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7、真実


 薬が抜けるまで延々と、少し冷たいと感じる温度でシャワーを浴びていたせいなのか、湯船に浸かった時は全身がピリピリした。
 けれどそのおかげか、脱衣所に宮村が用意したのであろう服を身に着けたときには頭もほとんどスッキリしていて、正常な状態に戻っていた。
 この程度で治るくらいの軽い薬でよかったと思ったけど、少し頭が重く全身がだるかった。
 誰もいない室内を、それでもきょろきょろ見回してから慎重に横切って宮村が入ってきたドアから外に出た。
「大丈夫ですか?」
「っ、ぅわ!」
 出てきてドアも閉めないうちにすぐ隣で声がして、俺は一瞬飛び上がった。見ると、長谷川さんが後ろ手を組んでドアのすぐ横に立っていた。多分、ずっと待っててくれたんだ。
 でも、長谷川さんには悪いけど、宮村じゃないことが少し残念だった。
「あ、はい……。本当に、すみません」
「とんでもない。今回のことは理人さんだけの責任ではないですよ。私に謝る必要はありません。それよりも、あなたに謝りたいという方が別の部屋で待っていますよ。さぁ、行きましょう」
 おそらく、拓海だ。
 俺は頷いて、体を気遣いながらゆっくり歩き始めた長谷川さんについて行った。
 いくつものドアを通り過ぎ、通路の一番奥にある部屋の前まで来た。目の前のドア以外に入る場所はなくて、多分ここに拓海がいる。
 なるべく普段どおりの態度で接しようと思った。
 今回のことは、拓海が本当に悪意を持って俺を裏切ったわけじゃないことは宮村から聞いているからわかる。だから、責めちゃいけない。
 どんなに大事だって言ってても、結局犠牲にしなければならない時だってあると思うから。
「中にいるのは、拓海でいいんだよな」
「はい。涼一さんが付いてはいますが」
 保護と監視のため、と聞いても、何となく不安だった。依岡兄が黙って拓海を見張ってるわけがない。どんな理由にせよ、依岡兄が拓海を詰るネタはいくらでもある。
 コンコンと控えめにノックをすると、中から鍵の回る音がして、依岡兄がドアを開けてくれた。でも依岡兄は俺を中に入れる前に、通路へ出て後ろ手にドアを閉めた。拓海はドアの隙間からは見えなかった。
「りっくん、大丈夫?」
 俺の顔を覗きこむ依岡兄は真面目な表情で、本気で心配してくれているようだった。いくらろくでなしの性格をしていても、こういう時にまでふざけるような無神経さはない。
「ほとんど大丈夫。今は早く拓海と話がしたいんだけど」
 部屋の中で一人待つ拓海がどうしても気になって、急いてしまう。
「何でそこまで心配するんだよ? りっくん裏切って、一服盛ったような奴をさ」
 吐き捨てるように依岡兄は言った。
 確かに、傍から見ればそうかもしれない。
 俺は完璧な被害者で、拓海は加害者に加担した「共犯者」だ。どんな理由があろうとも、簡単に許されることじゃない。
 被害者の俺がこんなに甘かったら、本当は良くないのかもしれない。
 けど。
 拓海だけだったから。
 俺がどんな連中と付き合っても、男の、しかもヤクザの組長と恋愛関係にあっても、最後まで一緒にいてくれたのは、拓海だけだった。
 俺だって、怒ってないわけじゃない。
 でも、許してあげないといけない。
 たとえ、関係が元に戻らないとしても。
 じゃなきゃ、拓海はこの先一生、その罪を背負っていかなきゃならなくなる。いつかは忘れてしまうかもしれないその罪も、消すことは出来ない。
 今までのような関係になれないのなら、それが、せめてもの恩返しだ。
 宮村と同じくらい、俺にとって拓海は大事な存在だから。
「それでも俺は、拓海とちゃんと決着をつけなきゃいけない。これはさ、俺と拓海の問題だと思うから、依岡兄も心配してくれるのはありがたいんだけど、黙っててほしい」
 俺は目を瞠る依岡兄を軽く押しのけて、部屋の中へ入ると、すぐに鍵をかけた。これで邪魔をする人間はいない。
 幸い、俺を呼ぶ声も強引なノックも無かった。
「理人……」
 俺は小さな呟きにサッと振り返る。ごてごてした悪趣味な装飾のソファに、憔悴しきった弱々しい表情をして拓海が座っていた。
 つい数時間前まで陽気に喋っていた拓海の顔は、真っ青のままだ。
「拓海、お前大丈夫かよ? 俺よりも死にそうな顔してんぞ」
 何を話していいのかわからなくて、ついいつものノリで話しかけて、やっちまった、と思った。
 拓海はそんな俺の顔をじっと見つめてから、急に表情を歪めて、頭を下げた。その場から一歩も動けない。
「ゴメン。……本当に、悪かった。謝って済むようなことじゃないってわかってる。警察に突き出されたって、宮村さんに殺されたって仕方ないことをして……っ」
 依岡兄が俺を待っている間、拓海と何を話していたのかはわからない。けど、かなりきついことを言われてそうだ、と拓海の様子から思った。
 俺は土下座しそうな勢いの拓海の側まで寄ると、拓海とほんの少しだけ間隔をあけて腰を下ろした。
「俺は別に平気だって。少し頭は痛いけど、動くのに支障はないし。それに、俺は拓海を責めに来たわけじゃない。ちゃんと、話を聞きたかっただけだ。だから平謝りする前に、ちゃんと経緯を話してくれよ」
 大まかなことは宮村から聞いている。宮村が嘘をついているなんて思っちゃいないけど、直接拓海から聞きたい。
 拓海は顔を上げて、俺を見た。俺も真摯にその視線を受け止めて、拓海が口を開くまで待った。
「……俺が、期末終わってから休んでただろ? 最初は本当に風邪だった。けど、最後の日だけは、あの男……里見に条件を持ちかけられて、悩んでたんだ」
 風邪が治ってようやく学校へ行けるようになった拓海は、登校中に里見の部下に無理矢理連れられて里見と対面した。拓海の父親が経営している会社の融資相手が、里見の持つ会社の一つで、融資の契約更新がその前日だった。そして微々たる回数ながらも赤字の出ている拓海の父親の会社への融資を打ち切る方向で話が進んでおり、先日の契約更新も一度断った、ということを教えられた。初めは信じていなかった拓海だが、自分の父親の署名と印の入った契約書や、名刺を見せられ、信じざるを得なくなり、会社への融資の再契約をしてもらう代わりに、里見の出した「条件」に従うことを約束させられたらしい。
 実際、赤字というのも経営自体に大きく影響を及ぼすほど酷いものではなかったらしく、けれど社長である里見の一存で決めてしまえることであったために、拓海は選択を迫られていたという。
「俺には、今まで俺を育ててくれた親を黙って見捨てるような真似は出来なかった」
 どんなことを言っても、言い訳にしか聞こえないんだろうけど、それが真実だ、と。
 俺は拓海の搾り出すようなその言葉を黙って聞きながら、赤茶の絨毯をじっと眺めた。
 拓海は何も悪くないって、俺も、そして宮村もわかってくれているはずだ。  俺を狙った里見が、たまたま拓海の親の会社に融資をしていて、その再契約をネタに拓海を脅すことが悪いんだ。
 誰だって、自分の家族と友達を選べと言われたら、そんな秤にかけられないものをかけられたら、どうすればいいかわからなくなる。
 拓海が選んだのは「家族」であって、「悪」じゃない。俺一人命と、家族全員の命だったら、俺だって間違いなく家族を選んでいる。
 友のために犠牲になるって、確かに涙モンの友情物語だ。けど、「お前はいい奴だ」って言って褒めて、同情して、涙を流してくれる人が、じゃあ拓海の家族を助けてくれるのか?
 友達裏切った人間に、ただ単純に「サイテー」って言うだけなら、簡単だ。事情を知らない奴だったら、誰だって無責任にそう言える。
 事情を知っていても、依岡兄は言ってたけど、それは過去の経験からなんだろう。どちらとも犠牲にしたくないのなら、もっと別の何かをするべきだって言いたいのかもしれない。
 里見に話を持ちかけられたとき、拓海が何を考え、どんな風に悩んで、条件を呑んだのかなんて、俺にはわからない。
 でも、拓海はちゃんとこうして正直に話して、謝ってくれた。だから、俺も責めたりすることはしない。
「……拓海が謝ることじゃないよ。悪いのは里見なんだから」
「理人……」
「それにさ、確かに睡眠薬とか得体の知れない薬とか飲まされたけど、結局宮村が助けに来てくれたおかげで未遂に終わったし、拓海も色々酷い目に合わされたっぽいしさ。おあいこだろ?」
「……!」
 拓海はそこで少し顔を赤くした。うん、やっぱそういうのって知られるのは恥ずかしいよな。
 経験値は俺よりは高いけど、さすがに男に対しての免疫はなさそうだし。自慢出来ることじゃないけど、そこだけは自信を持って拓海より上だと言える。……なんて、不毛なことを考える俺は、一番の被害者の癖に、結構な暢気者かもしれない。
 けど、そういう反応を示せるくらいには、拓海も精神的には大丈夫そうだ。
「だからさ、もういいよ。もういいから、一緒に帰るぞ。……宮村のところに戻らなきゃいけないのは確実だから、荷物、しばらく預かっててくれると助かるんだけど」
 これ以上の言葉はもう要らない。俺がそう思ったんだから、誰にも文句は言わせないし、とにかく、拓海と一緒に帰れることにただホッとした。
 裏切られたと思ったときは、ショックで何も言えなかったけど、結局それも誤解で済んだ。
 あとはもう、日常に戻るだけだ。
「……ほら、いつまでもそんな趣味のわりぃソファに沈んでんなよ。外で待ってる人もいるんだし」
「―――あぁ」
 疲れたような、けれどどこか安堵の混じったその短い言葉を聞いて、やっと 俺は「いつもの拓海」に向き合う「いつもの俺」に戻れた気がした。


This continues in the next time.
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