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14、けじめのかたち


 葛西が店に来た時間からざっと三時間遡った午後十時。今日も相変わらずの客足で、永沢はカウンターに立ちながら注文されたカクテルをミスなく作り続けていた。
 そして、目の前にはいつもとは違う表情で席に座る上垣の姿があった。
 上垣は他の仲間と話をすることもなく、永沢の休憩時間を待っていた。
「永沢、こっちはウチがやるから休んできな」
 以前葛西が来たときにカクテルを作っていた女性店員が、奥のほうから顔を出して永沢に休憩するように促す。
 ずっと立ちっぱなしで番をしていたので、少し伸びをしてからカウンター席に移った。
「それで…調べてきてくれたんですか?」
 間近にいる人間でしか聞き取れない程度の低くボソボソとした声で永沢が上垣に訊いた。
「もちろん。今日もう少ししたら来るってこともサーチ済み。それで、そいつのことだけど…」
 と、おもむろにテーブルの下に設置してある荷物置き場からA4版の封筒を取り出して、中からクリップで留められた数枚の紙を取り出す。
 黒い活字体で記されたその紙には永沢が「探して欲しい」と頼んだ人物についての詳細な情報が載っていた。
 永沢はそれらに素早く目を通す。
「まぁ……短期間にしては随分といい情報が得られたと思う。結構有名な奴だったよ、『以前、弄ばれた』って人間も結構いた。この店で薬を使って引っ掛けて、近くにあるホテルに連れ込むっていう常套手段。嫌な奴でさ、一度寝た相手の写真を撮って、脅すらしい。何をされても、文句は言えないってワケ」
 話に耳を傾けながら読み進めていく永沢は、ある部分に目を留めた。上垣も永沢の視線の先にある文章を見て目を細めた。
<独自の密輸ルートを持っている可能性が高く、他にも性奴隷の売買に関わっているらしいが、確固たる証拠がない>
「その部分はどうしても入り込めなかった。裏の人間でも、そっち方面にはあまり仲間がいないし、関わることも仁が許さないから。ただそこにあることは、本当のことだと思ってくれていい」
 仁とはこの店のオーナーの根本仁のことで、上垣と熱愛中の男だ。常連客や全店員には周知の仲である。
「…………」
 永沢はしばらくの間沈黙していた。
 葛西サンが――――もし俺がいなかったら、とても危険な目に遭っていたかもしれない。
 そう考えるだけで、永沢は怒りに近い感情が湧いてくるのを感じていた。
 ただの媚薬だったから良かったものの、あのまま加賀が戻らず永沢もいなかったら、連れ込まれていいように葛西を蹂躙され、もっと悪ければそのまま人身売買にだってかけられていたかもしれなのだ。
 自分の大切な人間をそんな危険な目に遭うような場所にいさせてしまった自分への怒りと、葛西に触れようとした男への怒りは永沢の握り締められた拳を更に白くさせていた。
 その時だった。店のドアがカランと乾いた音を立てて開く。
 ハッとなって顔を上げた二人は目を見開く。
 ―――来たのだ。
「――――ッ!」
 永沢が怒りに任せて席から立ち上がろうとするのを、上垣は肩を上から押さえて止める。
「純、ダメだ。今はまだ事を起こすな。あいつが最近手持ち無沙汰だってこともわかってる。…今夜が潮時だ」
 向こうがいつもの手口で連れ込むところを押えた方がいい、と視線できつく永沢に言い聞かせた。
 表情が硬くなったまま、永沢は肩を押さえる上垣の力と視線に圧倒されて渋々ながら席に着く。
 十分に永沢を諌めた後、上垣は注意深く男の行動を見ていた。定位置なのだろう、いつも空いているカウンターの一番隅に腰掛け、交代したばかりのバーテンダーにカクテルを注文していた。
 まもなくして、また客が入ってきた。上垣はチラリと見やった後で永沢に「今入ってきた奴を見てな」と言った。永沢も隅で出来上がったばかりのカクテルを飲んでいる男の方が気になっていたが、上垣が言うのだからとそちらの方に目を移した。
 入ってきた客は二十代か、もしくは十代後半の若い男だった。永沢とさして年齢は変わらないだろう。目が二重で大きく、実年齢より若く見えてしまうのだとしたら二十あたりが妥当だろうか。
 入ってきたときからその客は落ち着いた様子がなく、何かに怯えているような目でキョロキョロと店内を見渡した。
 その顔がある一点を見て強張った。永沢がその目の先に視点をずらす。カウンターの一番隅に座る男を凝視していた。カクテルを飲んでいる男は気付いた様子はなかった。
 永沢はじっと様子を観察してみる。
 目立たないようにしているのか、テーブル席の間を縫うようにして進み、上垣から二席空けて腰を下ろす。
 先程より間近で見た永沢は、その強張ったままの表情で俯く客に従業員の仕事として声をかけなければいけないのだろうが、あの男と繋がりがあるのならと考えると、どうしても私情のために踏みとどまってしまった。
 それは上垣も重々承知の上だった。もし関係がない人間だと判断したならば、声をかけに行くのは多分永沢よりも上垣の方が早いだろう。
 若い男は、カウンターの隅にいる男に時折目を移しながら、何も頼まずにそこでじっとしていた。
 そして数分たった後、上垣が永沢を突付いた。慌てて今度はカウンターの隅に目を移す。男が立ち上がるところだった。目は真っ直ぐに上垣の後ろ辺りに向いていた。
 そして、ツカツカと永沢と上垣の背を通り過ぎ、若い男の肩をトントンと叩く。
 永沢はさりげなくショートエプロンをカウンターの荷物置きの中にたたみ入れ、上垣といつでも店を出られる用意をした。
 その間ずっと見張り続けている二人は、こちらの視線に気づいた様子はなくボソボソと二言三言交わしていたが、急に若い男の方が立ち上がった。言葉がはっきりと聞こえてくる。
「もう嫌なんだよ! アンタの相手をするのにはウンザリなんだ」
 それほど怒鳴ってはいないので、永沢と上垣以外はBGMのおかげで気にもならないらしく誰も聞いていない。
 はっきりと言われても、もう一方はニヤニヤとさも面白そうな下卑た笑みを浮かべて、上着のポケットからハガキサイズの茶封筒を取り出してみせた。
 すると若い男は勢いをなくしかける。「証拠写真」というものなのだろうか。
 それでも若い男は怯まずに繰り返す。
「いいよ、それでも。アンタがそれを公開したいならすればいい。俺を人として対等な立場で接してくれる人間がたった一人いる限り、俺はアンタを恐れない。アンタみたいに脅すことでしか人を繋ぎ止めておくことの出来ない奴に恐れる必要なんかどこにもないんだよ」
「何だと……っ」
 すると男が手を上げた。若い男は抵抗する気はないらしく、ただジッと男を睨みつけている。その瞳には永沢と同じくらいの強い眼光が宿っているように思えた。
 男が腕を振り下ろそうとした。
「――――っ」
 今度こそと言わんばかりに永沢は乱暴に席から立ち上がる。上垣も同じ気持ちだったらしく、同じようなタイミング勢いよく立ち上がって二人の方へ突っ込んでいく。
 ――――パシッ!
 皮膚と皮膚のぶつかり合う音がするのと、永沢が手を伸ばしたのはほぼ同時だった。
 遅かった、と思った永沢は、目の前にある黒く大きな影にハッとなった。
 いつの間にか、店内は水を打ったようにシンと静まり返っていた。
 それは永沢の前に立つ黒いスーツに身を包んだ男の突然の来訪に誰もが驚き、そしてまた見惚れているからだった。
「仁……!」
 その場でまともに口を開いたのは上垣ただ一人だけだった。
「お客さん、俺の店で傷害事件を起こすのはやめてもらえませんかね?」
 根本は憤然とした態度で百七十センチ強の男を余裕で見下ろしていた。短髪に黒のスーツ、そして他のものを圧倒するほどの鋭い眼光を嫌というほど間近で見せ付けられ、永沢は声が出なかった。
 振り下ろされたはずの拳のすぐ下…手首を根本の手がギリギリと締め付けていた。
 すぐさま男は顔を苦痛のために歪め、腕を離そうと必死でもがくが、根本の腕はびくともしなかった。
「全く…淳也が何を嗅ぎまわってるのか、心配になって来てみたら、傷害未遂の現場かよ。淳也、少しは大人しくしてくれないか。たとえお気に入りの奴の頼みだとしてもな」
 ギリギリと男の手首を締め付けながら根本は顔だけを永沢に向けて、キッと睨んだ。殺気に近いものを永沢は感じ取った。
「危ない!」
 すると若い男が叫んだ。根本がハッとなって男の方に顔を向けると、銀に光るものが根本の鼻先を掠めていった。驚いて根本はパッと締め付けていた手首を放す。
 最早痴話喧嘩や脅しどころの問題ではない。
 男が開放されたもう片方の手を添えたのは、刃渡り十センチほどのナイフだ。客がざわめき、皆波が引くように店の端に避難している。
 そしてもう一度根本の方に奇声を上げながらナイフを突き出す。上垣は咄嗟に反応が遅れてしまった根本の背中を押して、そのまま店の床に倒れこんだ。
「煩い、うるさい! 二度とそんな口利けなくしてやる……!」
 男はクルリと向きを変え、若い男の方にナイフを向けながら突進していった。若い男の方は足がすくんで動けないのか、恐怖に引き攣った顔をしたまま動かない。ナイフとの距離はほとんどないのだ。
「っの野郎!」
 永沢は男の後ろから思いっきり飛び込んで、男もろとも床に倒れこんだ。若い男の心臓辺りをすれすれにナイフが落ちていった。
「放せっ! 殺してやる!!」
 男はすぐ近くに落ちたナイフを拾い上げ、永沢に向けて突き立てる。
 永沢は思うように身動きが取れず、咄嗟に腕で頭をかばった。しかし、男の方がただがむしゃらにナイフを振っただけだったおかげで、腕を掠める程度で済んだが、チリチリという痛みに永沢が腕を見ると、ドクドクと鮮血が流れ出していた。
 永沢は歯を食いしばって反対側の拳を痛いほど握った。
「二度と現れるな―――!」
 そしていち早く膝立ちになり、態勢を立て直そうと上体を起こした男の顔面に重いストレートを炸裂させたのだった。


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