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7、夜の店へ


「そーいやあいつ、いい加減住む場所とか決めねーのか…?」
 数字が表にまとまって暗号のようにずらりと並ぶパソコンの画面から目を離し、葛西は独りごちた。
 永沢が葛西の家に来てからもうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。
 永沢は相変わらずバイトも行っているし、家賃は葛西が持っている分、いくらか金も貯まったはずだ。
 あとは引っ越す場所さえ決まれば、永沢は家からいなくなる。
 不本意な理由から仕方なく同居をしていたはずなのに、今では永沢に家事を任せっきりになっていた葛西は、永沢が少しでも長くいてくれれば助かると思ってさえいた。
 しかし、永沢も学生の身。まだまだ遊びたい年頃だろうし、自宅へ友人を招く事が出来なかったり、恋人を気軽に呼べないという部分では、永沢が提案したとはいえ同居生活も不便に思っていてもおかしくはない。
「あいつがいるうちに、また一人になっても平気なようにしとかねーとなぁ…」
 一度楽をしてしまうと、今までやっていた事が面倒に感じられるのは、葛西だって例外ではない。
 とはいえ、永沢はいつまでも葛西の元にいるわけではないのだ。
「ふぅ〜……」
 わかりきっていることを今更考えても仕方がないと、葛西は頭の中に煮詰まっていたものを全て投げ出すように溜め息をついた。
「どーした、葛西」
 どこから見ても怠惰でやる気の起きない様子の葛西に声をかけたのは、同期の加賀だ。
 加賀は以前大手企業との契約をとり、その後は力を見込まれどんどん営業の仕事を持たされていたが、全てに関してそつなくこなし、営業成績も課内ではトップを維持し続けていた。
 それを鼻にかける様子もなく、気さくで話しやすい彼は、課内はもちろん他課の社員からも男女を問わず絶大な人気を誇っていた。
 同じ大学出身ということもあり、葛西は加賀とよく接していたので、葛西にとってはよき相談相手でもあった。
「珍しいな、葛西が独り言を連発するなんて」
「げっ、今の聞いてたのか…?」
「あぁ、全部な。考えてる事が筒抜けだったぞ」
 幸いにも俺以外に気付いた奴はいないけどな、と笑いを噛み殺しながら加賀は言った。
 聞いていた相手が加賀でまだ良かったと、葛西は安堵した。
 葛西が永沢と同居している事は職場の人間には秘密だった。
 酔った勢いで拾いました、などと言えるはずもない。が、かといってまともな理由がない以上同居している事実を知られないに越したことはない。
 全く接点のない永沢との同居は、言い訳に苦しむ点でもあった。
「―――で、あいつって誰なんだ? 言動から察するに、一緒に住んでんだろ」
 まさか恋人と同棲でもしてるんじゃないだろうな? と言いたげなニヤニヤとした表情で訊ねる加賀に、葛西は落ち着き払ったフリをしながら「ただの知り合いだ」とそっけなく返した。
「ただの知り合い、ねえ〜……」
 復唱した加賀がそんな理由で納得していない事は葛西にもわかっていた。
 だが、下手な言い訳をして墓穴を掘るような真似だけはしたくはなかった。入社以来からの付き合いだった加賀には、いつでも誘導尋問されてはぼろを出してしまっていた。
 今度はその手に乗るまいとしていた葛西だったが……。
「そういや他課の子が話してんの聞いたんだけど、お前が長身で顔の綺麗な男と歩いてたって言うの。二人して服装もバッチリキメてて、目立ってたってな〜……」
 何でもないように加賀が話しかけてくる内容は核心をモロについてくる内容だったために、何も言うまいとしていた葛西は、表情にぼろを出してしまった。
「――――っっ」
「やーっぱ、その男か。同居してンの。……いっつも思うけど、ホントお前ってわかりやすい性格してんのな〜」
「……煩い」
 あまりの情けなさに憤死してしまいそうになる葛西だが、そんな葛西の肩をポンポンと叩きながら、加賀は続ける。
「まーそんな顔すんなって。今日は同居人のために悩みが絶えない様子の葛西くんに、俺が夕飯をご馳走してやろう♪ 俺最近いい店見っけたんだよ」
 それは建前で、永沢のことを聞きだそうとしているのは目に見えていた。
 断りたいのも山々だったのだが、ここで行かないと言うと、今度は「笑顔」という名の脅迫が待っていることを葛西は熟知していた。
 深い付き合いというのは、不器用な葛西には厄介なものでもあった。
「行くよな〜?」
 何も言わないうちから怖いくらいにニッコリと微笑まれ、葛西の選択肢はもう一つしか残されていなかった。
「…喜んでご馳走になります」
「よし、イイコだ」
 上機嫌になった加賀は鼻歌交じりに自分のデスクに向かった。もう昼休みだというのに、早々と仕事モードに入っていた加賀は休憩をとる素振りすら見られなかった。
 適度に遊び、仕事に関しては人一倍ストイックで、妥協を許さない。それが加賀という人間だ。
 きっと葛西と同じ時間に退社できるように、休みもなしで今日の分の仕事を終わらせようとしているのだろう。
 厄介な友人ではあるものの、葛西にとってなくてはならない存在である。
 ここで葛西が休めと言っても、聞かないのは目に見えている。
 葛西は昼食に立った後、途中で缶コーヒーを買い、加賀がトイレに行っている事を確認してから、さりげなくそのコーヒーを加賀のデスクの上に置いた。
 頼れる男のためにせめてもの心遣いだ。
 戻ってきた加賀も、そんなことをするのは葛西だけだとわかってはいたのだが、気付かないフリをして、わざとらしくパソコンの画面に向かう葛西の厚意に甘えることにした。


 そして葛西にとっては物凄く微妙なアフターの時間がやってきた。
 加賀はあの後もほとんど休みなしに仕事を続け、退社するまでに葛西の倍近くある量の仕事を全て消化しきっていた。
 そんなに話を聞きたいのだろうかと思い直すと、加賀にしては珍しいほどの関心の持ちようだった。
 2人は一度両方の家に向かい、スーツからカジュアルな服装に身を包んだ。
 バイトのないこの時間はいつもなら永沢は帰ってきているはずなのだが、何故か部屋の電気は付いておらず、夕飯も用意されてはいなかった。
 一応携帯に連絡を入れたが、電源を切っていたので、仕方なくメールで同僚と外食をする旨を伝えた。
「加賀、店ってどこ行くんだよ」
「着くまでお楽しみ」
 誰かと同じようなことを口にしながら、最寄り駅から環状線に乗りこむ。
 葛西は何となく嫌な予感がした。以前にも感じたことのある予感。
 そして大抵葛西の嫌な予感というものは当たるのだ。
 眉間に皺が寄らないように意識をしながら素直に加賀の後ろに付いていっていたのだが、やけに見慣れた通りが迫るに連れて、いよいよ葛西の頭の中では警報がガンガンと鳴り響き始める。
 そして着いたのは……。
「ここ。The free skyってさ、結構飯美味くて、しかも安いんだ。先週の日曜の昼間にここに入ったんだけど、マジいーんだわ……って、葛西?」
 そんなことは言われなくてもわかっている。
 昼間、というからには、この店の内情などほとんどどころか全くわかっていないのだろう。
 実際、昼間ばかり来ていた葛西だって、聞かされるまでは全くわからなかったのだ。
「おーい、大丈夫か?」
「おっおぅ。…なぁマジでここ入んのか?」
「あぁ。他じゃ高すぎて、給料日前の財布が可哀想だからな」
 俺ファミレスとか嫌いだし、とスタスタ階段を下りていく加賀を止める事は出来ず、結局葛西も中に入る羽目になってしまったのだった。
「だったら、最初から奢るなんて言うなよ……」
 そんな絶望的な声音の独り言は、加賀の耳には届いていなかった。


This continues in the next time.
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