[PR] SEO対策


5、予感


 ピンポーン……。
 ……………。
「…………」
 ピポピポピポピポピーンポーン……。
 いつまで経っても出てこない拓海に、嫌がらせのようにインターホンを連打する。
 俺は電車で二十分くらいのところにある拓海の住むアパートの前に来ていた。
 拓海の家は父親が会社の社長をやっていて、結構裕福らしい。拓海が借りているアパートは俺が借りていた、ペンキ剥げかけで駅から徒歩二十分のボロアパートよりも、立地条件はもちろん、部屋は比べ物にならないほど広く、アパート自体の外観も綺麗で、同じ公立高校を通っているというのにこの違いはなんだと思わず叫びたくなるような格差だ。
 誰からも追われることなく、無事に拓海のアパートに着いたはいいものの、道路から丸見えの通路で立ち往生し続けていたくないと思うのは、やっぱり俺の中で無意識に警戒しているからだろう。
 宮村の家の人間はそうだけど、それよりも、対立関係にある組や俺の立場を利用して優位な位置につきたいと思ってる輩に狙われる可能性が、襲名式以降確実に高くなっているからだ。
 今は何もなくても、ぴりぴりとした空気を持ち歩く宮村や長谷川さんを見れば、嫌でも警戒心が身につくもんだ。
『俺の隣にいるってことは、命だって狙われやすい。そんなんでのこのこ外を出歩いてみろ。次はこの前みたいに助けられるとは限らない』
 言われたら余計に怖くなるだろうが、あの野郎。
 宮村の心配もわかるけど、それでも、今あいつを許すわけにはいかない。拓海のことを認めて、機嫌を直すまでは帰らないって決めたんだからな!
「拓海ーッ、いるんだろ! 早く出ろぉーっ」
 インターホンは役に立たないと悟って、少々乱暴だとは思ったけど、開いた手を握ってドアを叩いた。
 するとものの数秒も経たないうちに、拓海は鍵を開けて不機嫌顔をドアの隙間からのぞかせた。
「理人、煩い」
「そう思うならとっとと出やがれ! 何度インターホン鳴らしたと思ってんだよ」
「あー……インターホンじゃ起きねぇからさ、俺」
 じゃあどうやって郵便とか宅急便とか来客とか対応してんだ、てめーは。何のためにカメラつきのインターホンのあるアパート借りてんだよ。
 突っ込もうとした俺に、拓海は早く中へ入るように促した。普通、先に「何で来たんだ」くらい訊くはずなのに、今日の拓海は不可解だ。
 部屋の中を見てみると、いつも一緒に片付けさせられるくらい汚い部屋は、今日に限って綺麗にしてあった。
 普段なら床が見えないくらい物が溢れかえっていたはずのリビングは、床が輝いて見えるくらいすっきりとしていて、マンガや服の山に隠れていた液晶テレビの全身が見えた。
 俺は感心しながら持ってきた荷物を部屋の隅に置いて適当なところに腰を下ろす。
 こいつがここまで部屋を綺麗に使ってると、絶対何かあるって言ってるようなもんだよな。
「なぁ、これから彼女でも来……」
「ところで、何でいきなり押しかけてきたんだよ。泊まりにくるのは明後日のはずだろ」
 キッチンで飲み物を用意していた拓海に、いつもの調子で訊ねようとした俺は、逆に拓海に問われて一瞬言葉に詰まった。
 タイミング悪……。
 そして思い出すのはさっきの宮村の言葉。
『特に、大林拓海には近づくな』
 ……ほんっとにムカつく、あの物言い! 何様のつもりなんだっての。俺がどこでどんなやつとつるもうが俺の勝手だろうが。理由がどんなんか知らないけど、妬くのも大概にしろよな。
「宮村が……何か知らねぇけど、お前には近づくなって言ってきたんだよ。俺が俺のダチと遊んでちゃダメだってのかよ。そんで、あいつの機嫌が直るまで、ここにいさせてもらうことにした。いいだろ?」
 了承を得る、というよりもはや確認として拓海に問うと、拓海は目を瞠って俺を見つめていた。
 いや、そんなにお前に見つめられても、別にときめかないし。……もしかして、宮村が何かしてくるんじゃないかってビビってんのか?
「拓海……?」
「あ、あぁ……何の話、だったっけ?」
「大丈夫かよ。……宮村の機嫌が最近悪くて、まともに話そうとしてもダメだから、宮村が機嫌直すまでここにいさせてくれって話。大丈夫、あいつには何もさせないからさ」
 俺は両手を顔の前で合わせて「お願い」のポーズをとった。
「それは構わねぇけど、どっちにしろお前、俺が家族旅行に行くときは戻れよ」
「えぇーッ!? 俺自炊してたし、お前がいない分もここで留守番してやるから、もうちっといさせろってぇ〜」
「ダメ。そこんとこはケジメの問題。それに十分プライバシーの侵害だぞ、それ。……理人、アイスコーヒーにはミルクとシロップ1ずつだったよな」
「あー、今俺胃の調子が悪いから、ミルクは2でお願いシマス」
「了解」
 って、上手いこと話をはぐらかされてねぇか。
 けど、グラスにガムシロップとミルクを注ぐ拓海は、俺を見ていない。今話を蒸し返すのは何だかいけない気がして、素直に流されておいてやることにした。
 数分後、ミルクとガムシロップが十分混ざり合ったアイスコーヒーを二つ持って、拓海は俺の所に来た。
 ちなみに俺は液晶テレビの前にあるローテーブルのそばでシャツの襟を引っ張ってパタパタとぬるい風を体に送っていた。
「なぁ拓海ぃ、空調くらい効かしとけよー。今の時期、エアコンケチってたらすぐに熱中症になるだろーが」
 涼しい顔をしてアイスコーヒーを飲む家主に文句をぶちぶち言いながら、ストローを使わずにアイスコーヒーをぐびぐびと飲み干した。
 クーラーがついていない代わりなのか、過度に冷やされていたアイスコーヒーは、嚥下した瞬間に頭の天辺に突き刺さるような痛みが走った。
 カキ氷やアイスを一気に食べ過ぎると頭が痛くなるやつだ。
「っつぁーッッ! くる〜〜〜ッ」
 俺は思わず頭を抱え、フローリングに敷かれた毛の短い絨毯の上でごろごろと転げまわった。
「何がだよ。一気に飲むからだろ。クーラーは電気代がもったいないから、室内温度が三十度以上じゃないとつけないんだよ」
 ちびちびと飲みながら答える拓海がちらりと目をやった方向を見ると、そこには壁に埋め込まれたエアコンのパネル式のボタンがあった。室内温度や、風向、冷暖房などが表示される画面には、二十九度と表示されていた。
「って、二十九度も三十度も変わらねぇじゃん」
「それでもこの家の中では、俺の決まりに従ってもらう。俺だってお前の家に泊まりに行ったときは、お前の決まりに従ってただろ? 夜の十時に兄貴からの電話があるから……」
「い、今はもうねぇよ! 兄貴が宮村んトコの番号知るわけねぇし。持たされた携帯も、宮村が着信拒否にしちまったし!」
「へぇ……。じゃあ、宮村さんがそうしろって言ったら、理人は従っちゃうんだ? ラブラブだねぇ」
「んなわけあるかーッ! 何言ってんだよバカ海」
「その罵倒は聞き飽きたぞ、アホ人」
「……その言葉、そっくり返してやる」
 大体、何でも宮村の言うとおりにしてたら、現にここには来ねぇよ。拓海に近づくなって言われちまったんだから。
 いくら恋人とはいえ、自分の交友関係にまで首を突っ込まれたくない。俺だって宮村の交友関係に突っ込んだことは言ってないし、言うつもりもない。
 友達くらい、自分で選びたいと思うだろ。
 宮村が本当に妬いてたとしても、ただの勘違いだし、それくらいは許容してくれなきゃこっちだって誰とも付き合えなくなる。
 宮村のことは本当に好きだし、信じてる。でも、たまにそういうことを言うところは嫌いだと思う。
 まるで、俺自身を否定されてるみたいで……。
 依岡兄弟も、こんな気持ちだったのかな。
 あの時、三笠が依岡家にしようとしていたことは、選択どころか、幸せに生きてきた証さえ奪い、それまでの全てを否定する最低の行為だった。
 宮村、何であんなに真剣な顔して拓海から遠ざけようなんて考えるんだろ……。
 俯き加減で考え込んでいると、拓海が心配そうに声をかけてきた。
「理人? お前、大丈夫か」
「あ? あ、あぁ……平気平気。暑すぎと冷たすぎでクラクラしてきてさ」
「一度シャワーでも浴びてさっぱりしてこいよ。俺もシャワー浴びるから、そのあとで晩飯でも作ろうぜ」
「おお」
 苦し紛れの言い訳は、上手い具合に拓海の気を逸らしてくれた。冷蔵庫の中を覗きに行って戻ってきた拓海に「今日はオムライスにでもするか」と言われ、俺は笑って頷いた。
 男子高校生が二人揃ってオムライスってのも、視覚的におかしいと思うし。嫌いじゃないからいいんだけど。
 作り方を思い出しながら、俺は先にシャワーを浴びさせてもらうことにした。
 いくら友達っつっても、人ン家のシャワーをダーダー流しっぱなしで使うのは無遠慮すぎだと思う。それでも気付くと俺はシャワーヘッドを壁にかけて、ボーっとしていた。
 ――――宮村……。
「俺、何かしたかな」  連日の機嫌の悪さの原因が俺じゃないってわかっていても、拓海のことだったら俺も無関係とは言えない。何か、宮村が妬いたり怒ったりするような行動をしたんだろうかと考えてみる。
 毎朝の送迎以外、宮村は拓海を見ることはないし、校門の前でどつき合うことはしても、抱きついたりなんて一度もしたことがない。
 じゃあ、どんな理由で拓海を……。
「って、シャワー出しっぱなしだってさっきから気付いてたのに、何してんだ俺っ。水道代が! ガス代が!」
 人ン家に泊まりに来てまでそんなことを言える俺は、結構貧乏性なんだなぁと改めて思って、座り込んでいた体をよいしょと持ち上げる。
 一瞬、くらぁ〜っとなって目眩がした。
 あぁ、シャワーの浴びすぎで逆上せてるよ……。
 結局俺は頭だけ洗って、ガンガンと痛み始めた頭を押さえながら拓海がいる部屋に戻った。
 拓海はその時、俺に背を向ける形で携帯を耳に当て、なにやらぼそぼそと話していた。それでも俺の気配に気付くと、すぐに通話を切って俺の方を見た。
「誰と話してたんだ?」
「親にお前のこと話してたんだ。早めに泊まりに来たってことをな」
「ここにひとりで住んでんのに? 言う必要あんのか」
「まぁな。何か旅行前に一度様子見を兼ねてこっちに泊まってく予定だったから、断っておいた」
 だから部屋が片付いてたのか……。自分の親とはいえど、やっぱり「だらしない」って思われるのは嫌なんだろうな。俺もその気持ちはわかる。
「だから部屋片付いてたんだな……った!」
 逆上せたせいで頭がズキズキと痛みを増してきた。心なしか、さっきよりも全身が熱い気がする。
「何、頭痛いのか」
「あぁ……ちょっと、逆上せたみたいで」
「シャワーで逆上せるのか。変なことするな」
「逆上せたくて逆上せたわけじゃねぇ! たまたまだ」
 ぐあぁ、また痛みが……! 拓海と話してると怒鳴ることが多いからすぐに頭に響く。
 頭を押さえて顔を顰めた俺の額に手を当てる。じめじめした空気の中にいた拓海の手は、それでも「冷えピタクール」くらい冷たく感じた。
「あー、ソレ、気持ちいー……」
 ちょっと熱っぽいな……と呟きながら、拓海はせっかくの冷えピタ効果だった手を離した。
「ちょっと熱いけど、逆上せたくらいなら寝てれば何とかなんだろ。ベッド貸してやるから寝とけ。俺がシャワー浴びたら、メシも作ってやる」
「悪い……」
 泊まりに来て、シャワーを無駄に使った上にそれだけで逆上せることになるとは。
 あーもう、何でこんなときに限って俺の体はこうなんだ。いつもなら、一時間風呂に浸かってても平気な俺が、シャワー十五分で逆上せるなんてありえねぇ。
 拓海はリビングの隣にあるベッドルームへ行って、タオルケットしかなかったベッドに薄い掛け布団を用意してくれた。
 すげー、拓海が甲斐甲斐しく世話焼いてくれてるよ。
 俺はそのことに感動して思わず拓海を凝視してしまった。
「ほら、これなら体も冷えないだろ……って、何だよ」
「いや、お前がこんなに気の利く人間だとは思ってなかったから……」
「失礼な。俺はいつでもヤサシイだろ」
「特に女の前だけ、な。これだから、プレイボーイは困る」
 フン、と鼻で笑った俺の頭を、「煩い」と拓海はわざとグーで殴った。
「ったーッ! 目の前でいかにも頭痛そうにしてる人間の頭を殴る奴のどこがヤサシイ人なんだってんだよっ」
「怒鳴る前に、とっとと休め。治らなかったら、遊びに行くのもナシで帰ってもらうからな」
「それは勘弁……。今は家に帰りたくない、つーか帰れない」
「じゃあ、うだうだ言ってないで寝ろ。そして治すことだけ考えろ」
 拓海はしおらしくなった俺にフフンと笑うと、着替えを持って隣の部屋に消えた。
 拓海の奴……人の弱みにつけ込みやがって。覚えてろよ!
「いたたた……ムカついたら余計に酷くなった」
 俺はベッドの上に静かに横になると、用意してもらった掛け布団を肩まですっぽりとかぶる。
 天井には光の量を絞った照明がついていた。それも眠りやすくするための配慮だと思うと、口では素直になれなくても、内心嬉しく思う。
「サンキュ、拓海」
 宮村のことがあっても、他のクラスメイトみたいに俺を避けたりしないで、普段どおりに接してくれたり、こうやって気遣ってくれたり、本当にいい奴だ。宮村のことでは色々と下世話な詮索をされるようにはなったけど。
 そこでふと、自分が抜け出してきたという事実を思い出して、どんなことになってるんだろうかと考えた。
「バレただろーなぁ……俺がいないこと」
 風呂場の時計では、俺がシャワーを浴びている時点で夕飯の時間は過ぎていたし、宮村も長谷川さんも、俺が家にいたことを知っている。部屋に呼びにきて、携帯だけ机に置かれた状況見たら、気付かない方が鈍感すぎる。
 でも、もしここに連れ戻しに来たとしても、俺は帰らないつもりだ。宮村が拓海に近づくなって言った理由を教えて、その上で謝ったら考えるけど。
 んなことが、あいつに出来るとは思わねぇけど。特に、俺だけでなく、拓海のために頭下げることにもなるんだし。
「はぁー……。宮村にしてみれば、俺の熱が下がらないでこのまま強制送還される方がいいんだろうけど」
 それじゃ何の解決にもならない。
 深々と溜め息をつくと、急に目蓋が重たくなってきた。
 さっきよりもボーっとしてきて、「眠れー」って魔法でもかけられているみたいだ。
 「ラリホー」か……? って、それはただのゲームの世界だろうが。
 一人心の中でノリツッコミをしながら、何度もまばたきを繰り返しても強烈な眠気に抵抗し切れない。
「あー……すげ…ねむ……」
 何か……されたことはないけど、薬嗅がされて気を失うときってこんな感じなのか?
 でも「寝ろ」って言われてベッドにいるんなら、寝ても構わないわけだし。何で俺、こんなに起きてようなんて無意識に思ってんだろ。
 そう思って気を抜いた瞬間。俺はふっと意識が途切れるのを感じて、あとは何もわからなかった。
 普通に眠るだけなのに、はっきり「眠った」と感じたのは初めてだ。


This continues in the next time.
*ご意見・ご感想など*

≪BACK    NEXT≫


≪MENU≫