欲望をその身に享受する。 あまりに現実離れした残酷な光景だというのに、それは限りなく里見の嗜虐心を煽る。 そして里見は、顔を背ける悠人の耳元で悪魔のように囁いた。ゆっくりと、悠人の耳に植えつけるように。 「悠人、『お願い』してみな。今この状況を、悠人の望むように解釈できるのは俺だけしかいない。誰にも気付かれないように処理できるのもな」 「……っ」 「悠人がどんなに声を上げても、信じられないくらい淫らに腰を振っても、いやらしい蜜を溢れさせても、全て俺のせいにすればいい。だから悠人は何も悪くないし、俺も悪いとは思わない。悠人は誰にも咎められることなく、自分を「純潔」だと主張できる」 初めから悠人を悪いと判断させる要素など何もないのだが、今の悠人からは「馬鹿馬鹿しい」と言えるような冷静な判断力が失われていた。 今の悠人が縋れるのは里見のその言葉だけだった。 「……お、願い…します……」 「何を、お願いするんだ? 悠人は。ちゃんと言わないとわからない」 「……っ」 お願い、と頼むのにも精一杯だった悠人は、その先が中々言えずに、潤んだ瞳で里見を見つめた。 しかし乞うような視線を向けても、里見は何も言わず「続きは?」と言って、口角を上げるだけだった。 冷静な判断力は失われていても人並みの羞恥を感じている悠人は、とてもじゃないが里見が言わせようとしているような淫らな台詞を口にすることができなかった。だが里見はそれ以上助けてくれる様子もない。 悠人は里見の手を掴んで硬くそそり立つ箇所に押し付けた。 「コレ……っ、何とかして下さい……ッ……は、やく……!」 予想外の行動に里見は目を瞠り、顔を真っ赤にして、震えながらも手を離さない悠人にふっと笑った。 「仕方ないな。……後ろの壁に背中つけな。足も広げて」 悠人が言われた通りにすると、里見は手を離し、悠人の足の間に跪いた。 「……? …っ、ぁあっ、ァ…!」 一瞬何をするのかわからなかった悠人も、里見が躊躇いもなくそれに口を寄せ、根本から先端にかけて舌を滑らせた途端に走った感覚に声を抑えることも忘れ、艶声をその場に響かせる。 「……声、抑えなくていいのか」 「ッ……ぁ、ぅンン……っ」 指摘はするが、悠人がだらりと力を抜いていた手を慌てて口に持ってくる間も、里見は絶えることなく舌を這わせる。 濃い先走りが先端から新たに零れてくるのを一滴残らず舐めとり、次々と新たな蜜を吐き出すその穴を口で覆い、軽く吸い上げる。 ちゅる、くちゅ…っ、と濡れた音が悠人の耳をも犯していく。 「ぅ、く……ッ、ぁ……んっ」 腰砕けになるような快感が脳髄まで突き刺さり、悠人は少しずつ強くなっていく射精への欲求を無意識に押さえ込む。口元を押さえる手から、口の端から零れた唾液がつぅ…と伝う。 悠人の反応を見ながら、里見は先端からさらに深く銜え込み、口を窄めて頭を前後にスライドさせる。 「ん、っぅ…ふ、ぁ…っ、ン、ぁ」 時折先端を舐められながら全体的に刺激されて、ぎりぎりで残っていた理性も霧散し、悠人は里見の頭に手をあて、その動きにあわせて腰を前後に揺らし始めた。 「どうした、悠人。そんなにイイ?」 「い、から……は、早く……もっと……」 里見が口を離して訊ねると、悠人はコクコクと頷き、恥も外聞もなく「早くイカせて」と懇願した。 口に手を当てることも忘れ、熱に浮かされて潤む瞳を向ける悠人の艶かしさに、里見は思わず息を詰めた。 今すぐ衣服を剥ぎ取って、硬く閉ざされた秘口に自身を突き立て、思うがままにしてしまいたい衝動に駆られる。 だが元から悠人をそんな方法で手に入れようなどとは思っていなかった里見は、その欲求を抑えつけて悠人を絶頂へと追い上げることに専念した。 再び悠人を口に含み、舌の先で先端を強く抉る。 「んぁあ、ァ……、ンン」 自分で声を抑えることもしなくなった悠人の代わりに、唾液が零れ落ちるその口を手で塞ぐ。 そして亀頭を圧迫しながら、全てを吸い込むように先ほどよりも強く吸った。 「ンン、は、ァ…ッ…あ……!」 痺れるような快感が全身をめぐり、悠人は腰を突き出して里見の口腔に大量の精液を吐き出した。 粘性のある、普通よりも濃いそれを里見は全て嚥下する。 「あ……は、ぁ……っ」 射精して全身から力の抜けた悠人はずるずるとその場に崩れ落ち、快楽の絶頂へと押し上げられた余韻に、恍惚とした表情で瞳を彷徨わせた。 悠人の目は快楽の色に染まり、ことあるごとに鋭利に光る瞳も今は濁っていた。周囲の景色も、里見すらも映っていない。 それに気付いた里見は眉を顰めて、放心状態の悠人の唇を奪う。 精液に塗れた舌で口腔をまさぐられ、息苦しさと苦さに、ぴくりと悠人の体が反応を示した。 「んん……ぅ…? っ……んぅうーっ、んー!」 瞳にクリアな光が戻り、我に還った悠人が里見の胸板をドンドンと叩く。 「んんっ、っは……っ、ぁ…何、してんだ……この野郎っ」 里見が唇を離した途端、悠人は平手を繰り出すが、力も入っていなければ速さもないそれはあっさり掴まれてしまう。 「離せ……ッ」 「そんなトコ出したまま怒鳴られても、全然怖くないよ、悠人?」 やっと普段通りの悠人に戻ったと人知れず安堵しながらも、揶揄を忘れない。 言われてふと自分の状態を確認した悠人は一瞬のうちに耳まで赤くなって、掴まれていない方の手で股間を隠した。 「〜〜〜〜ッ!!」 「隠すなよ。せっかく可愛かったのに」 「ふざけるなバカッ」 掴まれた手を強引に振り解き、壁を支えに立ち上がって元通りにパンツを穿きなおすが、濡れた下着のせいで股間のあたりの感触が最悪だった。 「首筋も、痕ついてる」 里見が自分の首筋を指差して言うと、悠人は即座にボタンを第一まで留める。だが仕事用ではなく、普段着のシャツは一番上まで留めても襟元が開いているせいで、結局落ち着かなかった。 「っ、誰がつけたと思ってる!」 「もちろん俺。悠人が無防備なのが悪い」 「人のせいにするなっ」 じりじりと照りつける真夏の太陽の下へと踏み出すと、どこか遠くにあった風の心地よさと蝉の鳴き声が戻ってくる。 ふらふらと危なっかしく歩く悠人に里見は「お姫様抱っこでもしてやろうか」と笑う。 「ご遠慮させていただきますっ! 私の半径三メートル以内に入ってこないで下さい」 「酷い言われようだな。全部悠人が言ったんだよ? もっとして、とかね」 悔しいが本当のことなので、悠人は素直に顔を赤らめることしかできなかった。 あぁもう。さっきは本当にどうかしていた。結局俺は、この万年発情期男のストレス発散の口実を作ってやっただけじゃないか! しかも俺のせいにされてるし。というか、思ってみれば俺が劣勢になる理由は元々なかったはずなのに、自分から墓穴を掘ったっていうのか? 先ほどまでは輝いて見えた自然美の日本庭園が、ただの砂利を敷き詰めた個人邸宅の庭にしか見えない。それほどに悠人の気分は落ち込んでいた。 「今すぐにでも、走行中の車の前に飛び出して死にたい気分です」 「俺は悠人の新たな一面を見れて幸福の絶頂」 「そのまま死んでくれませんか」 「それは無理な相談だ」 しかし。 余裕の表情で悠人をからかっていた里見は、通された客間に戻ってきた途端にぱたりと倒れて動けなくなってしまった。 それも仕方がない。 何せ戻ってこない悠人が気になって、炎天下の中を飛び出していった挙句、色々と人には言えないアレやコレをしていたため、結果的に長時間外にいたのだ。 目の前のことに夢中で体が無理をしていることを忘れ、すっかり熱中症になってしまった里見は、謝りに行った先でさらに謝らなければならないことを増やしてしまっただけだった。 悠人はもちろん怒ったが、原因の一端が自分にもあることを自覚していたせいで強く責めることができなかった。 「大丈夫ですか?」 面会にはもう少し時間がかかりそうです、と言いに来た男が、外に出ている間に熱中症でダウンした里見に、わざわざ濡れタオルと薄めたスポーツドリンクを持ってきてくれた。 「ありがとうございます」 あんなことをされたのに、何故看病をしなきゃならないんだ、と思いつつも、目の前で気持ち悪いと唸る人間を放っておける性分でもなかった悠人は、冷水で絞られたタオルで仰向けに伸びている里見の汗を拭い、たたみ直して額に乗せた。 「悠人、水」 男が出て行ったあと、里見が動詞を省いて「お母さん、おやつ」と言う小学生のように言った。 「コップに注いであります。それくらいは自分で飲んでください」 「口移し……」 「……顔にかけますよ。くだらないことをこんな時にまで言わないでください」 「悠人冷たい」 「普段通りです」 悠人は里見の手元に薄めのスポーツドリンクの入ったコップを持ってきてやる。里見は体を持ち上げて、中身を全て飲み干すと、またぱたりと元に戻った。 「そこまで暑さに弱いとは思いませんでした」 「あまりにも悠人が色っぽかったせいで、鼻血噴くかも」 「そんなに太陽の下に曝されたいんですか」 「冗談です」 まるで吸血鬼のようだが、今外に放り出されたら、確実に里見は救急車で搬送されることになるだろう。 「あまり酷いようでしたら、今日はおいとまさせていただくしかありませんね。そんな状態で、謝罪も何もあったもんじゃありませんから」 さっきの人を呼びに行ってきます、と部屋を出て行こうとしたが「悠人」と里見に呼び止められる。 「何ですか」 「…………手」 ぼそりと呟いて、里見は片手を上げて「繋いで」というように開閉を繰り返した。 「何もしないから。というか、できないから。……ここにいて欲しい」 サク。 悠人の胸の真ん中よりちょっと左寄りの場所に、何かが刺さったような感覚が走った。 その感覚の奇妙さに悠人は眉を顰めた。だが触ってみてもそこには何もない。 「悠人ー……」 「……まったく。今日は一体何なんですか」 半分呻きながら呼ばれているのに、ここで無視して出て行ったら、逆に気になって仕方ない。 悠人は溜め息をついて里見の横に座ると「人が来たら、すぐに帰りますからね」と言って、手を握ろうとしたが、触った瞬間に伝わった熱に思わずパッと離してしまう。 「熱すぎです」 「頼むから、繋いで。そしたら気持ちよく眠れそうな気がする」 「…………」 ここで寝てはいけません、と言いそうになったが、横になっている病人に寝るなと言うほど酷なことはないと思い直し、仕方なくその手を握る。 「あぁ、冷たい」 里見は握った手の温度差に、気持ちよさそうに目を閉じた。 その表情が中学生くらいの子供に見えて、悠人は気付かれないように小さく笑った。 何処へも行くな、と言うようにぎゅっと握った手に力を込める里見を悠人はただジッと眺めた。 不思議と、こういうのは嫌じゃない。 「…………?」 里見に対して、嫌悪以外の何も抱かなかった悠人は、自分が今しがた思ったことにただただ驚いた。 規則正しく呼吸を繰り返しながら、静かに目を閉じたまま動かない里見を見ているうちに、悠人は自分の頬が赤くなっていくのを感じた。 ……何故。 「――――……」 その答えを知ってしまうことが、何故かとても恐ろしいことのように思えて、悠人は考えることをやめ、外の景色を眺めることにした。 冷房の効いた部屋に届くのは蝉の鳴き声だけで、真夏の風に庭の草木が微かに揺れる光景は、どこか違う世界のようだった。 考えないように努力しているのに、里見が手を握るせいで、思考からそれを追い出すことができない。 『やっぱり、貴方は嫌いだ』 外を眺めながら、里見には絶対に聞こえないように口元だけを動かして悠人は呟いた。 ―――――――――― 夏休みのある日編、こちらは兄カップル。 個人的に大人カップル好きなので、兄弟の災難という意味も込めて、この二人です。 里見は暑いと結構ヘタレになります。本編では夕方から夜明けにかけてだったので、いつもの余裕でかましていましたが、猛暑の昼間ではそれも形無し。 悠人、素直になれません。この兄弟の似ているところは、意地っ張りなところと、よく怒鳴るところ。箍が外れると大胆になります。きっと。 普段からそういうことをしないから、あまり気持ちよすぎると軽く意識が飛ぶ人です。 悠人は普段から冷静沈着でクールなキャラを作っているので、反動が理人へと向いていましたが、お役御免になったので、里見に少しずつ移行しています。 言葉責めテーマで頑張ってみましたが、いかがでしょうか。甘いですか。もっとSに力入れた方が良いでしょうか??? 「書いてみたい!」という欲求だけでプロットも書かずにやってしまったために、技巧もなにもあったもんじゃないので。 この二人は番外専用にして、もういっそくっつけてしまおうかとも思いましたが、それはまたいつかの機会にします。 気付いたら幼稚園児と教育係みたいな感じになっていました。 このシリーズの中で一番気が利く人はおそらく長谷川さんです。 多分この人は理人も悠人も何をしていたのかお見通しでしょう。 30分くらいじゃあの二人は終わらないんじゃないかな、とちょっと突っ込み。(笑) 主役番外よりも倍以上に枚数が上回ってしまったなんて予想外もいいところ。 悩んで悩んで悩みまくった末の、結果です。 視点のズレが否めない稚拙さ。 つ、次こそは……! 葉月 蒼唯 End *ご意見・ご感想など* |