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2、黒ベンツの王子様


 翌日、少々寝不足気味でフラフラと登校した俺は、校門に差し掛かったところでやけに陽気な声に話しかけられた。
「おっはよ〜。今日は遅かったな、理人」
 その声の主と言葉に俺は眉根を顰めて振り返る。
 そこには予想通り、ケロリとした顔の悪友・拓海が立っていた。
「お前…どの面下げてそんなこと言えんだよ。だいたいなぁ、お前があんな嘘ついてカラオケボックスん中に閉じ込めてくれなきゃ、俺は自分のバイクのキーをお前の荷物の中に紛れ込ませることなく帰宅し、赤の他人の鋭い眼光に当てられなくて済んだんだからな!」
 そんでもって、兄貴への電話を忘れることはなかったンだ!
 昨日の夜、結局電話をすることを忘れていた俺に朝っぱらからかかってきた兄貴の電話は、めちゃくちゃ声が不気味で、説教というよりはお経を聞いているような感じだった。
 朝は時間がない。しかもいつもより寝る時間が遅かったせいもあって、その電話に起こされた俺は朝練に行くには遅い時刻までベッドの中にいた。
 拡声ボタンを押して、着替えたりご飯食べたりしながら電話の受け答えをギリギリまでしていたせいで、俺より寝不足気味でやつれた様子の兄貴の声が、未だに耳に残っていた。
 でもそれをコイツに言うと、この二枚舌は尾ひれまで付けてブラコン兄貴の存在を学年…いや、学校中に広めかねない。
「悪かったって。まぁそのおかげで、俺様はまた彼女をゲットできたわけだし。でも、俺ばっかり責めるのもどーかと思うけど。鍵がないのに気付かない方にもちょっとは責任あるんじゃなーい?」
 ……それはテメー側の利益に過ぎねーだろうが。
 悪びれもなく女口調で言葉を締めて、プラス首をかくっと振ってくる拓海に一瞬おぞましいものを目撃した気分になった。
「気色悪いな。首をわざと可愛らしく振るな。女子がやったら確かに可愛いかも知んねーけど、バリバリ男色の奴がすんなよ」
 制服の裏側でゾワゾワと総毛が立つのを感じながら、仕返しとばかりに背中に一発平手をお見舞いしてやる。
「――ってー、何しやがる、アホ人」
「自分よりバカな奴にアホ呼ばわりされたくねーよ、バカ海」
「学年順位たった一位差だろうが」
「一位差でも二位差でも、俺が勝ちなのは変わらねーんだよ」
 べーっと舌を出して、ダッと校舎に向かって走り出す。口喧嘩で拓海に勝った記憶はない。最初は優勢に見えても、後からだんだん丸め込まれて、墓穴を掘ったことは数えてたらキリがないほどだ。
 だから「逃げるが勝ち」って、たまになるほどって思えるんだよな〜。
 まぁ同じクラスだから、後で会うんだろうけど。
 あ、バイクのキー返してもらうの忘れてらぁ。……まぁいっか、それも後で。
 下駄箱に靴を突っ込むと、中でガサリという紙の擦れる音がした。
 …何だ?
 俺は突っ込んだ靴を引き抜いて中をまじまじと観察した。そこには一枚の紙が折りたたんでおいてあった。きれいにたたんであったみたいだけど、乱暴に靴を突っ込んだせいで形は見事にグッシャグシャだった。
 まずその紙を下駄箱から取り出す。中身を見ようとして、俺はある考えに身を固めた。
「…………っ!!」
 こ、これはもしや…ラブレターという奴なのでは!?
 十六年と半年ちょっとの人生で、バレンタインデーのチョコすら近所のおばさんにしか貰えていなかった俺に……こんな日が訪れるなんて…っ。
 きっと悪友に使われた俺に神が恵んでくれたに違いない。
 俺は声にならない歓声を上げてホールドアップをしながら更にその紙を握りつぶしていた。
 やったよ、兄貴! 俺にもついに春が来たんだーっっ。
「……何してんだ、お前」
 後からゆっくり歩いてきた拓海に後ろから突っ込まれるが、俺は晴れ晴れとした表情で振り返る。
「拓海、見ろ! 下駄箱の中に手紙が入ってたんだ」
 ヒラヒラと紙を拓海の前で泳がせる。拓海は皺が大量に寄っているその紙を数秒間見つめた後で、はぁ〜と溜め息をついた。
「いきなり何だよ。俺にもとうとう春が来たんだぞ」
「だってお前…まだその中身確認してないんだろ? 伝言って可能性もあるじゃねーか」
「だから、告白の場所を指定する伝言だろ?」
「お前って、本っっ当におめでたいっていうか、可哀想な奴だな」
「???」
 そういうことはまず中身を確認してから言うんだな、と拓海はごもっともな言葉を吐いて上履きに履き替えてからスタスタと行ってしまった。
 何だ、あいつ。……自分には両手の指じゃ足りないくらいの女がいるからってさ。俺に一人ぐらい分けてくれてもいいじゃねーか。
「……後で暇があるときに見よう」
 俺は小さな幸せでも後回しにするタイプだから、休み時間に誰もいないところで見ようと決めて、紙をポケットに突っ込んだ。
 教室に行く前に、顧問に謝りに行こうと職員室へと足を向けた俺は、怒鳴り声と罰トレのメニューを散々頭に叩き込まれ、ラブレターの事なんかすっかりサッパリ忘れてしまった……。


 待ちに待った昼休み。早弁したせいで、既に俺のカバンの中にコンビニ弁当はない。残骸ならあるけど。
 俺は購買のパン争奪戦で見事手に入れた戦利品の焼そばパンとピザパンとサンドイッチを手に、開放禁止の屋上に向かった。
 先輩からのツテで手に入れたドアの合鍵を使って、青空広がる俺専用の食堂に出た。
 いつもは拓海と一緒だけど、あのバカは先公に呼び出しくらってやがる。
 俺は今にも壊れそうな梯子を使って、入口の真上にある貯水槽のところに登った。
 もし先公が来たとしても簡単には見つからないからな。風が強いときは無理だけど。
 俺は鍵をポケットに突っ込んで、早速パンの袋を開けようとした。
 けど、またもや手に違和感を感じる。何だか鍵がクッションの上に落ちたような…。
 でも俺、ポケットにミニクッションなんて入れてないよな。拓海の悪戯か?
 鍵を別のポケットに入れて、クッションの正体を引っ張り出してみると、それはクシャクシャになった紙。
「…………あ」  そーいえば、朝下駄箱の中に入ってた紙をポケットん中に突っ込んだまま忘れてたな。
 本当にラブレター……だったら嬉しいな〜。
 何で朝っぱらからあんなに騒げたのか、熱が冷めたら逆に不思議に思える。
「ま、拓海の話題のせいだろうな。とっとと中見てどーでもなかったら紙飛行機にでもして飛ばそう」
 俺はもう伸ばしたって取れそうもない皺の付いた紙を破らないように広げた。

〈AM十時までに家に戻れ。でないと大変な事になるからな〉

 AM…。AMって俺の頭が正常に動いていていれば午前って意味だよな?
 で…大変な事になるって…?
「な、ん、で、脅迫文なんだよ。しかも何が大変なんだっつーの。アパートに隕石でも落ちてくんのか?」
 いや、それだと逆に逃げろって促すはずだよな。アパートの方に戻るのか、実家に戻るのか区別もつかん。
 いや、真面目に考えるな俺。これはそう、つまり…ただの悪戯だ。
「ケッ、くっだらねー」
 俺は紙飛行機にするのをやめ、元々クシャクシャにしていたのをもっとグシャグシャにし、ボール状にして校庭に投げた。
 最後まで見送ることなく、とっとと視界から外れる紙の塊から残りのパンに目を移した。
「はー、期待して損した」
 まぁ元々期待できるもんなんてねーケドな。
 っていうか、どうして拓海のバカには彼女が何人も出来て、俺には一人もできねーんだよ。
 そーいうのを「フコーヘー」って言うんだろ。
 俺の方が頭いいし、体育の試合でも俺のチームが勝ったし。…向こうは拓海一人が大活躍して、女子がキャーキャー騒いでたけど。
「あーもう。俺には過度なブラコン兄貴しかいねーのか!!」
 いつまで経っても屋上に来ない拓海を嫉みながら、メシが不味くなった昼休みを過ごしたのだった。


 そして夕方。夕飯の材料を買いにスーパーに立ち寄って、見切り品ばかりを大量に購入した俺は、昼間のあのふざけた脅迫文などすっかり忘れていた。
「さーて、今日は久々に肉が安かったからまとめ買いしちまったし、生姜焼きでも作るか。生姜残ってたかな…」
 独り言を呟きながらアパートの手前にある角を曲がる。すると、目の前に黒いベンツが視界に飛び込んできた。
 ボーっと歩いていた俺もいきなりの高級外車出現に立ち止まったが、すぐに眉を顰めた。 「何でこんなところに外車が思いっきり路駐してんだよ。マジ入りにくいし」
 ベンツは迷惑にもアパートの前に堂々と停められていて、しかも運転席にはいかにも怪しげな黒いスーツに黒ネクタイ、そしてサングラスをかけた厳つい男が一人。
 ボソリと呟いた文句に俺はギロリと睨まれて、全身が瞬時に萎縮した。
 こ、んにゃろー…。テメーのメイワク駐車だろうが。…でも面と向かって「何だよ」って言えない俺……。
 俺はせめてもの意地で睨み返して、アパートの塀と車体との隙間からなんとか体を滑り込ませて、自分の部屋に向かう。
 はぁ〜、何だって俺は理不尽な理由で睨まれてばっかりいなきゃいけねーんだ…。昨日も今朝も、男の人と先公に睨まれたのは拓海のせいだ。さっきに至っては路駐してるあのヤクザ並の強面オヤジが悪いのに。
「クソー。今日は兄貴にとことん愚痴って、ストレス発散させてやる。覚悟しろ、兄貴」
 朝っぱらからあんなお経並みの説教聞かされた恨みを晴らしてやるからな!
 現在時刻を確認すると、大体七時過ぎ。兄貴コールまではまだ三時間近くある。
 もどかしいったらありゃしねー。
 そろそろ部屋の前だなと、顔を上げた俺は、自分の部屋の前に男が立っているのに気が付いた。しかも、物凄く見覚えのある身長、そして体つき……。
「え〜っと…どちら様ですか?」
 でも、それが誰だかすぐには思い出せなくて、思わず出てしまった言葉が悪かったらしい。
 男はその切れ長の瞳と、その目に沿って伸びるシャープな眉を、これでもかってくらい歪めた。
 綺麗な顔でそーいう表情されると、マジ怖いんですけど…。
 俺はさっさと部屋に入ってしまえばいいものを、言いようのない威圧感と恐怖からズル…と後ろに下がった。
「どちら様、だと? おいおい、ずいぶん失礼な奴だな。人のバイク勝手に乗り回した挙句、怒鳴って去って行ったのは誰だ? 東理人」
 男は俺との距離感をあっという間に縮めて、昨夜のように顎を持ち上げる。
「……あ」
 思い出した。昨日バイク間違えてめっちゃ怖い顔してたに−さんね。っていうか、人の顎持ち上げるの癖ですか? だとしたら悪癖だね。
 思い出した、という顔のまま固まった俺に、男はフゥと溜め息をついた。
「お前、朝、下駄箱ン中の紙見なかったのか?」
「大変な事になるってやつ? アレなら昼休みに読んで、くだらねーって捨てたけど。それがどうかした?」
 ……今ナチュラルに答えちゃったけど、どうしてこの人がそれを知ってるんだ?
 俺は少し考えて、一瞬過ぎった嫌な予感にサーッと青ざめた。
「朝十時には戻れって書いてあったはずだが? それを昼時に見た挙句無視なんて、いい根性してんじゃねーかよ。おかげでこっちは九時間近く待たされたわけだ」
「…………」
 狼のような目で、真正面から鋭い眼光を浴びせられて、何も言えない俺は思わず目を瞑りそうになる。
 マジかよ、マジかよっ、マジかよーっっ!
 何で俺の学校ってか下駄箱の位置まで知ってんだ!? しかもこの人、朝十時からずっとここで待ってたわけですか!?
「……あのー、常識的に考えて、あんな手紙一つで学校すっぽかして帰るような人間なんて普通いないと思うんですけど」
 放火犯に狙われているとか、精神的にやばい人ならわからなくもないけどさ。
「常識なんてどうでもいい。とりあえず、俺の家まで来てもらおうか」
 ……いや、すっごくどうでもよくないんですけど、俺的に。
 俺はその言葉に嫌だとは何故か言えなかった。いや、百パーセントの確率で、この人がただならぬ人間だという第六感の不吉な信号を体が受けているからだ。
 男は、俺が今歩いてきた道を俺の腕を掴んで歩き出す。俺はといえば、引きずられるように歩いてそれについていった。
 ちなみにそれって、何時まで……でしょうか。
 俺の体をズルズルと引きずっていく男に目で訴えてみるけど、見向きもしないのでまるで効果なし。
 そのまま路駐の黒ベンツに押し込まれた俺は、車が何処かへ走り出しても、誘拐という言葉さえ混乱している頭の中には浮かんでこなかった。
 悪い、兄貴。黒ベンツの王子様にさらわれちゃったので、今日も電話できないかも…。
 今日は大丈夫だろうと、会社で思いを馳せているであろう兄貴に向かって、フカフカなシートの上で縮こまりながら心の底で手を合わせた。


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