6、問題解決……? その日の夜。いつもより少し早めに帰宅できた葛西は、永沢の帰りをそわそわと落ち着かない様子で待っていた。 別に何かを言うつもりはなかった。永沢にとっては、あそこでのアルバイトは生活の一部だし、大分慣れているようなので、葛西一人の見解だけで辞めさせるというようなことは出来ないだろう。 偏見はない。気持ちの上では特殊な恋愛事情の人間を軽蔑したり、明らかに否定するようなことはしていない。 だが、考えているよりも世間の目はずっと厳しいものだ。 アメリカなどと違い同性同士の恋愛を認めていないこの国で、嫌悪感を抱く者などは五万といるはずだ。 それをわかっていてあそこで働いているにしても、何らかの形で永沢たちを傷つけるような事が起きないとは限らないのだ。現に、葛西が知らないだけで、もう起きているのかも知れない。 ただただ心配でしょうがない。 それは同居人としての思いやりなのか。それとも、そんなところで働いている人間と一緒に暮らしている自分のためなのか。 大人になってしまった葛西には、既にどちらかなどという区別がつかない。 「あ〜っ、くそ!」 悩める葛西は、頭をバリバリと掻きまくっては溜め息を洩らしていた。 その時、玄関でガチャリとドアの開く音がした。 リビングのドアを勢いよく開けて、いつもより早い家主の帰宅に少なからず驚いていた永沢を出迎えた。 「ただいま、葛西サン。今日は早いンだね。何かヤな事でもあったの?」 「い、いや、別に。嫌な事があったくらいで、退社時間が早くなるわけないだろ」 何もないというわけではないが、永沢にしてみたら他人事ではないが当たり前のことで、相手が気にもかけていないことをわざわざ何事かというのも変だという気がした。 なるべくいつも通りに振舞って、いつも通りにバイトに送り出す。普段やっている事が物凄く難しい。 「先にお風呂にでも入りなよ。これからご飯用意するから」 「あ、あぁ。わかった」 調子が狂ってしまうのは葛西が考えすぎなだけなのだが、いつもと変わらない態度の裏で、永沢は深く溜め息を洩らす。 「どうしよーかな……」 冷蔵庫を覗いて材料を確認しながら、永沢は葛西に何を言えばいいのかと考えた。 普段通りに装っているように見えて、中身はかなりうろたえている事も永沢には手に取るようにわかった。 だから言いたくなかったのだ。 それでもあんな、ある意味危険な場所に葛西がしょっちゅう出入りしていてはよろしくない。葛西に想いを寄せる永沢なら尚の事心配だった。 人目を気にしている葛西のために避難場所として選んでしまったとはいえ、やはり連れて行かないほうが良かったのかもしれないと、今更ながらに後悔していた。 だが、やってしまった事をいつまでも悔いていては何も始まらない。 「……ちゃんと言っておこう」 永沢はまな板にゴロゴロと野菜を並べながら決心した。 その後の夕食の席。わかめと胡瓜の酢の物をつついていた葛西に永沢は言った。 「葛西サンさ、西原に聞いたんだろ? あの店のことをさ」 話題を切り出され、葛西は箸の動きを止める。 「お、おぉ。そ、それがどうかしたか?」 なるべく平然としようとしていても、言葉はつっかえつっかえだ。そんな葛西に構わず、永沢はそのまま話し出す。 「単刀直入に言うけど、俺はサ、あの店がそーゆーところだって知っててバイトやってるんだ。別に何か悪い事をしてるってワケでもないし、端から見ればフツーの店だしさ。ゲイとかレズだって、俺たちスタッフにしてみれば大事なお客さんなんだ。気兼ねなく、ゆっくりしてもらえればいいんだよ。それが店ってもんでしょ?」 世間一般から認めてもらえなくても、あの店でなら悩み事でも何でも、気兼ねなく相談だってできる。その相談役も俺達は買って出ている。永沢は優しい眼差しで葛西を見つめながら言った。 「…………」 「だからさ、そんなに考えなくてもいいんだよ。まぁ葛西サンがそーゆー人たちダメだって言うなら無理に理解してもらおうとか思ってないから。それでも俺は辞めるつもりはないけどね」 あそこ結構時給いいし、とつくりの良い顔でウィンクを惜しげもなくかましてくる永沢に、葛西は見透かされていたのか……と苦笑を洩らしてから、軽く頷いた。 「俺は辞めろとは言わないし、否定もしない。ただ心配だったんだよ。周囲の目とかさ」 「あぁ、そんなものは全く問題ないから。あそこ、そのテの人たちには有名だけど、場所も目立たないし、知らない人のほうが多いンだ。大学の奴が知ってるわけないし、知ってたとしても、それは多分客だと思うし」 余裕だね、と永沢はご飯を口にかきこんで早々と手を合わせた。 「――あ、そうそう」 食器を流しに持って行く途中で永沢はくるりと振り向く。その表情はいくらか先ほどまでとは違い、真剣に見えた。 「けど葛西サン、夜は絶対に来ない方がいいよ。その気ある人に下手したら食われちゃうからね」 「な……っっっ!」 その言葉に絶句しながら、言っている事が矛盾してやいないかと葛西は思わずにいられない。 永沢の言う「悪い事はしていない」とは、そういう場合も範疇の内なのだろうか? 不安げに永沢の顔を見れば「ま、初対面の人間にいきなりホテルに連れ込まれるなんてそうそうないけどね」と笑って誤魔化している。 永沢の真剣な表情が焼きついている葛西が可能性は十分にあることなんだと思うのは、至極当然のことだった。 何にせよ、葛西の心配の種がなくなったわけではないが、気持ちの上で軽くなった事は確かである。 「じゃ、葛西サン。いってくるね」 「おぅ。気ぃ付けてな」 そして今日も店に向かう永沢を葛西はいつものように見送れたのだった。 *ご意見・ご感想など* ≪BACK NEXT≫ |