web拍手お礼SS(3) 「焦がすもの」



 ピピーッ。
 試合終了の笛が鳴った。
 コートのネット前で汗をかきながらそれを聴いた俺は、ふと、反対側の同じポジションに視線を向けた。
 少し力を入れれば折れてしまいそうなほどに細い手足は、同じトレーニングメニューをこなしていても一向に逞しくならないところをみると、元々そういう体質らしい。
 地毛とは思えないほど綺麗な茶色をした、眉にかかるくらいの前髪を無造作にかき上げながら、部活用Tシャツの袖でこめかみから頬を伝って滑り落ちる汗を拭う姿を見たあと、自分のドリンクを取りに行った。
 ―――相変わらず、ムカつく。
 それが理不尽で身勝手な感情と知りながら、それでもふつふつと煮え滾るものはどうしようもなくて、持参のボトルを一気に呷る。
 ……入部してからずっと、俺とあいつは同じポジションを争っていた。
 もちろん先輩という壁はあったが、俺にもあいつにも、顧問が言うには素質があるとかで、一年の夏には同じポジションだった先輩たちをおしやって、ベンチ入りできるくらいの実力をつけていた。
 俺たちの実力は伯仲していて、レギュラーでスターティングメンバーに入れるようになると、俺とあいつでそのポジションを独占して、時期によって俺だったりあいつだったり、とにかく力は互角と言っても過言ではなかった。
 俺は元々負けず嫌いで、同じものを目指して争うのであれば、常に勝つのは自分だと、他の奴に負けてたまるかと、いつも自主練を欠かさない。
 部活後も残って練習をしていたし、学校から家までの道のりをランニングし、テスト期間中でもトレーニングメニューを自分で作って一度も休まずにやってきた。
 それなのにあいつは、最初のうちは俺が優勢であるのに、すぐに同じところに立っている。何食わぬ顔で、俺のすぐ後ろを表情一つ変えることなくついてきた。
 鎬を削りあう間柄とか、所謂ライバル関係にある俺たちだが、俺はほとんどあいつと話したことがない。
 ポジションも学年も同じということで、筋トレやストレッチの時によくペアを組んだが、他の奴のように、リラックスして喋りながら、なんてことはほとんどなかった。
 だから俺は、ほとんどあいつを知らなかった。
 どんな教科が得意なのか、食べ物なら何が好きなのか、好きな選手は誰なのか、仲のいい奴からはどんなあだ名で呼ばれているのか……その他諸々、ほとんど知らない。まぁたまに部活内で耳に入ってくるものはあるが、あいつ自身があまり人に話そうとしないため、ごくわずかで、どうでもいいような情報だけだ。
 知っているのは、その細い腕で繰り出されるスパイクの速さと、力強く床を蹴って高く飛ぶ脚と、汗を拭くときの癖くらいだ。
 そして多分、あいつも俺のことはほとんど知らない。訊かれたこともないし、訊かれなければ別に言う必要もない。
 だから気に食わないとか言うんじゃない。
 あえて言うなら、悔しい。
 そうやって、無関心でいられることが。
 俺は知りたいことだらけだ。細い腕のどこにそんな力があるのか、自主トレはしているのか、そのメニューは、使っているシューズのメーカーは、何故―――。
 部員がひしめく中、体育館の隅に立つあいつを見やる。自分でもわかるほど、今の俺は嫌な目つきをしていた。
 ……何故、平然と俺の隣に並ぶのか。
 自分だけ秘密を知ろうなんていうのは卑怯だし、あいつだって、一度も俺にそんなことを訊いてきたことはない。
 だから俺も訊かない。その時点で負けている気がするから。
 何もわからない。ならせめて、少しでも、ほんのちょっとでも勝てるように常に自らを戒めてひたすら努力をした。
 無我夢中で自分を磨くことに専念した。
 そして反応を見る。するとあいつは平然としたまま俺と距離をおかず、ぴったりついてきて、気付くとまた同じ位置にいる。
 入ったばかりの一年にレギュラーをとられて、そのまま辞めていった先輩を気にすることはなく、俺は無関心を装いつつも対抗意識を滾らせていた。
 そんな状態で一年半が経った。未だにあいつは何の変化も見せない。
 ちっとも、まったく、それはもう腹立たしいくらいに。
 俺だけがこんなに熱くなっている。バカみたいだと自分でも思う。
 こいつにだけは負けない。ただそれだけのためにここまで来ていた。
 バレーが好きだから、高校でもやろうと思って入部したはずだ。周囲との連携も大事だが、技術を磨くことは自分自身との闘いであると、外部顧問の誰かもそう言っていた気がする。
 それなのに俺は、己のためではなく、あいつに負けるのが嫌だから、と躍起になって練習を重ねてきた。
 いつの間にか、自分自身の基準ではなく、あいつよりも常に高い基準を目標にしていた。
 でも、俺だけだ。
 そうやっていつもむきになっているのは俺だけなんだ。
 ―――悔しい。
 ―――ムカつく。
 ―――苛々する。
 ―――腹が立つ。
 なぁ、……おい。
 こっちを向け。
 俺を見ろ。
 お前になんか負けるかと、誰も聴いたことがないくらいの声で、口調で、言え―――。
 同じように500mlのペットボトルを一気に呷るあいつの目は、飲み終わった後も、一度として俺を見ることはなかった。
「……クソ」
 誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
 号令がかかる。
 ボトルを置いて、体育館の中央にすぐさま向かう。
 背中が、妙にぴりぴりとしていた。
 それはきっと、悔しいほどに意識しているあいつが、俺の後ろにいるからだ。
 それ以外に理由はない。あるはずがない。
 だから余計に―――ムカつく。



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