1、誰のバイク? 時刻は十一時。すっかり暗くなり、人気がほとんどなくなった駅前のロータリーを抜け、俺は駐輪場で自分のバイクを探していた。 俺は今、かなり焦っている。それはもう怒りとして吐き出すくらいに。 「あーもうっ。何が歌いたい、だ。ただの合コンの数合わせじゃねーかよ、あの野郎。門限フツーに破っちまったじゃねーか」 コレだ、とバイクのシートを持ち上げ、中に自分の学生カバンを放り込み、元の位置にシートを戻してからエンジンをかけた。ヘルメットなんて気にしている余裕はない。 高校に入って、都内の普通よりちょっとレベルが上くらいのところに通うことになった俺は、同じく都内の安アパートで一人暮らしだ。 家賃が都内にしては破格だったところを選んだはいいものの、駅からは歩いたら二十分くらいかかるような場所にあったせいで、寝坊した日は免許を取ったばかりのバイクで駅まで行っている。もちろん、安全運転でいずれはゴールド免許にしてやるけど。…ってか今ケーサツに見つかったら違反だよな、ヘルメットしてねーし。 どんなに急いでても、制限速度はしっかりキープ。…隣で二人乗りのバイクが猛スピードで突っ切っていくのを傍観する度に、自分の性格が恨めしいけど、命あってのなんとやらだ。 そんなわけで単身上京してきたのはいいけど、自他共に認めるブラコンな俺の兄貴が出してきた条件があった。 それは「毎晩十時には絶対に家に帰る事。そして十時半に実家に連絡を入れる事」だった。 別に十時以降まで遊ぶ事は滅多にないし、そんなんでいいのならと俺は快諾した。それを悔やむ気はない。全ては同じクラスの大林拓海のせいだ。 「たまにはカラオケ行こうぜ。今、めっちゃ歌いたい曲があってさ〜」 そう言われて、財布の中身と相談してから渋々頷いて連れてこられたいつものカラオケボックスには、数人の女子と隣のクラスの奴がいた。 結局、拓海が歌いたかった曲とは、女の子に「自称・アーティスト顔負けの歌声」を披露するための、何度も聞かされた十八番だった。 その後はやんややんやの大宴会。合コンどころの騒ぎじゃなかった。 騒がしいのはあまり好きじゃない俺は、何度か抜け出そうと試みたが、制服の裾を引っ張って引き止めようとする女の子の目にやられてしまったわけだ。なんて優しい(不器用な)俺…。 やっと解散の合図がでて、ダッシュで最寄り駅に行くと、もう「兄貴コール」の時間は過ぎていた。 俺はバイクをアパートの駐輪場にとめると、自分の部屋に猛ダッシュする。 今更遅いことはわかっているけど、早く連絡を入れてやらねーと、それこそ兄貴、朝まで電話の前に居座りそうだからな。 ガチャガチャと慌しく鍵を開けて部屋に入ると、丁度着信メロディーがワンルームの室内に響いた。 その時点でカバンを玄関の棚の上に放り出し、靴も脱ぎ散らかしてコードレスホンに飛びついた。相手は確認するまでもない。 「兄貴!?」 『っ、どうしたんだ理人? な、なにかあったのか!?』 慌てて電話に出た俺にびっくりしたらしい兄貴は、仰天したようだった。 「ち、違うよ…。今日ちょっと友達に引っ張りまわされてさ、帰るのが遅くなったんだ。ゴメン、約束破って…」 俺の泣き顔とか、後ろめたそうに呟く声に兄貴が弱いことを熟知しているから、説教を回避するために早速いつもの作戦に出る。 『そ、そうか…。まぁ今回が初めてなんだし、ちゃんと友達にも今度からは断って途中でもいいから帰ってこいよ』 思惑通り、兄貴は何一つ文句を言う事もなく許してくれた。ブラコンな兄貴を持つって何だか嫌だったけど、色々と守ってくれるから役に立つんだよな。俺って薄情な弟。悪びれもなく自負してるあたり、かなり嫌な奴なんだろーな。 それに気付けていない兄貴は、いつものように今日あった出来事を聞かせて欲しいと言って来る。 と、その時キャッチが入ってきた。 「あ、兄貴ゴメン。キャッチ入ったから、また後で電話かけなおすよ」 『あ、あぁ。ちゃんとかけなおすんだぞ』 「わーってるって。じゃ、またあとで」 電気を付けながらキャッチの方に切り替える。 「はい、東です」 『あ、理人? 拓海だけど』 電話の主は俺を不機嫌にさせてくれた張本人で、一気に声のトーンを下げた。 「んだよ、拓海。散々迷惑かけといて、まだ何かあんのか?」 『悪ぃ悪ぃ。でもさ、お前帰るの早いな。バイク乗れねーのに。ダメもとで連絡入れたから驚いた』 「は? 俺フツーにバイク乗ってったけど?」 俺はふとバイクを降りたときに抜いたキーをポケットの中から引っ張り出す。 その途端、俺はパキッと音を立てて固まった。 『えっ。お前のバイクの鍵、俺のカバンの中に紛れ込んでたぞ? それで電話したんだけどさ、勘違いだったか?』 「いや、多分…それは俺ので合ってると、思う…」 俺が手にしていたのは、イニシャルの入ったシルバーのプレートがチェーンでつけられたキーだ。俺のには交通安全の小さなお守りが付いているはずだ。 念のため、キーに刻まれているナンバーを確認した。そんで、俺が乗ってきたのは正真正銘、赤の他人のバイクだということが確定した。 これは…まずいかもしれない。 とにかく駅まで戻んねーとっっ。 『ってことは……』 受話器の向こうで呑気に感づき始めた拓海に「悪いっ」と通話を切った。 机の引き出しを開け、予備のキーを探し出してポケットに突っ込むと、たった今飛び込んできたはずのドアから飛び出した。 脱兎のごとく駐輪場に向かい、バイクのエンジンをかける。確かに色も形も似てるけど、白いプレートに表示されているナンバーは全く別のものだった。 「まずい…マジで早く返しに行かねーと」 兄貴ゴメン。やっぱ電話は遅くなりそうだ。 心の中で呟いてから、来た道を制限速度ギリギリで走る。どんなに焦っても制限速度だ。そこまで速いってワケじゃない。 駅の駐輪場に戻ってこれたのは、合計で約三十分後の十一時半のことだった。 バイクを元あった場所に戻すとき、途中で自分のバイクとすれ違った事に気付いて、あちゃーと額に手を当てる。 先に進むと、戻そうとしていた位置で何かが動く気配があった。俺は瞬時に身構えたけど、取りこし苦労だったみたい…かな? どうやら座り込んでいたらしいその人は、やたらでかかった。身長は余裕で百八十は超えてたし、肩幅もそれなりに広くてがっちりしてるように見える。けど、そんなに筋肉モリモリッ…てワケじゃなくて、均整の取れてる体つきってやつだった。 ヒョロヒョロ手足だけが長く見える俺と違って、かっこいい。 と、そこまで考えてハッとなった。さっきからその人は、俺と事故とはいえ拉致ってしまったバイクを凝視している。 えーと…もしかしなくても……。 「この…バイクの持ち主さん、です…か?」 「お前、何してる」 恐々訊ねると、逆に凄い低くてドスのきいた声で返されて「ひっ」と思わず小さな悲鳴を上げてしまった。 辛うじてバイクは放さなかったから、一ヶ月くらい平気で常駐してる自転車やバイクを巻き込んだ「ドミノ倒し」なんて、いかにも機嫌が悪そうなこの人の前で起こすことはなかったけど。 その人が一歩足を踏み出して、思わず俺も一歩後退る。…って、何で俺逃げてるんだよ。このバイク返さなきゃいけねーじゃん。 でも近づくには少し勇気が足りなくてその場で向こうから来てくれるのを待っていた。 …ち、近くで見るとやっぱりでかい…。威圧感が一味違う…。 「えと……あの、す、すいませんでしたっ! 俺、慌ててて、バイク間違えちゃったみたいで…」 冷や汗を流しながらも「笑顔笑顔」と言いきかせて謝ったけど、やっぱり口の端辺りは軽く引き攣ってる感じがした。 それが癇に障ったのか、さっきよりも鋭くなる眼光。 ひぃいぃいいい―――――――っっ! 兄貴、どうすればいい、こんなときっっ。 やっぱいくら「笑顔が妙に可愛いよな、お前」って不本意ながら言われ続けてるって言っても、こんなときにまで振りまくようなモンじゃなかったのかっ。 不意に手を伸ばしてきて、俺はビクリと肩をすくめた。 な、殴られる――――っっ。 ――あぁ、短い人生だった……。ゴメン兄貴、俺、兄貴より先に死ぬとは思わなかったよ……。 逃げる事も足がすくんで出来なかったから、心の中で俺が死んだら多分一番悲しむであろう兄貴に向かって謝った。 目をギュッと瞑って衝撃をじっと待ていたけど、いつまで経ってもそれは訪れない。恐る恐る目を細く見開くと、クイッと顎を持ち上げられた。 「お前、名前は?」 「へぁ? あ、名前…。あ、東理人ですけど…?」 あまりの唐突さに自分の名前すら思い出すのに苦労したよ、俺。 いつも思うけど、理人って頭のいい人的な雰囲気あるわりに、俺自身はそこまで良くないんだよな〜。 ……なんて思ってる時じゃねぇっっ。 「アズマリヒト……ねぇ」 その人は名前を思いっきりカタカナ読みで復唱しながら、ジロジロと俺の顔を眺める。 妙に感心してねーか? この人……。いや、名前と姿かたちが合わないって心の中じゃ笑ってンのかも…。 そう考えるとだんだん腹が立ってきて、俺は顎を掴んだままの手を引き剥がしてバイクのハンドルを握らせる。 「あのっ…今日は本当にすいませんでした。俺はもう時間がないので帰ります。それじゃ」 伊達に陸上の短距離走をやってるわけじゃない俺は、陸上部内でも有名になりつつある華麗なスタートダッシュを決め、数メートル先にあった自分のバイクの鍵穴にキーをねじ込んでエンジンをふかす。 「おい……ちょっと待て」 「そんな怖い顔しながら言われて、待ってやる奴がいるか! もういいだろ、こっちも忙しいんだっ」 そう吐き捨てて俺はとっととその場所から離れた。 あ、またヘルメットしてねーや。あぁもう、人が親切に用事――大した事でもないけど――を後回しにしてバイク届けてやったのに、怖い面で寄ってくるからいけねーんだよ。 「っていうか、キーくらいちゃんと抜いとけよな、間抜け」 十分駅から遠ざかって、ボソリと呟いた。 イライラ気分が完全に抜け切らないまま、やっとアパートに辿りついた俺は、シャワーを軽く浴びてさっさと布団の中に潜り込んだ。 いつもの就寝時間はとっくに過ぎていて、すぐに眠る事が出来た俺は兄貴への電話をすっかり忘れていた。 *ご意見・ご感想など* ≪BACK NEXT≫ |