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6、裏切り


 あー……何か寒い。
 そう思って目を開けた俺は、ぼやけた視界の中で拓海の家に泊まりに行っていたことを思い出した。
 そうか……シャワー借りたら逆上せて熱っぽかったから、ベッドで寝かされたんだっけ。
 寒い寒いと思って体を見ると、なるほど、布団が一枚もかかっていなかった。寝てる間に寝相があまりにも悪すぎてベッドから落ちたんだな。
 まだ微妙な気だるさが残っていて、もうちょっと寝ていようと布団を探すために起き上がろうとした。
 けど、何でか起き上がれない。
 ん、何で起き上がれないんだ? そこまで具合が悪くなっちまったのかよ。せっかく寝たのに。
 あーあ、これで強制送還決定か……。体を起こすことも出来ないくらい熱が酷くなったのなんか初めてだし。病院行ったほうがいいのかもしれない。宮村のことは一時保留にしとけばいいし、俺が酷い熱だって知ったらもしかしたら心配して不機嫌さも忘れてくれるかもしれない。
 どっちにしろ、拓海を呼ばないと。
 俺はドア隣の部屋の方向を向いて拓海を呼ぼうとしたけど、部屋全体がはっきり見えてくると、ドアや壁の位置がやけに遠いことに気がついた。
「あ、れ……?」
 よく見てみると、家具も調度品も、拓海が持っているようなシンプルかつ機能性にすぐれてそう(だとしても、普段の汚れ様からすると活用されてないんだと思う)なものじゃなく、凝った装飾の大きめのものが間隔を空けてところどころに置かれていた。
 真っ直ぐに天井に目を向けると、明かりを絞ってあったはずの照明はなく、その代わりに長方形で濃紺の天井が、四方にカーテンみたいな布を垂れ下げてあるのが見えた。その隅にはそれぞれ柱が立っていて、ベッドの四隅まで真っ直ぐに伸びている。
 これが世に言う天蓋付ベッドというやつか。すげぇな。思った以上に豪華だ。っつうかむしろ装飾がしつこ過ぎてるよ。
 って、そういうことじゃなくて……。
 いつの間に、ベッドがこんなに大変身したんだろう?
 しかも部屋の大きさも変わってる。ドアなんて手を伸ばせば届くところにあったのに、今は物干し竿でも届きそうにない。
 ふと、両腕がホールドアップになっているのに気がついて、スースーする脇を締めたくて腕を下ろそうとした。出来ない。
 何故!?
 思いっきり腕を引っ張ると、今度は手首に鈍い痛みが走った。その痛みに顔をしかめて、恐る恐る自分の頭上を見ると……。
「――――何で縛られてんの、手首」
 と手首に訊いても答えるわけがない。もちろんそういう意味じゃなくて独り言だ。
 え、何、どうなってんの?
 俺、もしかして、誰かに捕まってるとか?
 何で。
 何がどうなってんのか、誰か八十文字以内で答えてくれ。
 そうだ。拓海は何処に……。
 俺の今の状況に大きく「?」マークを描きながらも、こうして俺が捕まっているなら、拓海はどうしたんだと慌てて部屋の中を見回す。
 だけど誰もいなくて、隣にあるはずの部屋に聞こえるくらい大声で叫んだ。
「拓海ーッ! 何処だー!? いるなら返事しろぉー!!」
 何度も何度も拓海を呼ぶけど、誰も来ない。もしかしたら、俺と同じように捕まっているのかもしれない。
「まさか……」
 まさか、俺と関わったから……?
 俺は宮村の忠告を思い出して、一気に顔が青ざめた。
 宮村はたとえ俺に「お仕置きだ」ってエロいことをしても、こんな風に両手を縛り上げたままどこかへ行ったりしないし、こんな趣味の悪い家具だらけの場所にはまず行かない。
 そうだ。俺は宮村組と対立する組の連中にとっちゃ格好の獲物なんだ。いつ何処で狙われてもおかしくない。
 でも宮村には、前にも言った。
 俺のために、組を犠牲にするなって。
 それを覚えててくれているかどうかはわからない。けど絶対に俺を交渉に使われてどうにでもなっちゃうような奴のままじゃないって思うし、そうでなきゃ困る。
 とにかく、拓海が今、何処でどうなってるのか心配だった。
「くそっ……拓海ぃーッ!」
 俺は腕を外そうとベッドをぎしぎし言わせながらもがいて、拓海の名前を呼んだ。
 するとドアの開く音がして、誰かが入ってきた。
「たく……っ」
 俺は入ってきた人物を見て、一瞬声が出なくなった。
 何で、こいつが……。
 俺の前に現れたのは、どう考えても宮村と対立するような間柄じゃない人物だ。
 そいつは、にこりと微笑んで口を開く。
「大林拓海は無事だよ。心配しなくても大丈夫。君にちょっと用があるだけだから」
 コツコツと足音を響かせながら俺がむなしく転がされているベッドに歩み寄ってきたのは、宴会でさんざん俺をコケにしてくれた悪徳金融会社の男で、宮村の元同級生だ。
 黙って立っていれば、長谷川さんがヤクザに見えないのと同じで、普通の好青年……まぁ青年実業家に見えなくもない。でも、こういう顔の人間ほど、腹の中は真っ黒けなんだろうな……。あまりにも笑顔が似合ってるから、笑いながらでも人を殺せそうだ。
 そう思ったら、笑顔が余計に嘘臭く見えた。
「覚えてる? 里見康孝。ジンの同級生だった。宴会以来だね。元気?」
「覚えてるけど……」
 両手縛り上げられている相手に「元気?」なんて声をかける神経を持っている時点で、普通の人じゃない。
「そういえば、バラ、毎日届けられていただろう? 気に入ってくれた?」
 思い出したように里見は言い、俺は連日の芳香剤をぶちまけたような匂いの漂うヤクザのお家というのは、どれほど不可思議で奇怪な状況だったかを脳裏に浮かべた。
 あー、毎日届けられていたバラってアレか。すげー切なげに全てのバラが処分されるところを依岡弟が眺めてたな、確か。
 ――――ん?
 ……ちょっとマテ。
「あれって、全部俺宛だったのか!?」
「そう、俺のほんのささやかな気持ち」
 差出人は全てお前だったんかーッ! しかも宛名は俺!? うわ、俺のせいであの屋敷は不可解な状況になったっていうのかよ。いや、こいつのせいか?
 そんな傍迷惑な気持ち、死んでもいらんわ!
 よく、天才と変人は紙一重だって言うけど。
 金持ちと変態も紙一重、っつーかむしろイコールで繋がってると思う。
 それどころじゃなくて! 今はそんな話はいらないし。
 何で、この人が拓海のこと知ってんだ?
 それより、用って……。
 訊きたい事はたくさんあったけど、この不本意な格好を先にどうにかしたかった。
「用って、別にこんな格好で話さなくてもいいだろ。これ、外せよ」
「残念だけど、それは出来ないな」
「何でだよっ」
「何でって……理人くん、暴れそうだし」
「何もしなきゃ暴れねぇ。人を獣と一緒にすんな」
 誰だ、話すだけで俺が暴れるなんてホラ吹いたバカは! 俺はそんなに落ち着きのない生活を送ってきた覚えはねぇよっ。
 これを解け、と身振りで訴えるも、里見はただ微笑むだけで俺の手首には見向きもしない。
「いや、用って理人くんと話すんじゃないし」
「じゃあ何」
「んー……性欲処理?」
「せいよ…………はぁっ!?」
 思わずとんでもないことを復唱しそうになって固まってから、あまりの驚きに冷静に「何で」とも言えなかった。
 何で俺があんたの性欲処理に付き合わなきゃいけねぇんだ!?
 つうか、俺をこうやって捕まえたのは、宮村への脅しとかじゃなかったのかよっ。
「み、やむらを……脅すために、俺を利用したくて捕まえたんじゃねぇのかよ」
「ええ? 俺があいつを脅すって、ヤクザじゃないんだから」
「…………」
 ……まず、あんたはヤクザ並みに性質の悪い人間だってことに気付くべきだ。悪徳金融なんて、本物のヤクザだってやってるっぽいし。
「俺が理人くんをここへ連れてきたのはね……」
 言いながら、里見は俺のシャツの裾を一気に捲り上げる。
「うわぁっ。何しやがるヘンタイ!」
「ハハハ……その言葉は否定しないよ」
 笑ってないで、とにかく速やかに服を元に戻せ。
 俺の願いもむなしく、里見はいきなり俺の胸に顔をうずめると、冷房の効いた外気に触れて鳥肌の立ち始めた体を、フライングのようにペロリと軽く舐めた。
「ひ、ぁっ……!」
「あいつから……君を奪うためさ」
 口から洩れた声が恥ずかしくて、俺は唇を噛み締めると、ニヤリと笑った里見を睨みつけた。
「なかなか感度はいいみたいだね。毎晩ジンに体舐め回されて、敏感になっちゃったとか? 元々ノンケだって聞いたし」
 だから、どっから聞いたんだよ!? ……って、それは聞かなくてもそう考えろよッ。
「ふ、ざけんなっ……やめっ……ぁ、っぅ…んん」
 そこで俺は自分の体の異変に気がついた。さっきから感じていた熱さは、里見に乳首を弄られてさらに酷くなった。それに、宮村以外の人間に触れられて嬉しくもなんともない筈なのに、体が勝手に反応し始めている。
「や、何で……あ、つっ……ぁあッ!」
「気が付いた? 実はね、『彼』に遅効性の催淫剤も睡眠薬と一緒に渡しておいたんだ。眠ってる間に飲ませると、水が零れて面倒だし」
 まぁどうせ、これから濡らしちゃうんだけどさ……と何が可笑しいのかクスクス笑ってる里見の言葉に、どんどん薄れていく理性を掻き集めて必死に思考を巡らせる。
 彼? 彼って、誰のことだ……?
 サイインザイって、よくわからないけど、話の流れから察するに媚薬みたいなもんだよな?
 眠ってる間には飲ませてないって里見は言った。
 じゃあ、いつ飲まされたんだ。
 俺、起きてたとき……何してた?
 誰といた?
 拓海の家で……シャワー借りて……その前にアイスコーヒーを一気飲みして…………。
 アイスコーヒー、か?
 でもあの時、拓海の部屋の中には俺と拓海以外、誰もいなかった。
 じゃあ……?
「――――……っ!!」
「思い出した? 理人くんが、誰に盛られたのか」
 里見は何でもないことのようにそう言って、愛撫し続ける。
 体は勝手に反応し続けているけど、俺の意識は、その衝撃に一瞬麻痺した。
 拓海が。
 俺を。
 宮村が好きだって、知ってる筈なのに。一緒に住んでることも、人に言えないアレコレをして一線を越えていることも全部知ってるのに。
 つまり。
 俺は……拓海に裏切られた……?
 嘘、だろ。
「可哀想にね。オトモダチに連れ去られる手伝いされてたなんて」
「て、め……っ、つ……んぅぅッ」
「仕方ないかもしれないけど。彼、そうしないと家族全員路頭に迷わせる羽目になるから」
「な、に……?」
 俺は里見の言葉がはっきりと耳に入ってこなくなって思わず聞き返すが、里見は相変わらずその嘘臭い笑みを絶やさずに「んー?」ととぼけただけだった。
 その間も里見は俺の乳首を捏ねまわし、舌を這わせる。唇で挟まれ、前歯で甘噛みされると、ビリビリと電流を流されるような感覚が下肢に直撃して、背中が撓る。
 せめて声が洩れないように唇をきつく噛み締めて耐えたけど、爪でカリッ…と引っかかれ、もう片方の手が俺のものに触れて我慢出来なくなった。
「んぅぅッ、あ、っぁぁ……ぁ」
「凄いね、胸しか触ってないのに、こんなに反応してる。結構、淫乱なのかな」
「んっ…く、んな…わけ……ぁ、ぁあっ……!」
 薬盛られてなきゃ、お前みたいな奴の手に感じるわけねぇっつのぉーっ!
 嫌悪と憎悪の混じった目で思いっきり睨みつけてやる。それでもあまり効果はないのか、俺の表情に里見は満足げに口の端を吊り上げて、足の付け根に顔を寄せた。
「よ、よせ……やめっ…」
 里見が何をするつもりなのか、媚薬のせいで使い物にならなくなってきた頭を必死で働かせて行きついた答えに、俺は力の入らない手で里見の頭を押さえて抵抗した。
「何で? ジンにはさせたんだろ」
「あんたとアイツは違っ…や、ぁあ――……っ」
 簡単に手を払われ、先走りの蜜でドロドロになっていた俺のものを里見はすっぽりと口に含んだ。
 奥まで深々と飲み込まれ、先端を舌先でつつかれ、きつく吸われる。痺れるような感覚が脳をグラグラと揺らし、理性がすり減っていく。まともに考えることが出来なくなる。
「あぁぁっ、んん…ふぁ、ぁ、や、だ……っめろ……!」
 精一杯の抵抗も、里見は全く聞き入れずに俺を攻め立てていく。鋭い快感はひっきりなしに背中を走った。俺はきつくシーツを握り締めて、射精の衝動を抑える。
 それも限界は見えていた。
 宮村以外の手でイカされるのは嫌だった。
 たとえ薬を飲まされていても、感じてしまう自分に不甲斐なさと嫌悪を感じる。
 今ここには、嬉々として俺を攻めて陥落させようとする里見以外、誰もいない。けど、自分でどうにも出来ないことは、誰かにどうにかしてもらうしか術はない。
 だから、無意識の内に呼んだ。
 その、名前を。
「……ジ、ン……助けて……」
 お前以外に、犯られるのは死んでも嫌だ。
 守るって、一生涯守ってやるって、言ったじゃねぇかよ……っ。
「ジンは呼んでも来ないよ。今頃、見当違いの場所でもあたってるからねー……」
 吐息がかかってビクリと体が跳ねる。里見の顔はまともに見られなかったけど、笑っているのは声だけでもわかった。
 ウソ臭い笑みを浮かべながら、多分嘘じゃなく俺が助けをいくら呼んでも無駄なんだって言っている。
 それでも、呼びたい。
 もし、このまま宮村が助けに来なかったら。
 里見に最後までやられたら。
 考えるのも嫌だけど、現実がそうなら俺も腹を括るしかない。
 宮村以外の誰に犯されても、快感に流されて何もわからなくなっても、宮村のことだけは忘れたくない。いつでも宮村だけを考えていたい。
 両腕を戒められ、体の内側も薬で縛られて、何も出来なくても、心まで蝕まれないように。
「ジン……ッ」
「煩いよ。いくら呼んだってジンは来ない。大人しく諦めな」
 宮村を呼び続ける俺に、里見は口を離すと、珍しく苛立たしい様子で声を荒げた。脅迫のように痛いくらいものを握り締められ、苦痛に顔を歪める。
 感情の伴わない快感に、こんな痛みに、負けてたまるか。
 心まで屈したりするもんか。
 拓海に裏切られたのだって、辛くないといえば嘘になる。高校に入って、一番仲が良くて、宮村のことでごたついてたりしてても、俺から離れることもしないで、一緒になって笑ってくれた。
 拓海を失うのは確かに悲しい。
 でも、やっぱり宮村が大切だと思うから。
 この先色んなことで困ることもあるだろうし、悲しかったり、辛かったりすることもあると思う。けど、宮村がいてくれたら大丈夫だって気にさせてくれる。
 宮村は俺にとってかけがえのない存在だ。
 そのかけがえのない存在のためなら、耐え難い苦痛だって耐え抜いてみせる。
 だから、絶対に負けない。
「よっぽど、いたぶられたいようだね」
「誰が、だ……っ!」
 里見はおもむろにズボンの前をくつろげて、臨戦態勢の自身を取り出した。
 見なきゃよかった……。とっても凶悪な色をしてる。顔に似合わず。
 それでも一瞬目をやってから、すぐに里見の顔を睨む。
「せっかく痛くないように優しくしてあげるつもりだったのに……君がジンのことばかり呼ぶからいけないんだよ」
「る、せーよ……。やるならとっとと、気が済むまでやりゃあいいだろ」
 っと、今の言葉はちょっと言いすぎたかもしれない。まるでもう諦めがついてるみたいだ。
 ……まぁ体はどうにも出来る状態じゃないから、ある意味諦めてんだけど。
 俺は両足を抱えあげられ、ほぐされることもなく、頑なに閉じたままの後ろに熱の塊を押し付けられて思わず体が震えた。
 宮村が不機嫌になってからまったくしていない。慣らされていても痛いと思うのに、何もなしに突っ込まれたら確実に流血騒ぎになる。
 俺は力が込められるのを感じてギュッと目を閉じた。
 ―――悪い、もうどうすることも出来ない……。
 宮村……頼むから、こんな俺でも、見捨てないでくれよ。
 …………。
「……っれ……?」
 いつまで経っても体内に入り込む痛みや異物感は訪れず、俺は薄目を開ける。
「残念。タイムアウトだ」
 俺の両足を肩にかけ、今まさに人を犯そうとしている格好の里見はゆっくりと俺から体を離すと、さっさとズボンの前を直してホールドアップの体勢になった。
「――――そんなに早死にしてーか、里見」
「まさか。だからこうやって降参してるんじゃないか」
「…………っ!」
 物騒なことを言いながら片手に銃を構えて里見に歩み寄ってきたのは。
 俺がその瞬間まで、胸に刻んだ男。
 まさか本当に間に合うとは思わなくて。
 声が出なかった。
「あれほど言っておいたよな、人のもんに手ぇ出すなって」
「言われると余計につまみ食いしたくなるのが人の性ってもんじゃない?」
「そーか。なら二度とそう出来ないように、脳天に風穴でも開けてやろうか」
「それは勘弁して欲しいね」
 もしもーし、銃刀法違反って言葉知ってますか、そこの二人。
 俺の疑問をよそに、銃を突きつけている側、突きつけられている側とは到底思えない、世間話をするような口調で宮村と里見は会話している。
 とりあえず……俺は間一髪のところで助かったのか?
 最後までされてないって言っても、身ぐるみ剥がれて息は乱れているし、望まない快感を与え続けられていても、媚薬のせいで体だけが勝手に一目でわかるほど欲望を募らせている。
 宮村に、単に謝って済むような状況じゃない。
 心だけは……といくら歯を食いしばって耐えたと訴えても、赦してくれるとは限らない。
 助かった安心感に満たされる間もなく、罪悪感と絶望感に襲われて、宮村から目を逸らした。
 ギシッとベッドが軋み、覆いかぶさっていた影がなくなって、里見が俺から離れたことが感覚だけでわかった。
 ゆったりとした足音がベッドから離れていっても、俺は目を明後日の方向に向けたままだ。
 どんな理由があるにしても、拓海に裏切られた。
 それと同じくらい……もしかしたらそれ以上に。
 宮村に呆れられて、捨てられてしまうかもしれないということがショックだった。
 タコが出来るほど愛を囁いた相手だって、いつ気持ちが冷めるかどうかわからない。こんな醜態晒して、何も思わないはずがない。
 どうしよう。
 どうしたら、いい?
 拓海がいなくなって、宮村もいなくなったら……俺はどうすればいい?
 生理的なんかではなく、本当に悲しくなって、涙がこみ上げてくる。辛うじて息を殺し、涙が零れないように、涙腺に全神経を集中させた。
 宮村と里見のピリピリと張り詰めた空気の中で交わされる言葉が、遠くなりかけた耳に入り込んでくる。
「しかし、何故ここがわかった? あの子には何も教えてなかったはずだ」
「大林拓海には確かに会ったが、初めから知っているとは思ってなかった。お前の親父に直接連絡を取って教えてもらったんだよ」
 脛齧りの人間が親に弱いのはどこも同じだな、と宮村は嘲うように言った。
 意識の端で捉えた言葉の中で、拓海の名前が出たことに、見た目ではわからない程度に反応した。
 宮村は、拓海に会ったのか……?
 じゃあ、拓海が俺を裏切って誘拐に加担したこともわかってるんだ、きっと。
「……っくみ……は、拓海には、何もしてない、よな……? ジン……」
 それが気になって、俺は顔を向けて宮村に聞こえるように訊く。声が掠れていて、言葉がはっきりしなかったけど、宮村にはしっかり聞こえていたようだ。
「……今はな」
 無機質でそっけない返事に、宮村は深く静かに怒りを抱いているのだと確信した。
 今は、ということは、何かしら制裁を加える気でいるに違いない。
 宮村は、当然だと言うかもしれない。
 それでも、理由を聞くまでは待って欲しかった。俺がどうしても許せない理由だとしても、拓海をどうするかは、俺が決めることだと思うし。
 俺のせいで、宮村の手を汚したくない。
 宮村にも、俺の友達を傷つけて欲しくない。
 こんな俺の言うことを聞いてくれるなら、宮村には少し待って欲しい。
 無言でそれを訴えると、宮村は銃を向けたまま、小さく息をついた。
「大林拓海のことに関しては、理人がきっちりケリをつけるつもりなら、そうすればいい。俺は何もしてないが、涼一が言うには、こいつの手下に犯られかけてたらしいぞ」
 駆けつけた時には涼一が相手を伸した後で、実際に見たわけじゃないがな、と。
 それを聞いた里見は何が面白いのかくつくつと笑うと、俺に言った。
「悪いな、俺んトコの連中は手癖が悪いのが多いもんで」
「ふ、ざけんなよ……。最初から……そう指示してたんだろ? 口封じのために、弱みでも……握っておくつもりだったんじゃねぇのか!」
「まさか。あの子に関しての最大の弱みを握っているのに、これ以上面倒なものを抱えるなんてことはしない。俺は単にやることをやってくれたら、あとは好きにしていい、と言っただけだ」
 「拓海を」っていうのが抜けているだけで、大人の、そっちの気がある人間なら「ヤってもいい」ってニュアンスでとるに決まってんだろうが!
「気にしなくてもいいだろう? 宮村が言うには、寸止めだったようだし」
「……んの野郎……っ」
 睨みつける俺を無視して、里見はまた宮村に向き直った。
「もう何もしないから、その物騒なモン下ろしてくれ」
「なら、こっから出てもらおうか」
「一応、俺の別荘の中なんだけど?」
「まともに動けるのは、お前と管理人くらいだから、無駄な抵抗はすんなよ。今、立場が上なのはどちらなのか、わかってんだろ」
「……はいはい」
 多分、別荘というからには、ボディーガードがいたら一緒に来ているに違いない。それでも宮村が無傷で里見に銃を向けているということは、里見を守る人間はもはや誰もいない。
 いるのは宮村と……依岡兄、そんで組の人間数人程度なんだろう。
 宮村は、里見を部屋から閉め出して鍵をかけ、部屋に誰も入ってこられないようにしてから俺に近づいてきた。
 宮村や里見と話している間に熱は冷めていたけど、体のあちこちに残る欲情の跡は、自由にならない両腕では隠すこともままならない。
 黙ったまま、宮村は俺の腕を縛っていた布を取ってくれる。その沈黙が何を表しているのか、わからない。
 でもとにかく、謝らないといけない気がして、口を開こうとした時、宮村は俺の体を引き寄せて静かに言った。
「悪かった」
「……え?」
 俺が謝るのはわかる。でも、何で宮村が俺に謝るんだ……?
 同時に、屋敷を出る前までずっと宮村に言って欲しいと思っていた言葉だったにもかかわらず、それ自体を気にしていたことを忘れていたのに気が付いた。
 そりゃ、こんな目に遭ってれば忘れもするだろうけど……。
「今回のことは、お前に誤解させたままだった俺にも責任の一端はある」
「誤解って……何の話だよ」
「俺が大林拓海に近づくな、と言ったとき、お前は誤解しただろうが。俺が単に嫉妬心から友人を遠ざけようとした、っていうようなことを考えてたんだろ」
「……だって、あんたは拓海と面識ないし。そう思うのが筋だろ」
「面識はなくても、相手を知ることは出来る」
「どうやっ…………あ」
 そういえば、俺は初めて宮村に会った次の日にはアパートの住所とか家族構成とか経歴なんかまで知られちまってたんだっけ?
 前に宮村は『裏の情報網を甘く見るなよ』と言っていた。
 考えてみれば、俺はこっちの世界に足を突っ込んでから、命だって狙われかねない状況下に置かれている。俺の周りの人間もある程度調べておく必要はあるかもしれない。
「後で落ち着いたら全て話す。今は簡潔に言うが、大林拓海の父親は経営者で、融資をしていたのが里見の会社の一つだった。最近になって、ちょっと赤字が目立ってきたって理由で、契約更新を機に融資が一旦ストップした。経営が行き詰りそうになったが、それもすぐに解消された。思ったとおり、里見がお前を狙って大林拓海に条件を持ちかけたらしい。親の会社を潰したくなければ協力しろ、とな」
「じゃあ……拓海は……」
「故意にお前を傷つけようとしたわけじゃないことはわかっていたから、何もしなかっただけだ。お前の友人じゃなければ、すぐにでもコンクリに埋め込んで東京湾に沈めてやるところだ」
「なっ……って、ぅわぁっ!」
 それだけ言うと、あとは直接理人が聞けばいい、と有無を言わせず話を中断し、宮村は俺の体を抱え上げ、里見を追い出したドアとは別のドアへ向かった。
 そこは脱衣所で、奥にあるガラス張りのドアを開けると、俺の部屋よりも大きなバスルームがあった。
 普通の別荘に、健康ランド並みの大きさの湯船は要らないと思うんだよね。
 金持ちは何考えてんのかさっぱりわかんねぇ。
 そんな俺の考えをよそに、宮村は湯が張られた大きな湯船のふちに俺を降ろした。
「洗ってやりたいのも山々だが、そうすると歯止めがきかなくなりそうだ。残念だが、まだやることが残ってるからな。自分でしっかり洗っとけ。今度は、勝手に逃げるなよ」
「……逃げねぇよ……っ、バカ」
 心臓に悪いこと言うなよ、この男は。
 俺が悪態をつくと、宮村はニヤリといつもの調子で不敵に笑ってバスルームから出て行った。
 ひとり残された俺は、それでもさっきのような不安に駆られることはなかった。
 宮村が不敵に笑う。
 その笑みに、俺は自然と安心できた。
 普段どおりの宮村がそこにいたからだ。
 聞きたいことは山ほどある。拓海にも会って話がしたい。それで、俺も宮村にちゃんと謝らなきゃいけない。
 まだ少しぼんやりする頭を二、三度振って、立ち上がった。


This continues in the next time.
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