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最終話、たったひとつの……。


「ってことが、あんたが来る前にこの店で起きたんだ」
 ちなみに西原はバイトの日ではなかったのだが、永沢が奥で休む代わりとして、根本から直々に呼び出されたのだ。
 一言も口を挟まずに聞いていた葛西は、永沢の方を見た。
 葛西も永沢も何も言わなかった。
「まぁ……俺達がやることはやった。永沢だって、喧嘩したことなんかないのに、拳握って終わらせたんだ。あとは、二人だけの問題だな」
 そんな二人を見ながら上垣はそう言うと、席を立つ。根本と西原に目配せをしてから「じゃあ俺らは店の外にいるから」とだけ言い、出入り口に向かった。
 三人が出て行くと、店のドアの乾いた音だけが店内に響く。葛西は何かを言いたいのに言葉が見つからない。
 葛西のために…わざわざ人に頭を下げてまで報復した、という事実が葛西ここ数日考えていたことを否定し続けていた。
 言葉は既に用意してあったはずなのに、それがどんなものだったのか、葛西は忘れていた。
「永沢…」
「葛西サン…」
 タイミング悪く、二人同時に声をかけてしまい、そして双方が押し黙る。それでも先に話し始めたのは永沢の方だった。
「少し……痩せたね」
「そう、見えるか?」
 心配そうな瞳を向ける永沢を葛西は直視している事が出来ず、体を斜めにして目を逸らす。
「葛西サン……いきなり、いなくなってごめん。大変だったでしょ、家事とかさ。それにまだ荷物とかも残ってるし……。今度から手伝いに行くよ。暇があったらサ」
 暇なんてなくても行くつもりで永沢は提案した。
 何で、そんな事言うんだよ。心の中で葛西は呟いた。
 嫌われたとか、あれだけ悩んでいたのに、遠慮がちに紛らわすような笑顔を向ける永沢が少し憎らしく見えた。
「別に……お前が出て行きたいって思ったんならそれでいい。元々、永沢がいない生活が当たり前だったんだ。今更いなくなっても変わらねぇよ」
 天邪鬼にも意地を張る葛西は目も合わせずに、心とは真逆のことを口にする。それさえも辛いというのに。
「そう……ならいいか。何か、迷惑そうだし」
 シュンとした様子で永沢は残念そうに呟く。
「もう住む所は決めたんだろ?」
「……まだ。今は―――」
 と言いかけて、永沢は口を閉じた。聞かれたくないことでも言いそうになったのだろうかと、葛西は表情を曇らせた。
 ―――言えない、理由。
 本当は頼れる人間がいたにも拘らず、葛西を選んだことに疑問を抱かれてしまうからだ。
 やってしまったことを二人とも弁解しようとはしない。割り切るのが苦手なくせに、葛西は気にもしていないかのように振舞う。
 意味がないとわかっていながらも。
「とりあえず、明日か明後日にでも、残りの荷物取りに行くよ。だから……」
 白々しく手を引こうとする永沢に葛西はだんだんと怒りに近い激情がこみ上げるのを感じた。
 そして、言葉の勢いが口腔を押し開いて溢れ出す。
「何なんだよ、それ。いきなりいなくなったかと思えば裏で危ないことやって、自分のためにならないくせに、どうしてそんなことすんだよ? 慰謝料代わりだってんなら、迷惑だ。俺の事が嫌いなら、はっきりそう言えよっ!」
 どれだけ悩んだのかお前はわかっていない。そんな言葉を貰いに、今夜ここに来たわけじゃないんだ。渦巻く心の中で、折れないように葛西は言いきかせる。
 葛西は席から立ち上がって怒鳴った。永沢は目を丸くして葛西の剣幕に少しの間言葉を失くしていた。
「葛西サン。それは違うよ」
 永沢は顔を真っ赤にして、潤んだように見える目で睨みつける葛西の言葉をはっきりと否定した。
「じゃあ何だよ…!」
 高ぶる感情を抑えられず、尖ったまま永沢にぶつける。これではどっちが年下なのかわからない。  永沢は躊躇ってから、決心をしたかのように一度息を付いて話し始めた。
「葛西サン。俺がいなくなったのは、葛西サンが嫌だったからじゃない。でも葛西サンを誰よりも大事に思ってるから、離れなくちゃいけなかったんだ」
「何で……」
「俺はね、葛西サン。ずっと葛西サンの事が好きだったんだよ」
 恋愛感情で、と永沢は自嘲気味な笑みを浮かべた。
 対する葛西は言葉の意味をしっかり理解するまで硬直し、してから今度は別の意味で頬を赤く染めた。
「…………」
 黙ったまま何も言う事が出来ない葛西をそのままに、永沢は続けた。
「葛西サンが薬を盛られた夜に、葛西サンは俺に助けてって縋った。でも本当は自分の欲望を抑えるのに精一杯でもあったんだ。自分が信用して頼った人間に裏切られたらって思ったら、葛西サンを理性で守ろうと必死になった。葛西サンを傷付けたくなかったから」
 それでも今の永沢ではそれが限界だった。これ以上葛西と一緒にいたらいつか感情が暴走して、何をしてしまうかわからない。
 それを誰よりも危惧していたのは永沢だ。
「葛西サンが男に興味がないってことも知ってる。俺自身、男に惚れるなんて思ってもみなかったしね。……それでも葛西サンが一番、大切だと思ってる。俺が葛西サンを嫌ってるっていう誤解だけは解いておきたい」
 愛しい人に、せめて気持ちだけでも綺麗なままの形で憶えていて欲しいというのは真理なのだろう。その人に「いい人だった」と言って貰えるのなら、たとえ叶いはしない恋だとしても、幸せなことだ。
「だから俺は戻らない」
 人懐っこい、それでも哀しげな笑みを端整なその顔に浮べて言った。それが葛西とのことで永沢がつけた決心だった。
 あまりに馬鹿げていて、あまりにも哀しいすれ違いに笑い声も出ない。
 それでも葛西は笑った。その頬には涙が一筋、音もなく伝っていた。
「かさ……」
「ふ、ざけんなよ……。俺がこの数日間、どんな気持ちで過ごしたか知らないから、そんな綺麗事ばかり口に出来るんだ。お前が勝手にいなくなったって痛くも痒くもないって言いきかせるのにも苦労して、結局ダメで。お前が悪いんだ……!」
 震える声は大きさを増して永沢を理不尽な理由で責め立てる。
「いきなりいなくなったせいで生活が大変なのはわかってるつもりだよ。それでも俺は―――」
「全然わかってねぇよ!」
 何をわかってるんだと永沢をきつく睨む双眸には、抑えきれない感情のような涙が溜まっている。幾筋も伝うそれを拭うこともせずに葛西は怒鳴った。
「頼った人間が裏切るって、逃げたお前のその行為自体、裏切りになるんじゃねぇのかよ。突然目の前からいなくなって、一人で不安や孤独と一緒に過ごさなきゃならないのなら、一思いにキレて何もかもメチャクチャにしてくれた方がまだマシだ!」
 この気持ちを認めるくらいなら、突き放してくれた方がいい。
 けど誰よりも大切に思ってくれる人がいるのなら、喜んでそれを口にするだろう。
 心のどこかで息を潜めていた気持ちが葛西の背中を押していた。

「俺は永沢純を、何よりも失いたくないんだ」

 家族や友人、自分を頼ってくれる人よりも、葛西は永沢を選んだのだ。
 酔った勢いの出逢いは、人生の中で何よりも最悪。過ごした時間は儚くて知らぬままにすれ違い、気持ちは離れ離れ。けれど互いが相手を大事に思える時間だということは変わらない。
 気持ちが通じ合う今は幸せなのだ。
「ありがとう、葛西サン」
 永沢は立ち上がって涙をボロボロと流し続ける葛西の頬を両手で包み、そっと口付けた。


「永沢、そっち手伝ってくれ」
「はいはーい」
 玄関からリビングに通じる道を塞いでいた箪笥の片側を持って、葛西はリビングの隣でベッドを動かし終えた永沢に声をかけた。
「よいしょ、と」
「そっち、重くない? 彰サン」
「あぁ、大丈夫」
 小さめだが重量のある箪笥を、リビングを通って『永沢の部屋』に運んだ。
「ふぅ。あと家具類とか、ないよな。机もベッドも置いてあるし」
「うん。ありがとう」
 永沢は葛西の頬に軽くキスをした。葛西はその部分を手で押さえて真っ赤になりながら後退る。
「だから、何でいちいちキスなんかしてくるんだよ。それに彰サンって何だ」
「だって、俺たち恋人同士じゃん……」
 名前呼びって何処か憧れていたけどな……と残念そうな顔をされれば、葛西は勢いを失う。
 本当はキスも名前も気恥ずかしいからなのだが、年上のプライドなのかそれは言えなかった。
「わかった…。もう何とでも呼べ。けど、俺は純なんて呼ばないからな。苗字慣れたし」
 間柄の変化はあっても、葛西の天邪鬼ぶりは全く変わっていなかった。
「名前、憶えててくれたんだ」
「あ、当たり前だろ…。そんなことでいちいち喜ぶな」
 永沢の表情がふわりと明るくなる。「現金な奴……」と憎まれ口を叩くものの、葛西自身、永沢の笑顔が気に入っていた。
「っと、もうそろそろ三時か……。西原がこの前の借りで俺にシフト押し付けたんだよな。これから店に行かないと」
「そっか。気をつけてな」
「あれ、来ないの? 今なら堂々と入って構わないけど。俺がどんなことしてでも、彰サン守るし」
「バカ!」
 冗談とも、本気ともつかない表情で言われ、葛西は真っ赤にした頬をそのままに永沢の頭を思いっきり叩いた。


 都内のほとんど目に付かないビルの地下。連日賑わうその店は、多少のいざこざはあるものの、他の店にはない本当のよさがある。
 厳しい規律の社会の中で現実の辛ささえも気にすることのないこの場所は、誰にとっても自由に羽をのばす事が出来る。
 自由な空、その下に本当の自分が在るのだ。


End
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