web拍手お礼SS(2) 【オーナー×シェフ】



 閉店後の店内カウンターで酒を飲むのは、ここで働き始めてから俺の日課になっていた。
 高層ビルの上階に位置するバーカウンター併設のこのレストランは、夜景が特に綺麗に見えると評判で、よくは知らないが半年先までディナーの予約が埋まっているらしい。
 だが閉店時間を過ぎれば、上品に賑わうこの店もただ静寂が支配する。
 光で煌びやかに彩られた夜の街を見下ろしながら一人ボトルを煽るのは、俺にとって何よりの贅沢だ。
「また店の酒飲んでる」
 カウンターの端、スタッフルームの扉の前で咎めるように響いたその声に、俺はこれでもかというほど眉根に皺を寄せた。
「ンだよアンタ、人がせっかくいい気分で酒飲んでる傍から。金は払う。いつものこったろうが」
「在庫の計算合わなくなるんだ。休憩時間や賄いならともかく、終業時を過ぎてからそういうことをされると困ると、いつも言っているのに」
「その分多く仕入れりゃいいだろ。在庫計算も、し直せばいいだけの話だ」
「君が気分で飲む酒を選ばなきゃそうしてるよ。計算も、自業自得なんだから君がやるべきだろ」
「……」
 さすがにそこまで言われると俺も反論できなくて、小さく舌打ちした。
 常に上質なスーツを身にまとい、モデル並みの長身と容姿、想像も出来ないほどの財産を持ち、このレストラン経営を担う支配人権オーナーの青柳留畏(あおやぎるい)は、俺が思うに変人、いや変態の部類に入る人間だ。
 その話をしだすときりがないのだが、最初に俺がそう思い始めたのは6年前、初めて青柳の店で厨房のスタッフをやることになったその瞬間からだった。
『厨房スタッフの制服はコレね。ズボンが七分丈なのは、単に僕がきれいな足首とか見るの好きだからなんで、ひとつよろしく』
 その当時はまだ都内の某駅前で結構有名なカフェを経営していた青柳は、採用直後に厨房スタッフ用の制服を手渡しながらそう言った。
『……は?』
 言っている意味がよくわからず、俺は首を捻った。
『みんな帰ってから制服見て、一々訊いてくるんだよね。面倒だから、渡すときに説明するようにしてる』
『…………はぁ』
 にっこり笑って「足首フェチ」を公言したこの男の店に働くことに、働く前から不信感を覚えた。しかし二つ星レストランの看板シェフをやっている母親のツテで紹介してもらった店ということでそうそう簡単にやめるわけにもいかず、とりあえず1ヶ月くらいやってみるか、と初っ端から諦め気分で働き始めた。
 たとえ経営者は変人でも、経営自体は良好で毎日休む暇もなく厨房を動き回っていたし、評判も上々でたまにテレビ番組や雑誌の特集でも取り上げられていた。
 俺自身は面接に行くまでカフェの存在自体知らなかったのだが、あの変人オーナーはその容姿と経営手腕、そしてそつがなく優雅な物腰の柔らかさで、女子高校生からOL、はたまた韓流スターの追っかけをやっていそうなおばさん方にまで絶大な人気を誇り、男性向けのファッション雑誌にもたまに載っていたのを見かけたりもした。
 従業員にまず最初に自分が「足首フェチ」だと言う奴の神経がわからなかったし、そんな奴にミーハーになる女の気持ちもわからなかった。
 だがその紳士然とした柔和な表情の下で、いつか都内一等地にレストランを立ち上げるという目標を掲げ、そのために自らをも犠牲にして経営に携わるところには畏敬の念を抱いていた。
 すぐやめてやる、とっととやめてやる、と思っていた俺はこの変人の裏にある信念に絆されて、1ヶ月が経ち、半年が経ち、1年が過ぎて、気付けばカフェからこのビルにレストランとして進出して2年経った6年目の今も、ここにいる。
 このレストランは雰囲気も気に入っているし、従業員との付き合いもそれなりに楽しいから好きだと思う。欠点といえば、青柳の存在くらい。
 外面は限りなく良い。これ以上の上質さはないといえるほど良い。
 だが、化けの皮を剥いでみれば……。
「まだバンダナ外さないの? もうお客さんも従業員もいないから、格好つけることないのに」
「アンタがいるだろーが」
「僕はほら、別に格好つけるような相手でもないだろ? 女の子じゃないんだし」
「というか、アンタの前でバンダナ外すと、大抵ろくなことがねぇんだよ」
「そう? でも君ってさ、バンダナ外すと高校生と変わらないくらい可愛いよね」
 男相手に可愛いと言える神経が不可解だし、言われる俺は超迷惑。そしてムカつく。
 人の気にしていることをにっこり笑って言うところも嫌だ。
「…………」
 半目に睨む俺の視線を気付かないふりで跳ね返しながら、青柳はカウンターの棚の一番端に置いてある自分用のウイスキーの瓶を取り出すと、重ねて置いてあるグラスにロックアイスを入れて手早く水割りを作り、俺の隣のスツールに腰掛けた。
「何でアンタと酒を飲まなきゃなんねぇ」
「さぁ、何でだろうね」
「……うぜぇ」
「あのね、僕一応君の雇い主なんだけど」
「知るか」
 イライラし始めた俺は気分を落ち着かせるために、ボトルをカウンターに置いてタバコを取り出した。
 ライターで火をつけようとした俺に、青柳は自分の分のタバコも取り出して「火、もらえる?」。
 誰がやるかボケ。
「ものぐさすんな。自分のを使え。ライターがもったいない」
「君そこまでケチだったっけ?」
 答える代わりに、一気にタバコを吸う。フィルターが半分ほどなくなった。
「あんまり吸いすぎるのは良くないよ。君それ二箱目だよね」
「誰のせいだ誰の」
「僕のせいって言いたいの?」
「それ以外に何があるッ!」
 一々イラつく物言いにカウンターを拳で叩く。灰皿ががたがたと音を立てた。
 俺は一人ゆっくり、夜景を楽しみながら酒を飲みたいだけなのに、この男はそれを許してはくれないらしい。
 それならそれで、一人で飲める場所にでも行けばいい話だ。
 吸ったばかりのタバコを灰皿に押し付けて、立ち上がる。
「俺は一人で飲みたいんだ。アンタが何処にも行かないってんなら、俺が出ていく」
 タバコの残骸が積もる灰皿を処分して、着替えるためにスタッフルームに向かった。
 なんたってあいつは俺に構いたがる!?
 あの男の構い方は尋常じゃない。しつこいどころか納豆並みに粘っこい。掃き捨てようが切り捨てようが飄々と寄ってくる。
 時には、別の意味でも迫ってくる。
 シェフコートを脱ぎながら色んな、本当に色々なことを思い出して思わずロッカーに頭をぶつけたい衝動に駆られた。
 そうでなければ、ひたすら「ああああああ」と叫びながらそこら中を破壊しつくす勢いで、俺は激しく動揺していた。
 いや、今こそ愛車で湘南まで飛ばしたい……!
 若かりし頃を思い返して、ひたすら平静を保とうとしていたその時。
「何百面相してるの?」
「っわ…!」
 首筋にわざととしか思えないような吐息を吹きかけながら、変態が囁いてきた。
 っ、のやろ……!!
 何かを言う前に、本能的に俺は振り向きざまに青柳の顔めがけて拳を突き出した。
 一時はプロボクサー並みとまで言われたストレートを、その細身のどこにそんな力と瞬発力があるのか、青柳は顔の手前で俺の拳を止めた。
 そのままギリギリと俺の手を掴んで離さない。
「っ…なせ……!」
「やだね」
 その声は普段のどこかのんびりとした口調とはうって変わって、重く鋭いものだった。
「何でかなぁ。そんなに可愛くないの。僕そうされると人格変わるって、君は身をもって知っているはずなんだけどね」
 喋り方はいつもと同じなのに、その声の威力に俺は掴まれた手を突き出すことも引き戻すことも出来ず、黙ったまま数センチ上から見下ろす青柳を睨んだ。
「それとも、何か期待でもしてるのかな」
 すると青柳は他の人間の前では決してしないような悪辣な笑みを口元に浮かべた。
 その笑みがどういう時に向けられるものなのかを俺はこの5年間で嫌というほど教え込まれ、今ではずっしりと骨身に沁みている。
 ある種の恐怖さえ抱かせるその笑みに、蛇に睨まれた蛙のごとく身動きが取れない。
 対する青柳は余裕の態度で、ゆっくりと俺の額にもう片方の手を添えた。
 そしてやめろと言う前に、その手は頭からバンダナをするりと取り去って、足元に落とした。
 前髪が落ちてきて、微妙に目元にかかる。
「うん、やっぱりこの方がいいね」
 先ほどカウンターで見せたような一切裏のない笑顔だというのに、拳を掴む手の力は思わず顔を歪めてしまいそうになるほど強かった。
「ったい……何がしたいんだよ、テメェは……ッ」
「何って……ねぇ」
 青柳は少し首を捻って理由を考え、そして「お仕置き、かな?」と疑問形で答えた。
「何のだよッ」
「タバコの吸いすぎ。うん、そうしようか。料理人は舌が大切だからね。君の才能を買っていたから、こっちに来るときにも連れてきたのに。……君に払った対価は僕にとっても大きいものなんだよ? その辺、自覚してもらわないとね」
 タバコの吸いすぎというこじつけを無理矢理正当化して、大義名分を手に入れた青柳は、掴んだ手を引っ張ったかと思うと、休憩用の革張りソファに容赦なく押し倒してきた。
「っ、よせ……ざけんな…ッ」
「こういうとき、よせって言われて、やめる男はいないと思うな」
「それでも言うんだよッ」
 四肢をじたばたと動かして何とか抜け出そうと躍起になると、青柳は掴む場所を手首に変えて、ギリギリと力を込めてきた。それはもう、手首の骨が折れてしまうかと思うほどに強く。
 あまりの痛みに俺は抵抗することを忘れて「痛い」と情けない声を上げた。
「やめっ……い、た…ぃ…ッ」
「……少し、黙りな」
 青柳は片手で器用にネクタイを解くと、手際よく俺の両手首を縛り上げた。
 この体勢になるのは一体何度目だ、俺。
 両手で思いっきり頭を殴ってやろうとして腕を振り上げると、青柳はいきなりズボンの上から局部を掴んだ。
「ぅわっ、……つッ」
「妙なことしたら、潰すよ?」
 その綺麗な顔で物騒なことを言うもんじゃない。
 しかも口元だけに笑みを浮かべるから余計に恐くて、俺はばんざいをしたまま動けなくなる。
「もちろん、噛むことも許さない」
「なんっ、……んぅ……ふ」
 顎を掴まれ、何かを言う隙も与えられぬまま強引に唇を重ねられた。
 歯列をなぞられ、下唇に噛みつかれ、深く滑り込まされた舌は強く俺の舌を吸い、絡めとる。
 その感覚に、じわりと僅かな快感が滲み出すのを感じた。
 それはゆっくりと確実に体中を侵食して、身体全体が熱を帯び始める。
「…ふ……、んん……っ」
 ちゅる、くちゅ…と舌が絡み合う音がはっきり聞こえるようになると、俺は抵抗をする術がわからなくなって、徐々に足元から力が抜けていった。
「……、…硬くなってる」
 唇を離して、わざと耳元で青柳は囁くと、くすりと笑った。
「最近ご無沙汰だったしね。キスだけでここまで硬くなるなんて、君も若いね」
「っ……じじぃに相手は務まらねぇよ」
「なら安心だね。僕はじじぃじゃないから」
 嫌味だよボケッ。
 回らなくなってきた頭で搾り出した悪態でさえ、今の青柳には通用しない。
 青柳は股間に添えた手を動かして、やすやすとズボンの前を寛げ、するりと中に手を入れてきた。
「抵抗、しないの?」
「………両手縛っておいてよく言うぜ、この変態」
「無理矢理されてるのに、キスだけでその気になってる君は変態じゃないとでも?」
「そんなん、その辺のヘルスの女相手にだってその気はなくても勃つもんは勃つだろ」
「もう少しムードというものを大切にしてくれないかな」
「誰が―――んぁっ…、く…!」
 テメェが相手っていう時点で大切にするムードなんてかけらもないんだっての……ッ。
 骨ばった細長い指が的確に敏感な部分を刺激して、あれこれと考えていた文句も、洩れそうになる声を殺すために引っ込めなければならなくなった。
 相手は男だ。いくら顔が良くても、卓越した経営手腕を持ち合わせていようと、同性相手に触られたって何も嬉しくない……はずなのに。
 なんたってこうも簡単に、抵抗できなくなるんだ。
「っは……、ぁ……っぅあ」
 手のひらに包まれて、時折先端部分やカリをなぞられると、そうしたくないのに身体は勝手に反応して腰を浮かせてしまう。
 自分がまるで誘っているかのようなその行為を、俺の上で青柳は艶のある笑みを浮かべながら見ていた。
「……やばいな」
 青柳は唐突に呟いたが、俺はそれに対して何を言う余裕もすでに奪われて、快感を引きずり出すためだけに蠢く手の感覚を無意識のうちに追って、押し付けるように腰を揺らした。
 すると青柳は空いている方の手で手早く自分のスラックスの前をくつろげ、既に俺と同じように硬くなっていたものを俺のものに押し付け、重ね合わせるように両手で包み込んできた。
 青柳自身の熱さにも俺は微かに肩を震わせていた。
「本当は仕事場でこういうことしたくないんだけどね。何か、今日は無理っぽいな」
「っ、ゃ……あ、つい…」
「熱くしているのは、君なんだけどね」
 俺のせいにするな、と言いたいところだが、実際青柳はさっきから俺ばっかり触っていて自身には何もせず、ただ俺を見ていただけだった。それで刺激され続けていた俺と同じくらい熱いのは、多分、そういうことなんだろう。
 何故か胸の辺りが熱くなる。
「っあ……、んぅ…ぁ」
 徐々に激しくなっていく手淫に、息が荒くなる。動きを封じられた腕が支えになるものを求めて虚空を掻き、そして輪になった腕の中に目の前で同じように息を乱す男の頭を捕らえた。
 ふっと男の口元が嘲笑や皮肉ではなく、純粋な笑みを浮かべた気がした。
 一番敏感な部分を強く擦られ、その瞬間はすぐに訪れた。
「はっ―――ぁ、く……ッ」
 割られた腿は意思とは無関係に引き攣り、足の先が自然と丸まって、青柳を抱いた両腕に一瞬力が篭る。
「――――」
 青柳も同じタイミングで精を吐き出し、二人分の白濁は青柳の右手に受け止められた。
 どっと疲れが押し寄せてきて、肩を喘がせながらソファに倒れこもうとしたが、手首が一纏めにされているために中途半端にぶら下がる羽目になる。
 そんな俺の背中を汚れていない方の手で支え、青柳はもう一度濃厚なキスを仕掛けてきた。
「ぅん…ッ、ふ……んん」
 きつく吸われた舌はもはや痺れて思うように動かず、背中の支えを失うとすぐに唇は離れてしまう。
「っ……手首を、早く……どうにか、しろよ」
 青柳の首にぶら下がったまま俺は文句を垂れる。
 こうなったのは元々青柳のせいだ。責任はこいつにある。こうなったら、アフターケアまできっちりやってもらわなきゃ気が済まなかった。
 すると青柳は「その前に……」と言って、二人分の精液で濡れた手を口元に持っていくと、こともなげにペロリとその手のひらを舐め上げた。
 しかも、首にぶら下がった状態の俺に見せつけるように、だ。
「きったねぇことすんな、ボケッ」
 何べんも思ってきたことだが、こいつのすることは一々理解不能で困る。
 生殖という本来の機能を失った(わけではないがこの場合そう考えるのが妥当)、所謂「排泄物」を何の躊躇いもなく舐める男を、無遠慮に「信じられない」という顔で見ていると、青柳は何を思ったのか今舐めていたその指を突然俺の口元に持ってきた。
 そして有無を言わせずに口蓋をこじ開けて、その指を口腔に滑り込ませる。
「んうう、……っぅぅ」
 口内を蹂躙するように唾液を絡ませながら無尽蔵に指を動かしながら、青柳が訊ねてくる。
「どう、美味い?」
 美味いわけあるかボケェッッ!
 口に指を突っ込まれた状態では、さすがの俺も何も言えない。軽く首を横に振ると、今度は「でも煙草吸うよりはよっぽど健康的でしょ?」と嘯いた。
 煙草のがよっぽど健全だッ!
 これもまた心の中で叫ぶ。
 それを知ってか知らずか、そして青柳は唾液まみれの指を口の中から出すと、アイスキャンデーを溶かし舐めるように舌を滑らせた。
「ん、もっと美味くなった」
「…………」
 ……もう、唖然とするしかない。俺の理解の範疇をとっくに超えた異常行動だ。
 あんぐりと口を開けっぱなしにしていると、しっとりと全体的に汗ばんだ顔をさらに接近させて「あんまり開けっ放しにしてると、今度はもっと太いもの突っ込むよ?」と脅すように言ってきた。
 もっと太いものって何だ!? しかもすごく嫌な予感がするんですけどーっ。
 とりあえず、絶対、嫌ッ!
 首が飛んでいきそうなくらい激しく首を左右に振ると、青柳は小さく声を上げて笑った。
「冗談なのに面白いなぁ」
「…………ッ!!」
 ―――からかわれた……っ。
 気付いて俺は一気に頭に血が上ったが、はっきり言ってさっきの脅しは冗談に聞こえない。
 背中には幾筋もの冷や汗をたらしながら、怒りで頭には血が上る。上は大火事、下は大水なんだ? 俺か!?
 意味不明なことが頭の中を渦巻いている間に、青柳は俺の腕の中から抜け出して手首を縛っていたネクタイをしゅるりと解くと、それをまた何事もなかったかのように自分の襟元に巻いて緩めに結んだ。
 そんなもん巻くなー!
 俺の心境としては、今すぐそれを奪い取って厨房の調理用ガスバーナーで跡形もなく燃やしてしまいたかった。
 微妙に残っているネクタイの皺が、自分の両手の自由を奪っていたという証のようで嫌だった。
「んなもん巻いてんじゃねぇよバカ。ボケ。変態。死ね」
 ありったけの罵詈雑言を吐いても、負け犬の遠吠えのようで情けない。
 俺の言葉に振り向いた青柳は肩を小さく上下させながら笑い、「その格好で言われてもね」と主に俺の下半身に視線を向ける。
 ぎゃー! 見るな、変態ッ。
 慌ててずらされていた下着とズボンを引き上げた。……色々とべとべとになっていて、履き心地は最悪だった。
「今度は機嫌のいい時に襲うから。そしたら、最後までいけるかもしれないしね」
 スタッフルームを出ようとしていた青柳は、思いついたように振り向いて堂々と宣言した。
「アンタが視界に入ったその瞬間から俺の機嫌は地の底を這うだろうよ」
「そう。ならもっと仲良くしてあげていかないと。最初からそんなに落ち込むんだったら、それ以上は悪くなりようもないだろうしね」
 言うが否や、すたすたと青柳は俺の方まで戻ってきて、すっと腰を屈めた。俺は咄嗟に両腕で顔をガードする。
 またキスをされる、と思ったが、ちゅっと一瞬腕に柔らかい感触があっただけで、後は何も起きなかった。
「結構怖がりなんだ?」
「……っ、ざけんなテメェ、ぶっ殺すぞ!」
 臆病者呼ばわりをされるのは俺の一番嫌いなことだった。
 どんなに睨みをきかしても、青筋を立てて怒鳴っても、この男はびびるどころか動じもしない。ただ笑って「やれるもんなら、やってみな」と言うように笑うだけだ。
 それがまたどうしようもなくムカついた。
 その気になれば、どんな巨漢でも伸す自信があるのに、何故かこの男には敵わない。
「ま、頑張りな。まずはそう簡単に襲われないようにしておかないと、いつまでも僕は殺せないと思うけどね」
 自分を殺すとまで言う相手に対してわざわざ「頑張れ」と言うバカはいない。そうできないとわかっているから言うのだと、嫌というほど俺は理解している。
 ちくしょう。
 今度こそ背を向けて「お先。火元・電気・鍵、よろしく」とスタッフルームを出て行ったクソバカ変態オーナーを、次こそ絶対後悔させてやる、と心に誓った。



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