罪悪感 俺は今、鳴り響く携帯の前で、どっちのボタンを押そうかと迷っている。 通話をするボタンか、拒否するボタンか。 液晶画面に表示されているのは、離れようと数日前に決心したはずの兄貴の名前だ。 「理人、兄貴が嫌なら切ればいいだろう」 自分の部屋のベッドに座る俺の目の前で、不機嫌モード全開の宮村が仁王立ちして言った。 ここは宮村の屋敷だ。俺と宮村の関係が兄貴にばれ、当然兄貴の口から両親の耳にも入った。兄貴は猛反対しているのに、うちの親は楽天家というか放任主義と言うか…。理人が本気で好きなら構わない、という姿勢だ。 今はアパートを解約し、実家には戻らずに宮村家の俺専用の部屋に住んでいる。 宮村の持たせてくれた携帯の番号をどうして兄貴が知っていたのかは俺自身よくわからない。きっと親と話をつけるために実家に戻ったときにこっそり見たに違いない。 ここまでくると、さすがにストーカーじみていて兄貴の性格を疑う。 でもいきなり離されると中々精神的に追いつかない、っていうのも理解は出来る。だから仕方なく兄貴の携帯の番号を登録することにした。 宮村はそれが気に入らなかったみたいだけど、そうでもしないと、この屋敷に居座るとかなんとか、とにかくまずい方向に行ってしまいそうな気がしてならなかった。 だけど。 そうなんだけど。 せめてもの情けだったのに、今すぐにでも着信拒否したい気分だった。 あれはしつこい。女が振られた男に執着するとか、携帯用非常食の甘さとか、そんな次元のしつこさじゃない。 学校だと、毎回毎回休み時間ごとに大した用でもないのに電話してくる。昼休みとかはたまに宮村もしてくるけど、あくまで「今日は何時に迎えに行けばいい」とか、よくわからないところで「夕飯は何がいい」程度だ。 しかも最近じゃ「課内でパーティやるんだ。色々と紹介したい人がいるから、来ないか?」なんて言ってくる。明らかに上司の娘さんとかとくっついてくれ…って言ってるのがバレバレで、その度に断るのもそろそろ面倒になってきた。 兄貴は、俺がどこまで知っているのか、わかってんのか? 「遅いな…」 不本意ながらも、今、あの男が理人に持たせている携帯に電話をしている。 理人。お兄ちゃんはお前を一人にしたことを酷く後悔している。そのせいで、いつの間にかヤクザなんていう野蛮で何をするかわからないような危険極まりない人間に可愛い理人を奪われてしまった。 理人、お前は全くわかっていないだろう。お兄ちゃんがどれだけお前を大事に育ててきたのか。 理人を初めて見たのは十歳のときだった。お前は母さんに抱かれてすやすや寝息を立てていた。お前との出会いはお兄ちゃんにとってはこれ以上ないほどの衝撃だった。 血色がよくて赤みがかった頬。幸せそうに閉じられた目蓋。その奥の瞳を目にしたのはその数時間後だった。 お兄ちゃんは理人のことなら何でも知っている。初めて「はいはい」が出来るようになったとき、お兄ちゃんはとても嬉しかった。お前が言葉を喋り始めたとき唐突に「にーた」と呼んでくれた時、感動で涙が出そうになったくらいだ。 理人が小さい頃は本当に女の子みたいに可愛くて、よく間違えられていたな。母さんがふざけて女の子用のワンピースを着せていたせいもあるかもしれないが。 小学校に入学して理人にもたくさん友達が出来て、ないがしろにされがちだったときは少し淋しかった。けれどちゃんと家に帰ってきたら甘えてくれて、幸せだった……。 だったのに…なぁ……。 いや、理人にはちゃんとしたお嫁さんを迎えてもらって、姪か甥を抱かせてもらうんだ。 結婚式でだって、お兄ちゃんが誰よりも祝福してやりたい。 だから、理人に見合う女の子を見つけてこなければ。特殊で危険で非常識でふしだらな道を歩ませてはいけない。 お兄ちゃんはいつも理人のためを思っているんだぞ。 …………それにしても。 「遅いな……」 トイレにでも行ってるのか? 「…………!」 「どうした、理人」 「いや、今……悪寒が…」 物凄く、過去の回想をされて余計な世話を焼かれたような気がする。 相変わらず携帯は鳴りっぱなしだ。耳鳴りでもしそうだった。 「風邪でも引いたのか?」 「や、違う。大丈夫」 「でもお前、テスト勉強で最近根詰めてるだろ? すこしは息抜きしないとな」 最早、バックミュージック…とは言いがたいがそんな位置づけにされてしまっている携帯の着信音。 息抜きの前に、これを何とかしないと。 と思ったら、宮村がいきなり俺の手から携帯を奪って、何の躊躇いもなくそれを切った。 「あっ……。…………まぁいっか」 「こういうのはスッパリ切っておかないと、精神的にもよくないぞ。……一部例外もいるが」 それは多分、美しき兄弟愛にして現在進行形で熱烈に近親相姦真っ只中の依岡兄弟を指しているんだろう。 俺が兄貴とああなるって? 冗談きついぜ。 「でも、兄貴最近しつこくてさ。どうやってでもアンタと別れてほしいらしくて」 参っちゃうよなぁ…と溜め息混じりに言ってから、自分の失言に気が付く。 宮村の顔には影が差していた。ゴゴゴ…という音も聞こえるかもしれない。 「ほ〜……別れさせる、ねぇ」 「や、別に害はないんだし! 気にすることねぇって! 俺は…その……」 アンタが好きだし。 その先は恥ずかしくて中々口に出来ない。すると宮村は得意の意地悪そうな目で俺を見据え、顎をクイッと持ち上げる。 「ん? その先はないのか?」 俺が言えないの知っててこーいう事するから、嫌な奴なんだよな。 「て、めー……なんか、大ッ嫌いだ」 「俺は好きだ」 「直球すぎンだよ、アンタは。もう少し躊躇いの恥じらいとか、人間らしいとこを見せろ」 「悪いな。俺にそんな邪魔なものはないんだ」 と、ベッドにとすんと俺を押し倒す。 「おい、何でこうなる」 「息抜き、したほうがいいだろ?」 「これのどこが息抜きじゃあッ!!」 俺はがら空きだった宮村の顎にアッパーを放った……つもりだったのに、がしっと手を掴まれて、しかもその手にキスをされた。 じわりじわりと広がる熱に嫌気が差してくる。 でも、俺はこんな宮村の事が好きなんだよなぁ……。 いや、マジ……悪い。兄貴。 *ご意見・ご感想など* |