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13、最後の言葉を言う前に


 一日経ち、二日経ち……時間は刻々と過ぎていく。
 葛西は日に日にやつれていくようだった。
 家の中でどこへも行かず、ただベッドの上で考えに耽る日々。平日の夜には心配して様子を見に来る加賀の持ってきたコンビニ弁当で夕食をとる。
 自炊しようにも、どうもやる気が起きないで、遂には加賀が仕事帰りで疲労困憊しているのにも拘らず、洗濯や朝と昼の分のご飯を作っていくようになった。
 未だ決心がつかないままの葛西を加賀はただ何も言わず、自ら答えを出すまでは触れないようにしていた。
 葛西はぼんやりと永沢の気持ちを考える。何の音沙汰もないのだから、きっと呆れて嫌になったのだろうとばかり思っている。
 それでも葛西の抜けた生活は、満たされない。
 いつまでも加賀に迷惑をかけてもいられない。頭ではわかっているのに、心が追いついていない状況で、行動を起こせるといえばそうではない。
「お前、死んじまうぞ」という加賀の言葉にさえ、あまり反応しなくなっていた。
 このまま、死んでしまうのなら、それでもいいのかもしれない。はっきりとしない気持ちに苦しめられて何も出来ずに加賀に迷惑をかけてばかりいる自分など、生きている価値もないと葛西の中で誰かが囁く。
 その言葉に耐えかねて布団に潜り込めば、体に永沢の触れた感覚が甦る。
 まだ感じていたいんだ。
 それだけは葛西の中ではっきりしていた。
 そんな生活が続いた十日目の朝、葛西はむくりと起き上がり、すでに太陽の昇りきった窓の外を見据えて決心する。
 ―――会いに、行こう。
 それで、全てが終わるのなら。
 また日常に戻れるのなら。
 永沢のいない暮らしに何も感じなくなるように。
 はっきり「もうどうでもいいんだよ」と否定されれば、きっと涙を流すだろう。
 孤独と不安にまみれながら立ち止まって生きるよりは、区切りをつけてまた歩き出す方がよっぽど楽なはずだ。
 葛西は外へ出るために着替え始めた。
 決心がついてからは、体が少し軽くなったように思えていた。何よりも今、大事な事をその内に秘めている葛西はまだ少しあやふやなままで。
 葛西の中で何かが邪魔をして霞みがかっている気持ちも、今だけは気にならなかった。


 深夜一時を過ぎたあたり。月の明かりも雲で翳り、真っ暗な闇の中でジジジ…と音を立てて灯っている街灯に葛西の華奢なシルエットが浮かび上がった。
 最近はあまり物を食べない不摂生が続いたせいか、フラフラと危なっかしげに歩いているが、葛西のその瞳は真っ直ぐに前だけを見つめている。
 全く人のいない道を横目に、目立たない路地を通って葛西が来たのは「The free sky」だ。
 葛西が最後の来たときと変わらず、小さなライトが転々と地下へと続く階段の天井で足元を照らしている。
 ここへ来る事は躊躇われていた。前と同じような事があってはたまらないと警戒もしていた。
 けれども、自分で決めたことくらいは自分一人で決着をつけようと、加賀には何も言わずにここへ来ていた。その代わりに閉店した後、という時間を選んだというわけだ。
 終電で最寄り駅まで来て、閉店時間まで二十四時間営業のファミレスで時間を潰したので、帰りは駅まで歩いてタクシーでも拾えばそれでいいんだと。
 妙に頭の中はすっきりしていて、店の片付けをしているであろう永沢に言う事も一つだけだった。
 壁に手を当て、転ばないように体を支えながらゆっくりと階段を下りていく。
 閉店後だというのに、営業中と変わらない光が階段の踊り場を照らしていた。
 全ての段を下りきると、葛西は一息ついて「close」という札のかかった取っ手に手をかけ、クッと力を入れた。
 ドクン、ドクンと心臓の鼓動が大きく全身に響く。緊張感が葛西の体を包み込んだ。
 そして、ドアに遮られた店内の光が葛西の体を少しずつ照らしていく。
 目を細めてから葛西は店内を見渡す。
 椅子を載せたテーブルが隅に置かれていて、カウンター席は見えやすかった。掃除用のほうきはカウンター席の端に立てかけられ、店内に残っていた人間は葛西の来店に驚きの表情を隠せない。
 残っていたのは四人。その内の二人はすぐに誰だかわかった。
 何故か救急箱の中から包帯を取り出しかけたままの西原と、右腕にガーゼを引っ付けた永沢。
 残りの二人は、長髪で後ろに髪を結んでいた綺麗な面立ちの男と、ジャケット姿でスラックスのポケットに片手を突っ込んで立っていた、短髪で背の高い男だ。
「か、さい……サン…?」
 掠れた声で葛西を呼んだのは、他でもなく永沢だった。
 ――――永沢の声……。
 葛西はこの空間が夢の中ではないのかと疑う。
 この数日間、意識の中でしか聞くことの出来なかった永沢の声が今、現実に耳に入り込み、全身に染み渡っている。
 ふわりと笑みを浮かべた永沢は「どうしたの?」とカウンター席から立ち上がり、ヨロヨロとしながらも葛西に歩み寄る。
 葛西は表情を固くして、足を少し引いた。
 ―――来るな。
 ―――そんな優しい顔をして、そんな優しい声をして、近づくな。
 自分の決意が揺らいでしまう。
 葛西にはいっそ冷たく「何しに来た」と訊ねられた方がマシだと感じた。
「その、傷―――」
 口から洩れたのは、近づいてくるたびにはっきりと見えてくる痛々しいまでの傷跡に気を取られたせいなのか。
 永沢の顔には、青痣や何かで切ったような細い切り傷が走り、腕の方には思った以上に大きなガーゼが貼られていた。そしてその腕にくくりつけられた止血のための布。
 いくら相手に対するための言葉を用意していようと、普通の人間ならして当たり前の心配だ。
 永沢は腕を伸ばせば葛西の体に触れられる距離まで近づき、葛西の質問には答えずに「まだ春だし、こんな夜中にそのままでいると風邪引くよ」と店の中に入るよう促した。
「あ、あぁ……」
 葛西は招かれるまま引いた足を前に出した。
 今は自分のことよりも永沢の傷の方が気がかりでどうしようもなかったのだ。
 葛西はドアを閉めて鍵をかけた永沢と共にカウンターの席に向かう。
「あんたが、純ちゃんが御執心の葛西彰さん、か」
 初対面の人間にフルネームで呼ばれて葛西の表情は引きつった。そのことばかりに気を取られ、御執心という言葉には全く気付かないままだ。
「こら、淳也。今はそんな軽々しく言うような状況じゃないだろ」
 艶のある笑みを浮かべた長髪の男を短髪で長身の男が、葛西には理解できない理由で嗜める。
 はいはいと答えた長髪の男は、葛西に歩み寄ると、「とりあえず座りな」とカウンターの席をズルズルと葛西の前に持ってくる。
 葛西は少し躊躇い、そして素直に腰掛けた。
「初めまして、上垣淳也、デス」
 堅い挨拶は慣れていないのか、微妙に語尾が濁っている。スッと差し出された手を握った葛西は手を伸ばして短い握手を交わす。
「そんで、後ろにつっ立ってるデカイのが俺の恋人でこの店のオーナーの根本仁ね」
 言われて葛西が目を向けると、根本は表情を変えることなく、小さく頭を下げた。
『オーナー自身も同性愛者ってコトも関係してるのか…』という随分と前の西原の言葉を思い出し、この人がそうなのかと納得した。
 けれど、葛西にはそのオーナーとオーナーの恋人が今ここにいる理由がわからない。
 そして今一番知りたいのは永沢の傷のことだった。
「大丈夫だよ。この二人、別に害はないから」
 固まったままの葛西に脇から声をかけたのは西原だ。
「何だよ、その人を虫扱いしたようなシツレーな言い方は」
 上垣はその台詞が気に障ったようで、ジロリと西原を睨む。西原は肩をすくめて「本当のことだろ。一々気にするな」と正論を盾にする。
「……っと、ごめんね。純の怪我気にしてんだろ? ……まぁ名誉の負傷ってワケじゃないけど、あれはあれで、永沢のけじめをつけたんだ」
 葛西には「名誉の負傷」だの「けじめ」だのの理由と青痣と切り傷だらけの永沢との関係が上手く掴めておらず、首を傾げて「何故」と訊ねた。
「……一から話した方がいいだろ」
 上垣の後ろから根本が呟く。
 わかってる、とでも言うように後ろを振り向いた後、上垣は永沢と目を交わした。
 神妙に頷いた永沢に頷き返してから葛西に向き直った上垣は、語りだしたのだった。


This continues in the next time.
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