St.Valentine's Day



『――の方でも、今日はこれから明日の朝にかけて雪が降りそうです。積雪は……』
 この時間ではお馴染みの気象予報士が、不自然にならない程度の笑みを崩さず、最悪な天気予報をローカルケーブルのニュースチャンネルでお茶の間に伝えていた。
 俺はそれをソファの上で膝を抱えながら見て、それからごろんとだるまのように横になる。
 全国ネットのニュースを見ないのは、ローカルケーブルのアニメチャンネルを回しているうちに、たまたまニュースになったから何となく眺めていただけだ。
 組んだ腕を解き、足をゆったりと二人用のソファに滑らせて、笑いながらそんなことを言うなバカ、と心の中で思った。
 2月14日といえば、世の中はバレンタインデーだなんだと騒ぐ。恋人や片想いの相手のために一生懸命手作りでチョコレートやお菓子を作ったり、義理チョコや友チョコと言って大量生産に時間を割く者もいるだろう。
 俺はバレンタインデーが嫌いじゃない。いや、むしろ好きかもしれない。
 小学生の頃から現在に至るまで、クラスや部活やサークルの女子からそれはもう毎年紙袋をわざわざ調達しなければならないくらい、お菓子を貰った。
 俺はチョコレートが好きだし、だから無条件に貰えるチョコレートは遠慮なく貰うし、食べる。もちろん、貰うときに「お返しは出来ない」と断って。
 大体は「あーいいよー。義理だし」と言われることが多かった。俺もそんな大量の本命チョコなんて貰っても心苦しいだけだから、さして気にもしていなかった。
 でも、今年は何もない。
 渡されるのをわかっていたから、大学にも行かなかった。でもそれは今日行かなくても、明日行けば同じことだとわかっていた。
 それでも、今日は誰からも貰いたいとは思わなかった。
 それなのに、今日は雪が降る。
 雪が降ったら……。
「あいつ、帰ってこれないじゃねぇかよ……」
 ホワイトバレンタインデーなんて、俺にとってこれ以上最悪な組み合わせはない。
 バレンタインデーだからって、雪降らすことねぇだろうがよ、バレンタイン司教様。
 去年までは紙袋をかばんに入れて嬉々として家を出たこの日の原因となった、恋愛至上主義のために殉教した、顔も知らないどこかの国の故人に文句を垂れても、雪は多分降ってくる。
 今日は朝から寒かったから。
 お陰で、部屋の中なのに上着を2枚も着込む羽目になった。
 暖房は電気代がかかるし、一人でいるときに灯油ストーブを使うのも、原油高騰の影響が如実に表れているガソリンスタンドの値段表示のことを考えるととても使えたもんじゃない。
 こんな風に、冷たい革張りのソファで丸まってる俺を見たら、あいつはきっと「寒いなら使えばいいだろ。風邪でも引いたらどうする」って言って、暖房もストーブも点ける。
 でも、それを払うのはあんただよ。だから、あんたにとって無駄なことはしたくない。
 だから俺はひたすら厚着をするしかない。
 時計を見ると、まだ7時前だった。今ご飯を作っても、きっと冷めて不味くなるだけ。
 ……あと2時間したら作ろう。
 そう思って、幾度目かの身震いをした後、フリースのチャックを一番上まで引き上げて「……さみ」と意味なく呟いた。
 風邪を引かせたくなかったら、とっとと帰って来い。
 コマーシャルに変わった画面を睨みながら、雪なんか大嫌いだと空に向かって叫びたくなった。
 テレビを消して、転寝をして、起きてみても、誰かが帰ってきた気配は全くなく、ただ冷えた空気だけが俺の周りに漂って、白い蛍光灯に照らされたリビングが灰色に見えた。
 洗濯物をたたみ、コーヒーを一杯飲んで、予定通り9時からシチューを作り始めた。温かいうちに帰ってくるようにって思いながら作った、ちょっと薄めの味のシチュー。あいつ用にアスパラガスを入れたクリームシチューは、最後の煮込みで小さくコトコトと音を立てている。
 目の前の窓から、ちらちら何かが光っているように見えたものが、あれほど降るなと思っていた白い悪魔だということには、野菜を切っているときから気付いていた。
「どーすんだよ、こんな大量のシチュー。俺一人じゃ食えないっつーの」
 途方に暮れ、冷蔵庫に寄りかかって、白く光りながら降り落ちる雪に抗議しても、雪は俺の言葉を無視してどんどん積もっていく。
 カチ、カチ、という針の音だけが肌寒い室内に響いていた。
 ある程度煮込んでから、鍋の蓋を持ち上げて軽くかき混ぜ、数十秒待って火を消した。ふわりと牛乳とチーズの混ざった匂いがする湯気が立ちのぼった。
 鍋つかみを手にはめて、食卓に持っていく。
 持って行きながら、俺は待っていても帰ってこないことが何となくわかっていて、だから無駄なんだと諦めていた。
 二人分の皿とスプーンをセッティングし、バスケットにロールパンを山盛りにして、それでも俺は待った。
「はーやーくぅー……」
 そのうち黙っているのが耐えられなくて、テーブルに顎を載せ、目の高さにあるシチュー鍋に向かって「う〜…」と呻く。
 一体、誰のために、大好きなチョコレートを大量に貰えるチャンスをふいにしたと思ってんだよ。
 全部、あんたのためだろ。
 意地でも帰ってきやがれ。
 あんた、よく食べるから、今日もシチュー5人分も作ったんだぞ。アスパラガスも出血大サービスで入れてんだぞ。俺嫌いなのにさ。すっかりベジタリアンじゃねぇか。
 朝までこうして待って、帰ってきたあいつに向かってひたすら並べ立てる文句を数えていると、玄関の方で音がした。
 宅急便かもしれない、大学の友達が訪ねてきたのかもしれない、なんて、考えもしなかった。
 俺はとにかく、ドアの前で佇んでいるものが、あいつだと信じて疑わずに、椅子を倒す勢いで立ち上がった。
 締め切った廊下へのドアを開け、玄関に突っ込むように走っていって、「まいったまいった」と三十過ぎのオヤジのように言いながらドアを開けたそいつに向かって、思わず怒鳴った。
「賢悟テメー、何雪の予報ニコニコしながら言ってんだよ! 雪降ったら電車止まって帰れなくなるの知ってんだろ!!」
 つい3時間ほど前にブラウン管の中にいた、格好良くて、中性的な顔つきの気象予報士がコートについた雪も払うのを忘れて、目を丸くした。
 そして自分でも理不尽だと思う文句に、賢悟は雪よりも軽やかに微笑んだ。
「心配してくれたんだ」
「っ、たり前だろ! あんた帰ってこないと俺はメシにもありつけないんだぞ!」
「食べてればいいのに」
「煩いッ。帰ってこれるんなら電話の一つもよこしやがれ! シチュー冷めちまってんだぞ。俺嫌いなのに、あんたが好きだからってアスパラガス大量に入れたクリームシチュー!」
「うん、ごめん。……コレ、買いに行ってたから、どれくらいかかるかわからなかったんだ」
 そう言って賢悟が紺色の手袋に包まれた手に握った紙袋を持ち上げた。
 その紙袋のロゴは、俺が憧れてやまなかった高級チョコレート専門店のもので、今度は俺が驚く番だった。
「はぁッ!? 何して……って、え、うそ……っ、CoCsのチョコレートじゃんっ。一番近い店でもかなり遠い……しかも高いのに……」
 普通の洋菓子店で売ってるようなギフト用の詰め合わせが一体いくらになるのかなんて、想像もできなかった。
「汐、チョコレート好きだろ。一番種類が多いやつ予約してたんだ。で取りに行ってたら帰り電車止まってさ。本当はワインも買おうと思ってたけど、タクシー使って行けるところまで行って、あとは歩いてきたから、遅くなった」
「歩いてって……一体どこから…」
「3駅前くらいかな」
 溶けかけた雪を払いながら、何でもないことのように言った賢悟に、俺は濡れるのも構わず抱きついた。
「この、バカっ」
「っわ……て、汐、俺よりも冷たい。また暖房もストーブも使わなかったの」
「……ごめん」
「謝るより先に、リビング戻って暖房とストーブつけな。早く部屋が暖まる。風呂も沸かして。ご飯の前に、風呂入るよ。このままじゃ二人とも風邪引くから」
 俺の体を引き剥がしながら、賢悟は手袋を外して俺の頭を撫でた。
「うん……」
 でも俺はその場から動こうとしなかった。
 渡された大好きなチョコレートの紙袋も足元に落として、賢悟の首に腕を回しながらキスをねだる。  賢悟は困ったような顔をして、それで俺に触れるだけのキスをくれた。
「賢悟、俺、あんたがいないとやっぱダメみたい。今日はあんたとだけ会っていたくて、大学休んだ。でも結局ほとんどソファでごろごろしてるだけで、テレビの中で普通の顔して帰れなくなるって宣言してるあんたの顔見て、泣きたくなるくらいむかついてた。でも……」
 近くで賢悟の顔を見ると、奥二重なのに長い睫の一本一本や、ニキビ一つない肌が、テレビに映っているときよりもよっぽど綺麗に見える。
 ベジタリアンで、薄味が好きで、俺の作った料理を「美味しい」と笑いながら食べる、誰よりも優しいひと。
 だから、俺は。
「それ以上に、あんたが好きだ」
 言葉にしなくても、何となくそうであり続けていることはわかっていたし、そう思っていたいと自分でも思ってた。
 そんな格好悪い自分を知られるのが嫌で、いつもぶっきらぼうになるし、自分のために疲れて帰ってきた相手に向かって平気で文句を言う。
 でも賢悟はそれに何も言わないから、だから俺を好きだと言ったときのままだと信じていた。疑ってもいなかった。
 疑ってしまったから、気持ちを確かめたいから、言ったわけじゃない。
 何となく口をついて出た言葉だっただけに、俺は茹蛸よりも真っ赤になって、外気に曝されて冷たくなっているコートに思いっきり顔を押し付けた。
 賢悟の顔を見ていられなくて。
 そうしたら賢悟は、ゆっくり、俺の心の中にまで染み入ってくるような声で「俺も好きだよ」と言った。
 誕生日を祝うように、気持ちを確かめ合う。
 バレンタインデーは、そんな日でもいいのかもしれない。
 結婚記念日でも交際記念日でもなくて、良くありがちで、つまらなくて、製菓会社の商戦の餌食にされてしまった日。
 俺にとっては、大好きなチョコレートをただで大量に貰える、幸せな日。
 でもたまには。
 好きな相手に好きと言える、神聖な日だと。
 そう、褒めてやってもいいのかもしれない。
 不覚にも涙を零しそうになりながら、賢悟の冷えた腕の温かい抱擁の中で、俺は柄にもなく思った。



* * *

 単発、というかもう本当に突発的なバレンタイン短編でした。
 なんというか……ツンデレ王道っぽくなるのはどうしてなのかしら、と自分でも不思議に思うこの頃ですが。
 突然思いつき、書いて、急いでアップしたため、ページを用意するだけの余裕がなく、結局ブログ掲載となりました。
 ホワイトデーはどうしようかな、と思いつつ、テスト期間の真っ最中だということに気付いて憂鬱になりました。
 ちなみに今年は何も作ってません。バレンタインチョコ。
 結局タイトルは格好よく英語にしただけで、意味は何も変わっていません(笑)
 では失礼します。


2008.2.23 (Fri) 葉月蒼唯


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