2、帰ってきた男 二間続きの和室は、宴会場と呼ぶに相応しい盛り上がり方をしていた。 ビール瓶をラッパ飲みするつわもの、顔を真っ赤にしながら宮村の小さな頃の回想に浸っておいおいと涙する古参の組員、ガハハハハと馬鹿笑い(って本当は言っちゃいけないんだろうな)する他組の組長や幹部。 その中で依岡兄弟がせっせと動いて酒を運び料理を運び、たまに酌につき合わされたりしていた。 そして俺は、その宴会場の一番前で宮村の酌をしながら、宮村と話している男の視線をひしひしと感じていた。 男は宮村の同期で、金融会社の社長らしい。 同期が金融会社(しかも注釈として「悪徳」の文字が付く)の社長なんて、なんて典型的なんだろうと思わずにはいられない。 宮村との繋がりは単に元同級生というだけでなく、ビジネスパートナーとしても付き合いがあるらしい。といっても、話を聞いてみると、返済の出来ない利用者に対して取り立てるときに出向いてもらう人を貸しているそうだ。 テレビドラマでお馴染みの「オラァ、いるのはわかっとるんや、はよ金出さんかい!」とか言ってドアをバンバン叩きまくったり、何度も何度も電話をかけて借金の返済を迫るヤクザのことだ。 ヤクザの人材派遣会社なんて聞いたことないけど、なるほど、本家本元のヤクザさんが組員を貸してんなら合点がいくなぁ。 まぁ金融会社も「取立てしか能のない奴」なんて、ずっと雇うくらいならその都度貸してもらったほうが気も楽だろうし。 でもそれをしているのはやっぱり元級友のよしみという奴らしく、普通はフロント企業の中で、特に組の息のかかった企業にしか人を遣ったりしないらしい。 って、そんな傍迷惑な違法行為に加担してんじゃねぇよー。 何か言いたげな俺に、宮村はニヤリと笑って言った。 「法が怖くて、ヤクザの看板なんか背負えるか。それに、こいつの支払いは結構いいから、組にしてみればいい仕事相手なんだよ」 「そーですか」 俺は差し出されたお猪口に並々と酒を注ぎ、そのあとグラスに入っていたオレンジジュースを一気に飲み干した。 あーヤダ。そういやこいつ、何でもアリの世界で組の頭になったんだよな。苦労するのは目に見えてんのに、どうしてこんな奴のこと好きになっちったんだろ。 やりとりを面白そうに見ながらウイスキーを飲んでいた男が宮村に話しかける。 「可愛い姐さんだなぁ、ジン。酒ダメなんて、まさか未成年の男を娶ったって噂は本当だったのか」 おーい、どこからどう流れンだよ、そんな噂。俺は一言も聞いてねぇぞ。しかも何だ、娶るって。 好奇心に満ちたその男の目は明らかに馬鹿にしたような目で、俺はキッと睨み返す。喧嘩上等、いつでも相手してやる。陸上で鍛えた足で必殺の脛蹴りを食らわせてやる。 ……今自分で思って、あまりのしょぼさにちょっと悲しくなった。 「何か、ムカつく。その目。あんた、俺のことバカにしてんの?」 男のくせに、女の着る色振袖着て、言うなれば旦那の酒の相手をしているところを見たら、普通は引くか笑うか……だしなぁ。ある意味仕方ない。 「まさか。そんなことしたら、君に殴られる前にジンに殺されちまう」 「ほぉ、よくわかってるじゃねぇか。ちなみに、手なんて出したらその日のうちにコンクリで生き埋めにして東京湾に沈めてやるよ」 「出されるか、ボケ!」 お前が言うと洒落になんねぇんだよ! 俺は宮村の頭を思いっきり叩いて、男を見る。 「バカになんてしてないさ。ただ、本当に可愛いと思っただけだよ」 変だから。それを褒め言葉として俺に向けること自体間違ってるから。 俺が切なげに溜め息をつくと、いきなり宮村が俺を抱き寄せた。 「なにすっ……!!!」 ンぎゃ―――――ッッ! 突然、宮村が俺にキスをしてきた。しかも軽いのじゃなくて、つい一時間半前にされたような濃厚なディープキス。 おまけに、それを見ていた組員が酔った勢いで「お熱いですねぇ」とか「いーぞー、もっとやれー」とか「組長、俺らにもやらしてくらさいよー」とか煽るから、余計キスは深くなる。 ギャ―――――――ッッ。 もう俺はひたすら叫んで宮村の舌を追い出そうと歯を噛み合わせる。寸でのところで宮村は俺の口から出て行った。 「二の舞はしねぇよ。残念だったな、理人」 既に問題はそこじゃねぇし。 「テメー、この野郎! ふざけんじゃねぇっ。何でこんなときにそんなことすんだよ、節操なし! ど変態! スケベオヤジ! エロ男! 色魔! テメーこそ、東京湾に沈んじまえ!」 もう人前だ何だって言うよりも、思いつく限りの悪口雑言を並べ立てながら、立ち上がってダンッと足を前に出す。普段なら出すこともないし、出るはずもないような俺の怒鳴り声に、何故か宴会場全体が静まり返った。 俺は怒りに任せて立ち上がった身をどうすればいいかわからず、確実にほぼ全員の注目の的になっていることだけは自覚していた。 あぁ、しまった、どうしよう。あまりにもムカつきすぎてついTPOもわきまえずに怒鳴っちゃった。宴会台無しじゃん。どうしよう。みんな俺のせいだって絶対リンチしてくるに決まってるんだ。 「に、逃げたい……」 と口にした俺に、近くにいた組員が、すっかり酔いも醒めたような口調でポツリと洩らす。 「姐さん、なんつーか、迫力が……」 「姐さんの啖呵切るとこなんて初めて見たよな」 「啖呵っつーか、ただ恥ずかしいから怒鳴っただけじゃねぇの?」 「いや、それでもあの勢い、言葉の強さは本物だ」 「多少言葉が汚すぎじゃありやせんか」 「そりゃ、人のこと言えたモンじゃねぇだろうがよ」 「理人さんは、姐の素質があるぞ」 「姐さん、バンザイだ」 バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ。 絶対、こいつら酔ってるな。 俺はわけがわからないノリで一様にバンザイして、またガハガハと笑う組員を見て、とりあえずリンチはなさそうだと安堵して腰を下ろした。 宮村は何が可笑しいのか、クククッ…と声を殺して笑っていた。その隣の男は、飄々とした顔で何事もなかったように酒をちびちびと飲んでいる。 「お前……本当にサイコーだな」 「誰のせいだ、誰の」 「それは俺のせいだって言いたいのか」 「当たり前だろ! それ以外に誰がいるんだってンだよ!」 つうか、お前じゃなきゃ誰なんだよ。 すると、宮村は不意に真面目な顔になって、スッと悪徳金融の社長に向き直った。 「本気で、手ぇ出すなよ」 「いやだなぁ。ジンは相変わらず自意識過剰なんだから」 「マジでそんなことあるわけねぇだろーがバカ男。そんな心配、粗大ごみに出しちまえ」 男はフフフと笑いながら、ジンの視線と言葉を軽くいなすと、おもむろに立ち上がる。 「まぁそんなところで俺は帰るから。まだいくつか仕事が残ってるし。今日はおめでとさん、ジンも、理人くんも」 胸ポケットから分厚い封筒を取り出すと、祝い金だと言って宮村に渡し、そして俺ににこりと微笑んで部屋を出て行った。 「二度と来るなよ」 金の入った封筒はしっかりと懐にしまいこんだくせに、出て行った元級友に告げた一言は失礼極まりなく、しかもどすの利いた低い声だった。 向こうはそんな気はないけど、宮村は毛嫌いしてる感じだ。 いい仕事相手ってさっき言ってたじゃん。何、その手のひら返したような台詞。ヤクザってわけわかんねぇ。 俺はあえてそこは突っ込まないことにして、一人ジュースをがぶがぶ飲んでいた。 すると宮村は俺に向かって、至極真面目な顔をして言った。 「おい、あいつには二度と近づくなよ。特に、俺のいないところで会ったりするな」 「しねぇよ。何であんたのいないところで、あんたのオトモダチと会わなくちゃいけねぇんだっつの。普通ありえないだろーが」 本当に被害妄想激しいよな。世の中誰もがお前みたいなホモじゃねぇし、俺みたいな男相手にサカるような人間、そうそういねぇっつの。 いや、独占欲が単に強いだけなのか。 どっちにしろ、そうやって徐々に俺の行動範囲を狭められていっちゃ、俺もたまったもんじゃない。 「そんなのは勝手な被害妄想であって、ただの心配のしすぎなんだよ」 「お前は、あいつがどういう人間か知らないからそういう余裕こいたことが言えるんだ。とにかく、向こうから近づいてきても、絶対に誘いに乗ったりすんなよ」 知るかよ。実際喋ったのだって二言三言だけだし。 「あーもーしつこい。わかったよ。会わなきゃいいんだろ」 俺の耳にタコでも出来そうな勢いでぐだぐだ言う宮村に嫌気が差したので、半ば適当に言っておく。 オレンジジュースのビンを逆さにすると、一滴ポトッと空のグラスに落ちただけだった。 「依岡兄ー、ジュース切れたー。次持って来い」 俺はジュースのビンをブンブン振り回して、広間の半分あたりの位置で他の組の幹部連中にビールを注いでいた依岡兄に催促した。 襲名式ではさすがに文句は言えないから、宴会の前に散々文句を並べ立てておいた。でもそんなんじゃ収まるはずがない。現に、今この時間でも主役の一人だっつって盛装させられてんだから。あいつの用意した、女物の振袖で。 しかも聞くと、色振袖の下に着せられた白い着物は女が和式の結婚をするときに着るものらしく、何なら角隠しも用意した方がよかった? とくすくす笑いながら冗談めかして言う依岡兄にぶち切れ寸前だった。 それでも、宮村のこれからの立場を考えると、今日の行事を失敗させるわけにはいかない。だからメチャクチャにしてやりたいのを我慢して、代わりに依岡兄を扱き使うことにしたのだ。 呼ぶと依岡兄は幹部連中に断りを入れて何度も頭を下げてから俺のところへ来た。 「人使い荒いって、りっくん。俺、あの人達の世話の途中に抜け出す為に何度頭下げたと思ってんの。少しは気にしてよ」 「うるせぇ。元はといえば、お前がふざけてこんな格好させるからだろうが。自業自得なんだよ。……文句ばっか言ってねぇで、さっさとジュース持って来い。今度りんごジュース」 「涼一、俺も日本酒頼む」 「……夫婦揃って人使い荒い」 『何か言ったか』 「いーえ、何も。今お持ちしますよ、組長」 二人揃って不機嫌な(理由は別々だけど)声を出すと、苦笑しながら俺が振り回していたジュースのビンを盆に載せて、依岡兄は厨房へ向かった。 依岡兄が飲み物を取りに行った直後、玄関の方がなにやら騒がしくなった。 俺は宮村が怪訝な顔をして玄関の方を見つめるのに倣って、何があったのかと心配になる。 よく、ヤクザの抗争何かでは襲名の式の時や、故人の弔事の時にも平気で敵の組の頭を狙って襲撃してくる輩がいると聞いたことがある。 ずっと前にテレビでやってた「極道の女たち」(意外と親がよく見ていた)で、組を潰された姐が復讐の為に敵の組長や幹部を先代の三回忌に行なわれた式の最中に射殺するシーンもあったし。 まさか現実にそういうことがないとも言い切れない。今は時代が進んでるから、そんな愚行に走る連中も滅多にいないとは思うけど、ヤクザの世界ってやっぱりどこか謎だ。 まぁ知りたくもないんだけど。 そんなわけで心配になった俺だったが、最初に宴会場に入ってきたのは前組長で、今は会長(?)であり、宮村の親父の剛さんだったから、少しホッとした。 出迎えたのが何で下っ端なんかじゃなく剛さんなのかが気になったけど、それでも死人や銃声はないから、多分別のことなんだな。 剛さんは迷わず宮村のところまで来ると、何かを宮村に耳打ちした。 「……それ、本当なのか」 「あぁ、もちろん」 剛さんは心底驚いた様子の宮村に悪戯っぽく笑い、俺は二人揃ってムカつく笑い方は同じなんだなぁと失礼ながらも思った。 気づくと宴会場はシーンと静まり返り、剛さんが入ってきた襖に視線が集まっていた。他の組の幹部や組長との会話のべらんめぇな口調を改めて、剛さんは口を開いた。 「お集まりの皆さん、本日は息子の襲名の儀にご列席いただき、有難うございます。本日は朗報があります。たった今、私が組長としての仕事に就いていた時、小規模の抗争が原因で服役しておりました幹部の一人が戻ってまいりました」 さすが、元組長の発言はいくら老いてもはきはきとしていて聞いていて気持ちが良かった。こう、上に立つ者の素質っていうか、威光は弱まるどころか、月日を重ねるごとに強まっていくような感じさえする。 剛さんは廊下で待たせていたその人を部屋の中に招き入れ、途端に、拍手が沸いた。俺や宮村も拍手で迎える。 入ってきた男は、三十代前半くらいで精悍な顔立ちをしていた。肩幅が広く、体型ががっちりとしていて宮村よりもでかかった。 男は周囲に一礼をすると、宮村の前で正座をし、深々と頭を下げて言った。 「この度は御襲名されたことを心よりお祝い申し上げます。このような良き日に、また宮村組の一員として復帰できることを嬉しく思います。長谷川藤次、ただ今帰りました」 はぁー、すっげぇ。この人の方が絶対宮村よりも年上なのに、上下関係が正反対(考えてみればほとんどの組員や幹部もそうだ)。しかもヤクザなのにちゃんとした言葉してるよ。 宮村は長谷川さんに頭を上げるように言い、そして「よく戻ってきたな」と偉そうな態度で、それでも暖かな言葉とともに手を差し出し、互いの手をきつく握り合って、再会の喜びを分かち合っていた。誰かが手を叩き、それに続いてだんだんと宴会場全体が拍手に包まれた。 こういうのって、やっぱりこの人たちにとってはいいことなんだろうな。特に、宮村組って人情に溢れてて、何か暖かいし。 「さぁ、宴会を続けよう。今夜は長いぞ」 剛さんが頃合を見計らってパンパンと手を叩きそう言うと、また先ほどと変わらずに宴会が再開する。あちらこちらでカチンとジョッキをぶつけ合う音が聞こえた。 「これからは、俺の下で働いてもらうことになる。小さい頃から藤次には世話になった。これからもよろしく頼む」 「ええ、喜んで」 長谷川さんは人の良い顔で微笑んで、そして俺に方に目をやった。俺はすっかり男同士の感動的な再会に、内心「うわー、うわー、カッコイイぞ、これ!」と思ってボーっとしていたせいで、少しビビった。 「噂は耳にしておりましたが、坊ちゃん、綺麗でいい姐さん連れて来ましたねぇ。長谷川、坊ちゃんがとうとうお相手を選ばれたと聞いて、会うのを楽しみにしておりました。初めまして」 男相手に「綺麗でいい姐さん」と言う長谷川さんは、俺を本当に女だと勘違いしているんじゃないのか? と疑った。 「はぁ……初めまして……。よろしく、お願いします」 声はバリバリ男だからすぐにわかると思うけど、長谷川さんは顔色一つ変えない。ということは、悪徳金融の男が言っていたように「男を娶った」なんて話も入ってるんだろうな。 本当に、何も思わないのか、この人は。つうか、この家の中にいる人々は。 俺の無言の突っ込みをよそに、長谷川さんはにこやかな表情で話を続ける。 「あの三笠組の頭相手に啖呵を切ったと聞いたときは、えらいおっかない人連れて来たのかと思いましたが、随分と可愛らしいなりで、一瞬ビックリしましたよ」 「はぁ、どうも……」 褒められてンのか、笑われてンのか。 俺にはどっちなのかも判断がつかない。ただその微笑みには、何の含みも嘲笑もなく、偽らざる感想だと思わせる力があった。 何となく、大型犬みたいな人だな……。本当はそう思っちゃいけないんだろうけど。 言ったら怒りそうな気がしたので、それは心の中に留めておくことにした。 すると固まったまま生返事を繰り返す俺を強引に引き寄せて、宮村がニコニコしながら言う。 「だろう? 俺の大事な相手だ。傷一つ付けんじゃねぇぞ。これからは、お前にこいつの護衛もしてもらうことになるから、気ぃ付けろよ」 酒臭い息で惚気るなー、あほんだらー。 「てめっ、くせーんだよ」 さほど力も入っていない宮村の腕を力いっぱい引き剥がして、長谷川さんの様子を伺うと、長谷川さんはくすくすと面白そうに笑っていた。 俺が「何故笑うんだーッ」という顔をして見ると、長谷川さんは「すいません」と謝った。 いや、別に謝って欲しかったわけじゃないんだけどさ。むしろ、この男の暴走を常識で止めて欲しかったと願っている俺はバカなのか。 「すいません、姐さん。坊ちゃんが自分の恋人に対してデレデレしているところなんて、一時期は相手をとっかえひっかえしていた生活を考えたら、想像もつきませんでしたので。きっと、姐さんはいい人なんですね」 「藤次」 宮村が窘めるように長谷川さんを呼んだが、俺はもう聞いていない。 いい人ってのは完全に否定しておいた方がいいかもしれない。そりゃあ、このろくでなしばかりの組の頭に比べちゃよっぽど善良なんだろうけど。 それより、相手をとっかえひっかえ生活ってなんだよ。 俺はじっと宮村を見る。宮村は気にするなというけど、さっさと釈明でも何でもしろよって睨んでいたら、長谷川さんが罰の悪い顔になっていた。 「姐さん、あんまり気にしないで下さい。悪気があって言ったつもりはなくて、純粋に姐さんを尊敬したいと思っただけなんです」 「いいよ、気にしないで、長谷川さん。こいつの無節操さは長谷川さんのせいじゃない」 俺はにっこり笑って長谷川さんのフォローをした。うん、長谷川さんは本当に悪くないしね。 「拗ねるなよ、理人。今はお前一筋だって何度も態度で表してるじゃねぇか」 「はいはいそーですね」 そりゃあ、宮村みたいに顔もよけりゃ、職業はアレだけど金も力もある男、女を相手にしたことがないって言う方が嘘っぽいし。 でも、改めてそういう過去をちらつかされると、何だかもやもやっとした気分になってくる。 あーもー、何だかムカつく。 「えーっと……あの…」 「おい、理人」 でかい図体でおろおろする長谷川さん。 何のフォローもせずになだめようとする宮村。 まぁこいつの口からフォローが出たって、今は聞いてやれる気分じゃないし。 そんな険悪な雰囲気の中、襖を足で開けて依岡兄が戻ってきた。 「はいはいお二人さん、ジュースと日本酒持って来ましたよー。それと長谷川さん、お帰りなさい。お久しぶりです。今夜はいい酒用意してありますんで、どんどん飲んでください」 そう言って、新しいジョッキを長谷川さんの前に置き、俺の前にはジュースを、宮村の前には高そうな日本酒を置いて、依岡兄はまたいそいそと会場内を回る。俺達の暗雲漂う険悪オーラには全く気づいていない。気づかない振りをしているって考えた方が正解かもしれないけど。 「それじゃ、俺は自分の部屋にでも戻って飲んでるから。長谷川さんと積もる話もあるようだし。俺がいると、何かと話しづらいだろうしね」 俺はジュースの入ったビンとコップを持って立ち上がると、さっさと宴会場から出た。 夏の夜の空気を浴びながら離れに向かう途中、俺はずっと考えていた。 ――――何か。 物凄い、ムカついた。 根拠も何もないけど、とにかく、イライラした。 だって、宮村みたいないい男、誰とも付き合ってないって思うほうがおかしい。ヤクザだけど、そっちの方面でも宮村と付き合う機会を狙ってる女だっているはずだ。 何も、俺を選ぶ必要もない。今時政略結婚なんて流行らねぇっつっても、ないわけじゃなさそうだし。どっかの組の女と結婚して、組の拡大とかコネを作るとか、そういう方が一般的で、俺なんかと一緒になるよりずっとマシだ。 そういう事を考えない方が変だから。 だから無性にイラついてくる。 何の役にも立たないこんな俺をわざわざ傍に置いておく理由なんてあるのかと思う。いつか気が変わって、もしかしたら俺なんて簡単に捨てて、別のいい女と結婚して。 そんで長谷川さんも、その人に向かって「いい姐さん」と言う。 簡単に想像が出来るから、悲しくなってくる。 こんな格好して、ふざけんなって怒鳴っていられる今が不思議なだけだから。 「どーせ、俺は男ですよ。一般市民ですよ。心の狭い恋人ですよーっだ」 最初に会ってから、もう一ヶ月も経ったけど。あの時のたくさんの言葉が嘘だなんて思わないけど。 人の気持ちって、変わらないって言い切れるのか? 絶対って、あるのか? 俺って、何―――? 「…………」 その時、スッと空気が小さく揺れた。 いつの間にか立ち止まっていたことに気づいた俺は、離れに向かって歩き出そうとした。 「理人」 「――――ッ!」 後ろからふわりと抱きしめられて俺は一瞬息を詰めた。 「何で、そんなに怒ってんだよ、お前」 「別に。怒ってねぇよ。人に酔ったから、部屋に戻ろうと思っただけ」 嘘が嘘に聞こえるから嫌になる。 宮村はいつものふざけた調子じゃなく、ぎゅっと力を込めて俺を抱き続ける。 まるで、何処にも行くなとでも言うように。 「嘘だな。嫉妬したんだろ」 「…………」 自惚れんのもいい加減にしろ、とか。 そんなんじゃねぇよボケ、とか。 頭の中では浮かぶけど、声には出なかった。 悔しいけど、本当のことだったからだ。 「とっかえひっかえってのは、正直誰にも興味の持てなかった俺が若気の至りで一時期荒れていたときの話で、今はお前一筋だって。どうしたら信じてくれるんだ」 信じたい。 でも、宮村の立場を考えると、信じて甘えるなんてこと、今じゃ出来ない。 組を守る頭。俺だけじゃない、宮村組みんなの宮村ジンだから。 俺がその足手まといになっちゃいけない。 宴会場にいる人全員が、これからの宮村を支える人になる。その人達全員が俺を認めてくれているわけじゃないと思う。 それでも、俺はこの男が好きなんだ。 どうしても、どうしようもなく。 俺を命がけで守ってくれた。 依岡兄弟のことも、自らを顧みずに二人の心を守った。 そんなところが好きだと思った。 「あんたさ、組長じゃん。みんなの頭。はっきり言って、今日のことも単なる茶番にしか思えてないんじゃない? 他の組の人とか。本当は、あの中の誰かの娘があんたを狙ってて、あわよくばあんたと政略結婚でもさせようとしてんじゃねぇの?」 俺との関係なんて、所詮一時期の遊びで。 早く自分の立場を自覚してもらいたいと。 色んな人が、宮村に言い寄ってくるかもしれない。 「だって、おかしいだろ。男の俺があんたの嫁で、組員の姐だなんて。剛さんやあんたや、依岡兄弟が許したとしても、きっと、いつか引き離される」 もしかしたら、宮村をバカにする連中だっているかもしれない。俺の存在が宮村の名誉を傷つけるようなことにでもなったら、俺はどうすればいい。 いつか、誰かに……例えば長谷川さんに「組長から手を引け」と迫られるかもしれない。 そんなことを考えていると、後ろで盛大な溜め息が聞こえた。 「な、何だよ。俺はこれでも真剣にあんたのこと考えてんだぞ」 「何が真剣に、だ。理人は「もし」だの「かもしれない」だのに、勝手にビビってるだけだろ。言っただろうが、俺は、どんなことになろうとも、お前を一生かけて守るってな」 たとえ、誰がなんと言おうとも。 組長の座を追われることになったとしても。 宮村は、俺の傍にいてくれると言った。 その言葉が単に嬉しかった。 「それに、恋人が同性だからってバカにして否定するような心の狭い人間は、親父の代で全員追い出されている。一応、組の中でもゲイはいるからな。むしろ、楽しむくらいの根性じゃなきゃな、ここにいるのはつまらないさ」 「…………」 それは安心させるために言ったのだと思いますが、別に明かさなくてもいい事実だったと思います。 「ま、お前には手ぇ出すなよって釘は刺しておいたから安心しろ。指詰めだけじゃ済まさないとでも言えば、誰もしない」 「んとーに、バカだ。あんた」 自信満々に言ってのける宮村を罵る言葉は、何故か掠れていた。 「もうくだらない嫉妬なんてするなよ。俺を信じられなくなったら、その時は俺を殺したっていい」 「へーへー。そう言うと、ホントにするからな。せいぜい頑張れよ」 すんっと鼻を啜って、俺はいつもの調子で返す。 酷く不器用で物騒な言葉だったけど、宮村らしくて、何となく嬉しかった。 宮村の方を振り返ると、有無を言わさずに深く口付けられた。酒と煙草のせいで不味かったけど、何だかとても安心させられた。 全く、これだからこいつを本気で嫌いになれないんだよな。 そして、大宴会の夜は穏やかに流れていった。 *ご意見・ご感想など* ≪BACK NEXT≫ |