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9、罠


「みなさん、本日もThe free skyにお越しくださり、ありがとうございます。ただ今より、当店のオリジナルイベントであるパフォーマンスショーを行いたいと思います。どうぞ、お楽しみ下さい」
 今日はナイフ投げとカードのパフォーマンスで、行ってくれるのは当店一の美男子! と仰々しく紹介された永沢は、慣れた様子で腰にさしたナイフとポケットの中にあった数枚のトランプカードを手に簡単な挨拶をした。
 まずは小手調べにと、五メートル先に用意されたりんごの中心にナイフを投げて命中させるという、一般人からすれば難易度がかなり高いパフォーマンスから始まった。
 永沢は客がその瞬間に神経を集中させるべく静かになった頃合を見計らい、構えるわけでもなく自然に、そして目にも留まらぬスピードでナイフを投げる。
 次の瞬間には固定されていたりんごがゴロ…と動き、見ると銀色に鋭く光るナイフが突き刺さっていた。
 ワッと拍手が沸き起こり、永沢は小さく頭を下げた。
「へぇ……あんなことも出来んのか」
 葛西はボソリと呟いた。器用だ、気が利くなどと感心していたが、こんな芸当も出来ては感心を通り越して逆に今まで何をしていたんだという疑いさえかけてしまう。
 今の永沢なら路頭で迷っていたとしても食いはぐれることはないだろう。
 処世術に関してどこまでも長けている永沢のナイフ投げを食い入るように見ていると、加賀が座っていた席に男が座る。
 気配からすぐに加賀ではないことに気付いて、声をかける。
「あの、そこは友人が座っているんですけど」
 くるりと男の方に体を向けると先ほどから見られていたらしく、見事に視線がぶつかり合った。
 葛西は声を上げそうになり、寸前で悲鳴を飲み込んだ。よく見てみると、店に来たときに目が合った男だ。
 男は「ククッ」と小さく笑って言う。
「恋人、じゃなくてか?」
 その言葉に葛西は唖然となる。確かにここは同性愛者の溜まり場で、男二人が並んで入れば当然そう思われる。が、当人たちにその気は全くないのだ。
「っ…ち、違いますけど……? 何なんですか、あなたは」
 そんなわけないだろう、と声を張り上げそうになった葛西は、頭の中に巡った「そのテの人間の溜まり場」という言葉によって発言の内容をすり替える。
 声音も普通だが、明らかに「迷惑だ」という気持ちを孕んでいた。
「お〜、怖い怖い。……俺はてっきり二股でもかけてんのかと思ったぜ」
「誰とですかっ」
 男は葛西の言葉に肩をすくめる。気にも留めない様子で不意に葛西のカクテルを手にとって一気に飲み干す。
「…何するんですか。俺の酒ですよ」
「っか〜、…随分と弱いモン飲んでんな〜。ほぼジュースじゃねーか」
「人の話聞いてくださいよ」
 トゲのある声で呆れたように葛西が言うと、男は両手を上げて「悪いな、美味いのかと思って…」と悪びれもなく言うと、カウンターに立っていたバーテンダーに新しい酒を注文していた。
 そうまでして飲みたかったなら、自分でも頼めばいいのだ。この男は一般常識というものが確実に欠落しているように思えた。
 何がしたいのかさっぱりわからない男に、葛西は溜め息をついて、無視を決め込むことにした。
 永沢に視線を戻すと、既に五本ほどあったナイフは最後の一本になり、店の一番端にはる的に規則的に並んで刺さっていた。
 最後のナイフをその端に見事命中させた永沢に、葛西は軽く手を叩いてやった。
「おい、今ナチュラルに無視ったろ」
 と、隣でムスッとしたように言う男に、眉間に皺を寄せながらもう一度顔を向ける。
「まだ何か?」
「これ。さっき頼んだ酒だよ。飲んじまったからな」
「お気遣いどうもありがとうございます。そろそろ席を外したらどうですか?」
 先程より少し色の濃いカクテルをスッと滑らせながら言う男を冷たくあしらう。
 男は「はいはい」と立ち上がり、そのまま店を出てしまった。
「一体、何だったんだ? 今の男……」
 呟きながら無意識に手に取ったカクテルグラスの中身を、何かを感じる前に一気に煽った。
「ぐっ……」
 飲んだ後で、強烈な匂いと舌の痺れにむせ返る。先ほどとは比べ物にならないほどの強い酒だったのだ。
 グラスを取り落とさないように何とかカウンターに返した後、口を押さえて舌の痺れが切れるのを待つ。
 それからすぐに加賀が戻ってきた。
「ゴメンゴメン。ちょっと昔の知り合いにバッタリ出くわしてさ……って、何してんだよ、葛西」
 葛西は一瞬こんなところでか…と言いそうになるが、それさえも今の状況ではかなわなかった。
 眉を顰めたまま口を押さえて身動き一つしない葛西を加賀は覗き込んだ。まさかアレだけの酒で吐くわけはないだろうと加賀は思っていたが、実際に葛西が飲んでしまったのは少量であれ強いものだ。
 成り行きで知らない男から酒を貰い、一気に飲んでしまったとは言いづらい。
 葛西はなんでもないというように首を振り、早く永沢のパフォーマンスが終わって欲しいと願った。
「そういやさ、お前の同居人、すげーのな。別の場所から知り合いと見てたんだけど、あんなことも出来たとは…」
「あ、あぁ……俺、も今まで知らなかった。家で練習とか、してねーし…」
 ようやく話せるようになり、口を開いた葛西だったが、それでも言葉はまだ少し途切れ途切れであった。
 それから五分ほど経ち、パフォーマンスが全て終了してから葛西は席を立つ。酔いが回ってきているらしく一瞬バランスを崩しかけたが、何とかテーブルに手をついて縺れそうになる足に力を入れた。
「なんだ、もう帰るのか?」
「悪い、永沢に来てることがばれて、パフォーマンス終わったら帰るから一緒に…ってさ」
「そーか…。喧嘩してるんだったら、早めに仲直りしとけよ。…俺はもう少し知り合いの奴と話してから帰るよ」
 加賀も席を立つが、葛西とは逆に店の奥に体を向ける。
「あぁ、じゃあまた明日な」
 手を振って葛西は歩き出す。店の中を見渡してみるが、永沢は奥に入ったらしく、姿は見えなかった。
 葛西は出口の近くで永沢を待つ。
 数分後、カウンターの一番端にある扉から私服に着替えた永沢が他のスタッフに頭を下げて足早に向かってきた。
 永沢は先ほどのパフォーマンスでかなり目立っていた。そのため、客の中から「バイバーイ」と手を振る人間もおり、永沢は面倒がらずにニコッと笑みを返した。
「待たせてごめん、葛西サン。…一緒に来てた人は?」
「あぁ…知り合いに会ったんで、話してから帰るらしい」
「そー。じゃ、帰ろう」
 永沢と肩を並べて店を出る。階段を上って地上に出ると、思ったよりも街灯が少なく、来た時よりも更に闇が深まっているように感じられた。
 時計を確認してみるともう十時を回っている。
「葛西サン、着替えてきたんだよね? 雨戸とか閉めてきた?」
「あー。ってか帰ったときにはもう暗くなってたしな。ところで、何で今日はこんな中途半端な時間にいるんだ? いつも九時以降のくせに…」
「オーナーから電話かかってきて、急に休む事になった奴の埋め合わせされたの。大学から直で入ったから、ご飯用意できなくて心配だったけど、まさか葛西サンが入ってくるとはね〜……」
 チラリと流し目で見てくる永沢の視線を無視して、「もういいだろ? 今日は加賀に知らん内に連れてこられちまったんだし!」と永沢の目が言いたい事を先読みして自棄気味に言う。
「別にもう怒ってないんだけどね…」
 チロッと舌を出して言ってから、永沢はクスクスと笑った。
 それが気に入らないらしい葛西はどさくさに紛れて永沢の足のつま先を踏んでやった。
 小さく悲鳴を上げて片足立ちでピョンピョンと大げさに跳ねる永沢を仕返しとばかりに葛西は笑う。
 少しよろよろとしながら歩く葛西は、体の微妙な変化さえも、強い酒の所為だと決め付けていた。


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