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12、大切なのは。


「遅かったな、葛西」
 丸一日経った休日の午後、葛西は加賀と最寄り駅の前で待ち合わせをしていた。
 目元の腫れぼったさが取れず、ゴシゴシと顔を擦るように洗っていて、葛西は少々遅れて待ち合わせ場所に着いた。
 手をフラフラと振る加賀を見つけて、小走りに向かう。
「悪い、遅れて…」
「いいよ、それくらい。……酷い顔だな」
 加賀は眉を顰めながら葛西の目元の赤い部分をなぞった。
 ビクリと反応する葛西に、加賀は慌てて手を引っ込める。こんな往来で触れる問題ではない。
 無意識のうちに出てしまった反応に一番驚いている様子の葛西はハッとなった。
「あ、悪い、な。…気にしなくていーから」
「バカ。その理由を聞くために今日ここに来たんだろ。ホラ、早く行くぞ」
 言い繕う葛西に加賀は至って冷静に返して、市街地の方へ足を向けた。
 一昨日、葛西がボロボロと涙を零しているときにかかってきた電話の主は加賀だ。
 何の連絡もなしに欠勤している葛西を心配してかけてきたのだ。
 しかし、一回目は誰も出ず、二回目にかけたときにやっと電話に応じた葛西の声は、普段と比べ物にならないくらい暗く、落ち込んだ声だった。
 加賀が問い詰めると、そうかからないうちに葛西は一言だけ洩らした。『永沢、出て行ったんだ』と。
 どんな理由にせよ、尋常ではないその声音と話の雰囲気に、加賀は会社を休むよ う促し、休日に会って直接話すことにしたのだ。
 二日間の休みで少しはまともになったかと思えば全く変わっておらず、加賀が初めに想像した通りの疲れ切った顔で葛西は出てきた。
 態度は普段と変わりのないようにしているらしいが、付き合いはそれほど長くなくと も葛西の事をよく見ている加賀にはすぐ葛西が無理をしていることに気付いた。
「お前、昨日一昨日ってちゃんとメシ食ったのか?」
 加賀が訊ねると、葛西はふるふると首を横に振った。
「何もしなかったのか」
「あー…うん。寝てたからな」
「寝ててもそんなに疲れてんのか」
「…………何でだろうな」
 軽く笑って首を傾げる葛西に加賀は溜め息をついた。
 身体的というわけではなく、精神面からのストレスや悩みから疲れの色は濃くなっていっている。このままでは葛西が倒れても不思議ではないと加賀は思った。
 二人が入ったのは、休日でごった返すオフィスやショッピングモール、レストランなどで構成されたビルだ。
 その中にある高級レストランの一つに加賀は躊躇いもなく入り、葛西もその外観に圧倒されつつも加賀に続いた。
 予約したらしく、個室のようになっている場所に案内され、綺麗に折りたたまれたナプキンを見て葛西は感激していた。
「へぇ〜。俺こんなところに入るの初めてだな…」
「今日は特別だ。俺が奢ってやる。その代わりあらいざらい吐いてもらうからな」
「…………わ、かった」
 席に着きながら本題に戻す加賀を見つめる葛西の表情は、生まれて初めての体験に高揚とし始めていたものから、待ち合わせ場所に来たときと同じ、暗いものになった。
 室内ということで葛西の顔には影が差し、先程よりも重たい雰囲気のする表情に見えた。
 程なくして料理が二人の前に運ばれ、葛西は話し始めた。
 店で加賀が席を外していたときに近寄ってきた男、つられて強い酒を飲んでしまったこと、その後起きた永沢との出来事。
 永沢とあった事は伏せておくつもりだったのだが、隠してもどうせ見抜かれているのだろうと葛西は自身でも驚くほど素直に、潔く話した。
 あの日の夜、店に連れて行ったのは加賀だったため、本人にも罪悪感はあるのだろう。一から最後まで無言で葛西の言葉を聞き入っていた。
 話し終わってからは沈黙がその場を包む。まるでここが高級レストランの一角ではなく、二人だけの世界のようだった。
「あの」
「あのな」
 洩れた声は二人とも同時で加賀も葛西もタイミングの悪さに押し黙る。
 それでも葛西はすぐに口を開いた。
「別に永沢のせいじゃないし。俺が不注意だったのもそうだし、そのサカった男が悪いんだからさ。こんなんじゃ、同居人だったら誰だって嫌になるって……」
「そうかな」
 加賀へのフォローと自分に言いきかせるための理由を口にする葛西を制して、加賀は「そうじゃない」と否定する。
「親戚もいない。そんで頼れる場所が葛西のところしかないって言う人間が、それだけのことで即行出て行くことってあり得るのか?」
「いや、あるんじゃないのか?」
「別にないってワケでもない。永沢…だっけ? そいつにもバイト先の知人や大学での友人もいるだろうし、頼めばあげてくれるところだってあるだろ。赤の他人の葛西を選ぶ必要なんて初めからないんだよ」
 そこまで話したとき、葛西の頭には一つはてなマークが浮かび上がる。「何故、自分を選んだのか」という疑問が。
 加賀は葛西の疑問を言わずともすぐに理解して話を進める。
「何でお前を選んだのか。俺だって確信がつかめてるわけじゃない。でも実際…あの日は俺が知らなかったのもあるが…お前がそういうところに入り浸るのをやめろと遠回しに匂わせたし、警告もした。お前はもう大人だから、それだけ言えば来るなっていうことくらいわかると思うだろ。そんで、今回の件だ。自分が守りたいと思っていた相手に無防備な肢体曝されて理性が飛びそうになったら、それがもし叶わない想いだと知っていたら、俺だったら逃げるね」
 想いも叶わない確率の方が高いのに、それ以上に自分が傷つけてしまったら。
 この先ずっと背を向けられてしまうだろう。
 それが怖くて、永沢は逃げ出した。葛西の前からいなくなったのだ。
「じ、じゃあ…加賀が考える理由って……」
「あぁ、察しの通り。永沢はお前に惚れてるって事だ」
 ただの推測で、決まったわけじゃないけどなと付け加えるが、それぐらいしか考えられないという加賀の自信に近いものが見えていた。
 今更……と葛西は思う。
 もし、万に一つの確率でそうだったとして、葛西には何も出来ないのだ。
 永沢の居場所などわかりはしない。携帯も解約された後で連絡もつかないのだ。あるとすれば、あの店だけだろう。
「けど、会いに行くのだって……」
 気まずい、と言いかけた葛西を加賀は目を細めて言う。
「そうやって言っていつまでも逃げてて、それでお前の今の状態がなんとかなるんなら俺は何も言わねぇよ。ただ、そんなシケた面した奴と一緒に仕事するなんて真っ平ゴメンだね」
 加賀は冷たく言い放つ。その瞳は、暗に今の葛西の状態が社会に出て、まともに仕事が出来るとは思えないと語っていた。
「いつまでも有給使ってると、営業じゃなくてハローワークに走るハメになるぞ」
 こればっかりは何も出来ないからな、とグラスに注がれた白ワインを口に含む。
 葛西は今目の前にあるまだ口をつけていないワイングラスを見つめた。
 微動だにしないワインの水面に映る顔は、動揺ばかりが表立っていてどうすることも出来ずにいる葛西を自身に突きつけている。
 初めて永沢と食べた夕食にも、こんなワインをこんなグラスで飲んだ気がする。
 そんなことを考えながら、葛西はグラスの足を持った。
「………………」
 無言のままグラスを小さく回している葛西の中で、少しずつ、思いは形を成していっていた。
 加賀はそんな様子を盗み見て、小さく息を洩らした。どうしてか「本当の問題は、お前が永沢をどう思っているかだ」とは言えなかった。


 同日の「The free sky」にて。
 夕闇が世界を覆い、真っ暗になった人気のない道を進み、小さなビルの地下に入っていく。
 そこには同性愛者のカップルや同じ性癖を持つ人間が集い、なにやら楽しそうに会話を交わしていた。
 カウンターに立つ永沢は、ある人物を待っていた。
 カラン…と扉の開く音がして店内の視線は一瞬だけそこに集まり、散っていくものと目に留めたままのものに分かれた。
 ダークブラウンの長めの髪を後ろで一つに結わえた端正な面立ちのその客は、店内をぐるりと見渡すと、永沢の姿を見つけてニヤリと笑う。目が合った永沢は歪んだ表情を浮かべてしまうが、気力で元の顔に戻す。
 引きつったままの頬は知らない振りだ。
「久しぶり〜、純ちゃん。自分から呼び出すなんて珍しいじゃん」
 上垣の気に入らない相手に対しての性格だけは最悪な部類に入るが、幸い永沢は上垣の数少ないお気に入りだった。
 永沢はこういうタイプの人間は苦手なのだが、運悪くその目に留まってしまったらしい。
 外見は上の中あたりで、普通なら引く手数多の美男だ。
「上垣さん、俺だって呼びたくて呼んだわけじゃないんだ」
「そうなんだ? 冷たいねぇ」
 本当に残念、という顔をこれでもかというくらい見せつけられて、永沢は思わず足を引いてしまった。席から見えないのが救いだった。
 気を取り直して、永沢は真剣な顔つきで本題に入る。
「実はさ、探して欲しい人間がいるんだ」
「何、逃げられちゃったわけ〜? 純も扱いが下手だなぁ」
 上垣はニコニコとしながら話の腰を初っ端から折る。けれど永沢はめげない。
「聞けって。逃げたんじゃなくてただ俺が追ってるだけ。三日前の晩にここにいた客の中に、薬使って大事なモノを取ろうとした奴がいる。上垣さん、裏に関してアンタの右に出るものなんていないんだろ?」
「そぉだったっけ?」
「…………」
 とぼける上垣は、永沢をじっと見つめ何かを探っているようだ。
 だからこの人は苦手なんだよな……と永沢は押し黙るが、少しして上垣はニッコリと笑う。
「OK。引き受けてやる。…三日前の夜な」
「サンキュ。恩にきるよ」
「その代わり、今日のカクテル奢りだからな」
 今はまだ六時過ぎ。上垣が店を出るのはだいたい十一時頃。
 上垣は店の常連中の常連で、毎回来るたびに何処かからお声がかかるのだ。やはり裏だけでなく、ここでも顔は広いらしい。
 酒に強い人間が一体それまでに何杯飲むのかは考えただけで頭が痛くなるところだが、永沢は条件を呑む。
 馴染みのいるテーブル席に移っていく上垣を眺めながら、永沢は覚悟を決めていた。
 自らのけじめをつけるために。


This continues in the next time.
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