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11、訪れた別れ


 翌日葛西が目を覚ますと、そこに永沢の姿はなかった。
 下肢の妙な気だるさに眉を顰め、そこで昨日の晩の出来事を鮮明に思い出した葛西は、誰もいない室内でおろおろとうろたえる。
「お、俺は…昨日一体何を……っ。そ、そうだ、永沢っ」
 とにかく謝らなければと永沢を探すが、どの部屋にも永沢はおらず、葛西がテーブルの上の置手紙に気付くのにそれほど時間はかからなかった。

 葛西サンへ
 短い間だったけど、お世話になりました。
 永沢純

 手紙にはただそれだけしか記しておらず、紙を裏返してみたが、何も書いていなかった。
 葛西はしばらく真っ白になってその場で立ち尽くしていた。  そして最初に出た言葉。
「なんっで理由も何も書かねーんだよ、あいつはっっ!!」
 ぐしゃりと握りつぶした手紙の置き主に怒鳴っていた。
 それでも握りこんだ手はすぐに力を失う。
 それもそうかと思い直したからだ。
 あれほどの醜態を見せ、更には永沢にまで迷惑をかけてしまった。
 頼れる場所すら、自分の軽率な行動が奪ってしまった。男相手にあんなことをするのだって、嫌だったに違いない。
 言う事をきかないと、嫌われてしまったのかもしれない。
 あの時、何も飲まなければ、いや、近づかれた時点で逃げていればあんなことにはならなかったのだ。
 今の永沢には住む場所のあてだってないはずだ。
 フラフラと友人を訪ね歩いている頃だろう。
「……っ」
 葛西は永沢にあてがった部屋に向かい、勢いよくドアを開ける。が、永沢がここに来てから使っていたテーブルやスタンドなどの大きいものはそのままだったが、永沢が持ってきた私服やら雑貨やらはどこにもなかった。
「――――――」
 本当に永沢は出ていってしまったのだと確信せざるをえない状況だった。
 葛西は部屋に戻ると携帯の電源を入れ、永沢の携帯の短縮ダイヤルを押した。
『お客さまのおかけになった電話番号は、現在使われておりません……』
 繋がってくれという願いもむなしく、感情のない既成音は永沢との繋がりを失ってしまったことを意味していた。
 待ち受け画面の時計を見ると、もう正午を回っており、携帯を解約するには十分な時間だった。
 葛西の中で何かが音を立てて崩れていた。
 額を押さえて俯いた葛西の頭に浮かぶのは、毎日楽しそうに料理を作り、世話を焼く永沢の姿だった。
 時に真面目で、調子を狂わされる。それでも真っ直ぐに笑いかけるあの表情が葛西の瞼の裏に焼きついていた。昨日あの店で見た、何かを楽しむようにシェイカーを振り、パフォーマンスを披露していた姿も、遠い過去の記憶のようだ。
 嫌な事でも、責任を感じたからあんな行為も受け入れたのかも知れない。
「し、かたねーよ…。だって元々、あいつがいないのが普通だし! それに俺一人だって今まで何とかやってきたんだから、別に…どって、こと…」
 言い聞かせるように口にした言葉は途中で途切れる。
 その途端、ポタリと床に雫が落ちた。それはだんだん酷くなる雨のように少しずつ落ちるテンポが速くなっていた。
 葛西の頬を伝って落ちていくそれは、葛西の感じていたことの答えだった。
 自分一人になるのが嫌だったわけではなく、永沢がいなくなる事が少し、恐かったのだ。
 それでもそんな不安など、永沢の態度を見ているうちに心の片隅に追いやられ、真剣に考えてもいなかったのだ。
 失って気付くのは、人間の悲しい性なのだろうか。
「バカやろう…。お前、何もわかってねー……」
 涙の理由は尽きる事がなく、その時鳴り響いた電話の音でさえ、葛西を現実に引き戻す事は出来なかった。


 ピンポーン、ピンポーン。
 正午過ぎの突然の来客に、西原はむくりとベッドから起き上がる。
 今日は休講だったため、惰眠を貪るべくずっと布団の中にいたのだが、出ないわけにはいかない。
 少々寝すぎたせいか、普段より重たくなってしまった目蓋を持ち上げて、ボサボサの髪をそのままにインターホンの受話器をとった。
「はい、どちら様ですかぁ……?」
 欠伸混じりに訊ねると、ドアの前にいるであろう人物はその対応を気にもかけずに答えた。
「俺。永沢」
「何だ、永沢…。今日は休みなんだからゆっくりさせてくれ……」
「いやさ、とりあえず上げて欲しいんだけど。込み入った話があるから」
 明らかに半分寝ぼけている西原に対して、永沢は終始真面目に言った。
「あ〜……わかった。今開ける」
 どこかに意識が跳びかけていた西原は、永沢の口調に少し目が覚めたようだ。
 西原は裸足のままの足をペタペタと響かせてワンルームの室内を横断し、フラフラと玄関にたどり着く。
 ガチャリと鍵を外してドアを開けると、そこにはボストンバックを二つも肩にかけ、両の手に大きな紙袋を提げた永沢が立っていた。
「永沢、お前……どうしたんだ、その格好…」
 小旅行にしては多すぎる荷物を持って立っている永沢を見て、西原は目を丸くした。
「いや、話せば長くなるから。とりあえず上げてくれ。結構重いんだよ」
「あ、あぁ……」
 呆気にとられつつも西原は永沢を家に招きいれ、すぐにお茶の用意をした。
「相変わらず汚いな、お前の部屋…」
 教育に関する大量の本の山や提出期限間近の論文が散乱している部屋を見渡して、永沢は呆れた様子で言う。
「煩いな。そんなつまんねーこと言いに来たんなら帰れ」
 もちろんそれだけではないことはわかっているが、貴重な睡眠時間を奪われて少々不機嫌な西原は普段より短気だ。
「悪い、そんなんじゃないって」
 永沢はコーヒーの入ったカップを持った西原が、ローテーブルの周りの物を退けて腰を下ろすのにならって、座る場所を作った。
「で、何なんだ。いきなり大荷物で押しかけてきて。喧嘩でもしたのか」
「その方がまだマシだよ」
 永沢は大きく溜め息をついてから、ポツリポツリと昨日の出来事を話し始めた。
 始めは寝ぼけ眼で応答していた西原も、店であった事や、その後の葛西との情事を耳にして、真剣な顔つきに変わっていった。
「――お前が押しかけてきた経緯はわかった。けど、何で出ていく必要があるんだよ。わざわざ携帯の番号も変えて、繋がりを断ち切らなきゃいけないんだ?」
 多少のいたたまれなさというのは西原にも理解は出来る。だが、客観的に見れば、必要以上に距離をあけなくても十分いい話だ。
 問いかけた西原自身、だいたい予想は付いていたが。
「それは……葛西サンも、あの店とはなるべく関係なんて持ちたくないだろうし…。それに――必死で助けて欲しいって縋った人間が、自分をそういう対象に見ているって事がわかったら、いずれ離れていくだろ?」
 寝食を共にしていれば、時が経つにつれて気持ちを伝えずにいられなくなる。そうして過去の傷跡を抉るようなことをすれば、余計に葛西の精神を不安定なものにしてしまう。
 本当に好きな人間を見つけることができなくなってしまうかもしれない。
 そんな永沢の言葉に、西原は険しい表情で口を開いた。
「――あのな。俺からしてみれば、そんなのはお前の逃げる口実にしか聞こえないんだよ」
「どうしてだよ」
「葛西さん云々というより、お前が今回の事がキッカケで振られるのが怖いだけだ。店との繋がりが嫌なら辞めちまえばいい。精神的な傷なんてクソくらえなんだよ。ようは、お前の気持ちの問題なんだ」
 本当に好きだと言い張るのなら、相手のことを思って傍にいてやるのが、本当の心遣いってもんだろう? と、さも当たり前のように西原は言う。
「それがどんなに過酷な選択であろうとなかろうと、好きだって気持ちがある限りは、諦められないうちは離れるな。最初っから諦めてたら、物事何も始まらねーだろ」
 ただ、これだけ言ってまだ決心が付かねーようなら、少しの間くらい寝床を提供してやってもいいと、西原は溜め息をついた。
 さすがに昨日の今日では戻りづらいだろうと、西原のささやかな気遣いだった。
 永沢は神妙な顔つきになってから、黙って頷いた。葛西の気持ちなどつゆも知らずに。


This continues in the next time.
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