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精一杯のカタチ ≪依岡 涼二≫


 残暑の厳しさも過ぎ、木々の葉は色づき始め、季節は秋を迎えようとしている。
 俺は茶室の掛け軸を前に、数冊の作品集を眺めながら考え事。
「もうすぐ季節が変わるから…何を置こう。彼岸花、それともコスモスとか。百合を置いてもいいかもしれない……。ドウダンツツジも捨てがたいけど…もう少し後になってからかな?」
 誰も来ない茶室…たまにジン兄や兄さんが来るけど、剛さんも含めてほとんど足を向ける人はいない。
 さっきからずっと考えているけど、中々いいものが決まらない。イメージは夏の煌びやかさとは対照的な、秋らしく落ち着いた雰囲気なんだけど、逆に選ぶ花や活け方によっては俺の作品じゃなくなる。
 いつでも、自分らしい作品を置いていたい。それこそ、そこら辺に生えている猫じゃらしだって俺は好きだから飾る。
 俺や兄さんにとってみれば、今はとても恵まれていると思う。好きなときに花を活ける事が出来て、頼めば花代ももらえるし、好きな花器も使っていいと、わざわざ蔵から出してもらえもする。
 学校にはもう何年も行っていないから、普通の人よりも、考え方によったら「可哀想な人」だって言われてしまうかもしれない。
 同情されても「大丈夫」って言えるだけ、マシかもしれないけど。
「……そういえば、秋頃だったかな。ジン兄に拾われたのって」
 ジン兄…正確に言うと、本当の兄は涼一兄さんだけで、この家の跡継ぎである宮村ジンは兄じゃない。
 けど、兄さんにとっても俺にとっても、兄…本当の家族みたいに大切な人には変わりなかった。大切…なんていう言葉にとどまらず、命の恩人と言っていいほど。
 ジン兄は「ただの気まぐれだから、棚からぼた餅気分でいろ」といつも言う。ジン兄にしてみれば、そんな軽い気持ちだったのかもしれない。
 だから、勉強もロクに出来ない、未だに持病の治らない、役立たずな俺に何かできることはないかと考えて、思いついたのが「活け花」だった。
 俺は作品集から目を離し、ザラリとした心地よい感触の伝わってくる畳を優しく撫でた。ほのかに香る畳の匂いが何よりも落ち着かせる。
 目を閉じて、時々外から聞こえてくる風に揺れる葉の音に耳を澄ませると、自然と笑みがこぼれてきた。
 俺は小学校に入ったとき、母さんが趣味で習っていた華道を始めた。男のくせに、あまり運動が出来なくて――今は人並みに出来るけど――よく笑われていた。
 二年後に両親が死んで、そこで習うのもやめたけど、ノウハウは今でも記憶にしっかり残っていたし、ジン兄に拾われてから少しだけ独学で齧っていた。
 誰も来ない部屋に置いておくのはもったいない…と言われても、俺はこの部屋に置きたかった。
 全然上手くはないし、自分の納得のいく作品なんて、たかが知れていた。家元レベルにでもなれば剛さんにも認めてもらえるかもしれないけど。
 けど何より、ジン兄が「ここは落ち着く」と言ったとき、少しだけ華を添えてあげられればいいなと思った。「あ、あったんだ」ってくらいの目立たなさでも、見ていて気持ちが和むような、そんな作品を置いておきたいと思った。
 元々、ここはヤクザの家だし、玄関先にそんなものを置いておいたら逆に舐められてしまうかもしれない。
 せめてもの「恩返し」。
 目を開けてまた別の作品集に手を伸ばす。この本を買ってくれたのは涼一兄さんだ。
 いらないって言ったのに、一冊何千円もする、季節ごとの花が載った本や有名な家元の作品集なんかを買ってきてくれた。
 俺と違って働ける兄さんは決して多くない給料の中で、俺のために散財している。
 俺はとても幸せ者だと思う。
 そして、父さんと母さんの生きた証として、今ここにいれる事がすごく嬉しい。……あの家には戻らない、兄さんと俺は幼いながらにそう誓ったから。
 一番苦労したのは、俺じゃなく、兄さんだ。だから兄さんのことを、精一杯愛してあげたいと思った。
「……たまには、兄さんのために活けてあげてもいいかもしれない」
 兄さんの好きな花を使って。
 思うだけで、心が弾む。喜んだ顔を想像したら、嬉しくなった。
「涼二〜……」
 廊下から足音が聞こえてきて、俺は思わず本を乱暴に閉じる。やばい、ページ折れたりしてないかな?
 慌てて今開いていたページを確認しているうちに、茶室の襖がスーッと開いた。
「やっぱりここにいた」
「…兄さん」
 兄さんのことを考えていたから、いきなり本人が出てきて少し恥ずかしい。きっと顔が赤くなっているに違いない。
 兄さんは褐色の少し伸び過ぎた髪を後ろで束ねて、とても涼しそうだった。広げられた作品集に埋もれていた俺を見て、兄さんは俺の大好きな笑みを浮かべた。つられて、俺も微笑んだ。
「次は、どんな花にするんだ?」
 兄さんは華道なんてこれっぽっちも興味を持っていなかった。俺と違って男らしくて、カッコいいし、花なんてあまり似合わない気もする。でも、俺が茶室で活ける花を考えているときは、わからないのに聞いてくれる。
 それがとても嬉しかった。
「今度はね、兄さんの好きな花で活けようと思うんだ」
「嬉しいけど、俺、全然花とかわかんねぇぞ? それに、元々ジンのために置くんじゃなかったのか」
「うん、そうだったんだけど…たまにはいいじゃん。季節の花も教えてあげるから」
 少しだけ困った顔をした兄さんに、俺は来て、と手招きをする。
 兄さんは頭をポリポリとかきながら、俺の隣に腰を下ろして、季節の花が載った分厚い本を前に置いた。
「ありがと、兄さん」
 これからも、ずっと傍にいて。
「何だよ、いきなり」
「何でもない」
 軽く笑いながら訊ねた兄さんの唇に、自分の唇を軽く触れさせた。
 目を丸くした兄さんに、悪戯っぽく微笑んで、俺は兄さんより先に本を開いた。


End
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