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10、雨上がりの夜 ≪宮村ジン≫


 ―――変だな。
 俺は所用先から帰ってきて、まだ理人が家に帰っていないということを知らされて不安になっていた。
 いつもなら、この時間には帰ってきているはずだ。雨も降っていたし、部活だってなかったろうに。
 もうとっくにメシの時間は過ぎている。遊んでいたとしても、連絡くらい入れてくるだろう。
 俺のところには何度か着信があったが、仕事の話し中に電話に出られるほどの常識知らずじゃない。
 数時間前から家にはいるし、携帯の電源もちゃんと入れてある。いくら電話しても出なかったからと言って、夕食時くらい電話するはずだろう。
「まさかあいつ―――ここの番号知らないんじゃないだろうな?」
 あり得ない話じゃないな。俺は教えた覚えもない。親父や涼一が気を利かせてくれていたなら別だが……。
 だんだんと落ち着かなくなってきて、携帯をポケットにしまってから縁側に出る。草履をつっかけて庭に出ると、止んだばかりの雨のせいで、空気は湿っていた。ムラムラとした熱気が辺りを包んでいる。
 それでも部屋の中にいるよりは夜風に当たっていた方が楽だった。
 ―――親父は、こんな俺に組を継げっていうのか。しかも近いうちに。
 綺麗に手入れをされた庭の踏み石の上を辿りながら、親父と交わした約束を思い出した。
『俺が組を継ぐのは、自分が本気で大切だと思う人間を手に入れてからだ』
 ただ家を継ぐのが面倒だった俺は、この先現れるはずのない生涯の伴侶を手に入れてからだと、親父に言った。
 正直俺は誰にも興味はなかったし、生まれてからすぐに死んだお袋の代わりに、俺を育ててくれた近しい組の人間を従えるなんて考えたくもなかった。同等の立場で、何が悪い。
 上に立つ者としての威厳や嗜みを骨身に染みるほど叩き込まれても、意味がないことなんだと親父に理解してもらうつもりで言ったことだった。
 だが、継ぐか継がないかわかりもしないのに「若」と呼ばれて、客をびびらせる為の迎えに頭を下げられる。俺より年上の、組をよく知った人間にも、親の七光りよろしく敬語を使われ、自分で出来る雑用も代わりにやってくれていた。
 俺はそんなことを望んでいないはずだった。
 なのにどうだ。東理人というガキに入れ込んで、帰宅時間も遅く、連絡すら入らない状況に取り乱し始めている。
 親父にも「約束だからな」と言われ、他に何も出来る事がないということにも気付いていた。
 結局、俺が欲しいと思った人間なら、男でも親父にとっちゃ好都合だったわけだな。
 俺も、組を継ぐ覚悟は決めている。やるならとことんまでやるまでだ。仕事の量も今までの比じゃないが、なるようになるだろう。
 親父の、組の下にいる以上、組長の言葉は絶対だ。たとえ親子だろうが何だろうが、それだけは揺るぎない俺達の「掟」だ。
 何より……あんなに楽しい人間(理人)と会うのは初めてだった。可愛くて、いじめてやりたくて、でも大切にしたくてたまらない。
 理人と一緒にいるのなら、堅苦しい理不尽な上下関係のストレスも「そんなものが何だ」と思わせてくれそうだ。
 コロコロ変わっていく理人の表情を思い出しながら、俺は顔に浮かぶ笑みを噛みしめた。
 だがすぐに首を振って、今はそんなことを考えている場合じゃないと言いきかせ、理人からの連絡を待っていた。
 その時丁度ポケットの中の携帯が音を立てて小刻みに震え始めた。―――電話だ。
 急いで二つ折りの携帯を開くと、いつもの公衆電話からの「非通知」ではなく、見覚えのない携帯の番号が表示されていた。理人はまだ友人と一緒にいるのだろうか?
「はい、宮村」
 先方からの急な連絡ということも考えて、当たり障りのない言葉を選んだ。
『宮村ジンだな?』
 聞こえてきた声に不穏な雰囲気を感じ取って、すぐさま母屋の方へ足を向けた。
「あぁ、そうだが」
『東理人を預かっている。こちらの要求に応じるなら、無傷で返そう。要求に関してだが、お前に選択の余地はない。そちらに居候している依岡の二人を連れて、指定する場所に来てもらおう』
「そんな話を、信じると思うのか」
 立場上、こういった類の脅しや悪戯は頻繁にと言うわけではないが、ないわけではない。
 言葉とは裏腹に心臓の鼓動が速くなっていくのを感じていた。
『わかった。東理人の声を聞かせよう』
 その口調は淡々としていて、俺の不安を煽っている。縁側から依岡の二人がいるはずの離れへ向かいながら、理人の声が聞こえてこないことを祈った。
『―――何がどうなってんのか、よくわかんねぇんだけど』
「―――っ!」
 耳に当てたスピーカーから聞こえてきた声は、朝からさんざっぱら不機嫌に怒鳴りながら車に乗って学校に送った理人のものだった。
『とにかく、俺は今そんなわけで捕まってる。とっとと助けにこねーと、浮気するからな』
「どんな脅し文句だ……」
 誘拐されているにしては、自分の立場がよくわかっていないような口ぶりに頭を抱えながらも、涼一の部屋をノックした。
『信じてもらえたか』という声と、涼一が部屋から顔を覗かせたタイミングは同じだった。俺は口に人差し指を当てて涼一にサインを送りながら、「あぁ」と短く答えた。
『五分後に連絡する。下手なことはするな。……まぁまさか、関東では名の知れた宮村組の若がサツに通報なんてことはしないと思うがな』
 微かに聞こえた笑い声のあと、通話は切れた。俺は険しい表情のまま、涼一を見る。
「今の電話、誰からだったんだ」
「さぁな。ただ、お前と涼二を連れて来いと言っていた。―――知っている事があるんだったら、教えてもらおうか」
 糸口の見えない相手からの要求を口にすろと、すぐさま涼一の表情が強張るのがわかった。間違いなく、涼一は何かを知っている。
 俺が口を開く前に涼一はまるでわかっていたかのように俺に訊ねてきた。
「まさか、りっくんが……?」
「そのまさかだ。五分後に連絡が来るらしい。手短に話してもらおうか」
 顔面蒼白になりつつある涼一は俺を部屋の中に招き入れた。何故か兄のベッドの上でマンガを読んでいた涼二は、ただならぬ雰囲気にマンガを本棚に戻して座りなおした。
 涼一は一度涼二の顔を見て深く頷いた。涼二はその意味がわかっていたようで、神妙に頷き返した。
「今まで、ずっと隠し通してきたことなんだけど、悪く思わないで欲しい。俺達は間柄を口にしちゃいけないような関係だったんだ……」
 涼一の前置きから、再び携帯が鳴り始めるまでの短時間は長く感じられた。


「それは、本当なのか」
 俺は途中から俯き加減になっていた涼二の頭を撫でながら全てを話しきった涼一に、信じられないと言わんばかりに訊ねた。もちろん、涼一がそんな悪質な悪ふざけをする奴だとは思っていなかった。
「冗談で言うわけないだろ。それにりっくんが攫われちまったんだぞ。俺だって、そこまでされるとは思ってもいなかった……」
 因縁が導いた連鎖なのか。どんな目に遭わされているかわからない理人の身を、早く助け出さなければいけないことは確かだった。
 「三笠」の人間が関わっていた。それだけでも俺には大問題だった。さらに依岡兄弟の関係まで絡んでくる。一人で行動するよりもずっと面倒な状況だ。
 俺は一度自分の部屋に戻り、車のキーと護身用に折りたたみ式のナイフを持って、母屋に戻った。
 俺の探していた人物は今起こっている事態なんて露も知らず、よほど暇なのか居間に置いたテレビで面白くもないバラエティ番組を見ていた。
「親父……」
 普段と何ら変わりない親父の習慣が、俺の気持ちを逆撫でしていた。逆に「夢じゃないか?」と疑ったが、紛れもない事実だ。
 親父は俺の顔をチラリと見て、またテレビに目を戻す。俺が何かを言いかけると、親父が先に口を開いた。
「儂は何もせんぞ」
「――――……」
 争いは避けられればそれに越した事はないし、第一、勝手な行動は組自体に迷惑をかける。一番頼れるのは、組をまとめる首領だ。
 だが、何も言わないうちに釘を刺されて言葉を失った。そんな俺を見ることなく、親人は続けた。
「お前はもう成人式も迎えて、組での仕事にも大分慣れてきたろう。いつまでも上の人間に頼っているんじゃ、上に立つものとして情けない。あの約束、きっちり守ってもらうからな」
 ―――昔からそうだ。
 親父は俺を好きにさせているように思わせて、実は自分の手の中で転がしている。上手いこと扱われていたのに気付いたときから、親父のことは嫌いだった。
 今もまた「本気で大切だと思う人間」を手に入れようとして焦る俺を試している。そうしたら俺は、嫌でも組の頭として身を置かなければならない。
 ――この人には、勝てない。
「わかった」
「あぁ、そうだ。それでいい……ただ、一つだけ言っておく」
 フッといきなり俺の方に顔を向ける親父の表情は、真剣そのものだった。
「お前が後悔をしないような選択をしてこい」
 それがどういう意味なのか、深いところまで探る暇はなかった。
 無言で親父に頷くと、俺の背中を押してくれた絶対的存在に頭を下げ、玄関へ足早に向かった。


「三笠の場所は知っているのか」
 玄関に着くと、もう二人は着替えて靴を履いた状態で待っていた。
 二人を車に乗せ、エンジンをふかしながら助手席の涼一に訊ねると、肩をすくめて言った。
「あぁ…一応。向こうからの接触があったからな。……涼二、大丈夫か?」
「へ、いき」
 三笠の元へ行くのに抵抗があるのか、声が震えていた。バックミラー越しに見えた涼二の顔は、青ざめたようにも見える。
 ざわざわと胸が騒いだ。三笠の人間は俺が知る限り、最悪な奴等だ。穏やかな話し合いなんざ望んじゃいない。何をしてでも、要求を押し通すような人間が、組長を含めうじゃうじゃといる。最近三笠は先代が亡くなり、遺言によって跡目相続が行われたと聞くが、気性の荒い組の動きがとみに酷くなったらしい。
 依岡もそうだが、理人が一番心配だった。
 俺は……傷付けられた理人を見たら、何をするかわからない。それくらい、あいつに惚れているのだろう。
 認めたくなくても、あいつが相手なら、仕方ないのかもしれない。
 不謹慎と思っていても、口の端がつりあがる。だからこそ、助けに行かなきゃならない。
「行くぞ」
 俺は困惑の色を隠せない二人を見ずに告げて、アクセルを踏み込んだ。


This continues in the next time.
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