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12、傍にいる理由


 ザァァァ――――……。
 頭からシャワーを浴びている俺の周りで水が床に打ちつけられる音が響いていた。
「…………」
 とにかく今日は色んな事がありすぎて、頭も精神もついていけない状態だ。多くの「事実」を頭に留め置くのは、忘れる方が難しかったから多分大丈夫だと思う。
 宮村と色んな意味で話すことが出来なかった俺は屋敷に着いてすぐ、依岡兄に事の真相を聞かせてもらった。
 弟の方は極度の緊張から解放された所為か、俺よりもぐったりとしていて、先に自室へ戻っていた。
 遡ること九年前。交通事故で依岡兄弟の親は亡くなってしまった。親戚とは疎遠だったために孤児院に預けられたものの、悪質なイジメがあって、院に入ってからたった二ヶ月で院から逃げたそうだ。その頃から弟の方は「不眠症」になった。両親と住む場所を失ったショックにイジメによるストレスが重なってそうなったらしい。
 まだ兄の方も十五歳で、しかも身分を証明するようなものは何一つ持っておらず、まともな働き口はなかったために、やむを得ず兄の方が体を売って生活費を得ていた。
 母親の方は死ぬ間際に「三笠に行けば、助けてくれるかもしれない」と口にしたそうなのだが、兄弟は決して首を縦に振ろうとはしなかった。二人とも、母親が勘当されていたことは知っていたからだった。そして幼いながらに「依岡」として過ごしてきた日々を大切にしていた。
 ただ子供だけで生きていくには現実はやはり厳しかった。
 その頃二人は建設途中で中止になった廃ビルの中で生活していた。けれどとても危険な目に遭ったらしいのだ。それを兄は語ろうとはしなかったけど、とても辛かったみたいだ。
 安全ではなくなった廃ビルを出て、すぐ新しい住居を見つけなければいけなかったけれど、兄の方が体力の限界で、誤って車道にぶっ倒れたらしい。
 その時ギリギリのところでブレーキをかけて止まった車がなんと宮村の乗ったベンツだったそうだ。
 宮村はボロボロの二人を見るなり、父親に「こいつら二人、拾っていい?」と何とも変なことを言い出し、そして現在に至る。
 三笠守矢は正真正銘、二人の叔父に当たる人で、二人の母親に恋情を抱いていたのも本当らしい。
 たった数時間のことだけなのに、依岡弟があんなに疲れ切っていたのは、自分の母親に対する三笠の執着に、必要以上の恐怖感を抱いていたせい。
 …俺は何不自由なく育ったし、自分の母親もとい「ノーテンキ・ぐうたら・怠け者を絵に書いた人」の気持ちなんてほとんど考えもしなかったから、現実として捉えることは難しかった。
 話し終えた依岡兄も、笑って「まぁただの世間話みたいなもんだから」と言った。絶対に苦しかったはずなのに、辛かったはずなのに。笑いながら俺に話してくれた。
 俺が思っていた以上に依岡兄弟は優しくて、とても強かった。
 しかも赤の他人で、わけもわからないまま移り住んできた俺のために来てくれた。
 行かないとジンに殺されるからなぁ、といつもの口調で茶化す依岡兄の言葉の裏に何があるのか、少しだけ理解できた。
 きっと…今時古臭い考え方だけど、二人なりの「恩返し」なんだろうな、と。
 終わらせちゃいけないんだろうけど、これ以上考えていてもキリがないし、人の過去に触れる事がこんなにも悲しかった事が初めてで、結局頭を冷やすためにも熱いお湯を浴びてスッキリしようと、風呂に駆け込んだ。
 途中ですれ違った組員の人のうち、何人が数時間前に起きた出来事を知っていたかどうかはわからないけど、就寝時間はとっくに過ぎているのに屋敷の明かりは点けっぱなしで、「お帰り」と言ってくれた。
 ……言ってくれている時点で、知っているんだろうな。特に組長さんなんかは意味深に笑っていたし。
 時間帯が深夜ということを除いて、宮村の屋敷はいつもと変わらない時が流れていた。


「理人」
 俺は離れの自室に向かう途中、後ろから声をかけられて振り向いた。一番会いたくない人間に遭遇した気持ちは、何とも重苦しい。
「何だよ。アンタはすること何もねぇのか」
「すること?」
「他の組の人間とドンパチやって帰ってきて、しない事がないってのは変じゃないのかよ」
「別に。親父には一言言えば済む。組員もわかっている。だから俺のすることはない」
 あーあーはいはい、つまりアンタは暇人なわけね。わざわざ寝ようとしている人間に声をかけたくなるほどに。
「じゃ、シャワー浴びてくれば?」
「離れのを使ったから、もう済んでいる」
「……。メシは? 食いそびれたんじゃねぇの?」
「さっき親父と話しているときに、軽くつまんだから特に欲しいとも思わない」
「…………。寝ねぇの?」
「寝る前に、話がある」
 どうやら、何があっても俺に話したい事があるらしい。明日も学校あるのに、いつになったら寝かせてくれるんだよ。
 俺はいりもしない手を差し出され、それを取らなかったばかりに逆に腕をガッチリ掴まれて、自分の部屋じゃなく、宮村の部屋に連れて行かれた。
「なー、明日じゃだめ?」
「すぐに済むから、今にしろ」
 どうして俺が「話を聞いてやる側」なのに命令されなくちゃいけないんだろう? その辺の矛盾の指摘なんてのは、通用しないんだよね、この人は。
 今はあまり誰とも話したくなかった。宮村相手なら、特に。
 とっとと布団に潜って寝てしまいたい衝動はあるのに、目は冴え切っていて聞く気満々の体に裏切られた気分だった。
 俺は部屋に入ると、遠慮なく皺一つないベッドの真ん中にボスッと腰を下ろした。宮村はこれまたさして気にすることもなく、同じベッドの端の方に腰掛ける。
「お前、いつになってもガキだな」
「いいんだよ。まだ大人じゃねぇから。それより、話って何だよ」
 顔を合わせないまま切り出した俺に、宮村は浮べかけた笑みを消して真摯な表情で俺を見据えた。凄まれたときとは違う、鼓動の乱れが俺を襲う。
 あぁもう……そろそろ救心を飲み始めた方がいいかもしれない。組長が意外と持っているかもしれない。すげぇ心臓に悪いことやらかしているし。
 俺は……心臓が悪くなる前に、危うく脳天に風穴をプレゼントされそうになったけど。受け取り拒否は、果たして吉と出るか凶と出るか。現段階では凶が優勢の模様。
「――真面目に、言ったことはないけどな、理人。俺はお前に本気だった」
 ――――末小吉に格上げか、大凶まで下げるか迷った。
 俺は真横にいる宮村の目をいる事ができずに、目の前の掛け時計を見ていた。秒針がコッチコッチと音を立てて動く。現在二時四十一分を回りました。急に117番かけたくなったよ。あれ、177だっけ?
 言われた言葉の意味を表面だけ理解しようとするのは、十六年と半年ちょっと生きた俺には無理なことだったし、鼓動はますますヒートアップ。あぁそう、とも言い返せない。
「だが、お前を俺の傍に置く事がどういうことなのか、やはり考えておくべきだった」
 珍しく反省の色を見せる。申し訳程度の言葉でも、ないよりマシかな。……俺はそんなことを無理に考えている頭を振った。
 ――――そうじゃなくて。
 俺はきっと何処かでこの言葉を宮村が口にするのを予測していた。
 すごく、宮村らしくない、弱音。
「俺はお前を得たことでいっそう、組を背負って生きる立場に近づいた。俺もそれを受け入れないわけにはいかない。お前の言う「俺を信じて動いてくれている人間」のためにもな。親父も若い頃に脅迫まがいのことをされたらしいが、今回のような事がまた起きないとは限らない。理人みたいに、縛られるのが嫌いな奴に、屋敷の中にいろと言っても意味はないしな」
 それはうんうんと頷けた。ただし、普段の会話でなら。
 今は日常会話とは程遠い、かなりのシリアス。俺が一番苦手な会話。だって何て言えばいいのかわからねぇから。
 現に今だって、俺は何を言えばいいのかわからなくて、ずっと黙ったままだ。最終的に宮村が何を言いたいのかがわかっているのに。
 多分それは俺が一番望んでいたことだった。
 けど素直に喜べない、むしろ拒む自分がいた。いつの間に俺は俺を裏切るようになったんだろ? どっちも俺。損得も俺だけの問題だ。痛いのは損まで被ってしまうところ。
 宮村が言いたいのは「俺を守りきれるかどうかわからない」っていう不安だと気付くのに、時間はいらなかった。
 別に、いいのに。守ってくれなくたって。
 だって……玩具なんだから。
「お前を、これ以上手に入れようなんて思わない。お前は俺の手も想いも届かないところで、平和に暮らせばいい。始めから……悪かったな。あの時は勝手にバイク持っていかれて、少しイラついていたんだ」
 ただ傍に置いてもらうにも、理由が必要になってきた。どうしよう、こういう時こそ、無理にでも理由を作って正当化してしまう目の前の男の頭脳が欲しいよ。
 自責の念でいっぱいな瞳、普段じゃ余裕で俺をからかう二枚舌は、想像もつかないほどの弱音を吐いている。
 そうさせているのは、俺なんだ。
「な、なーに言ってんだよ! 誰だって自分のバイク勝手に乗り回されたら、不愉快になって当然だって。まぁ、アンタのはやりすぎてるけどさ」
 そりゃあもう、常識では考えられないくらいの報復だったさ。
 今度は動悸だけじゃ飽き足らず、人生で経験した事がない程の、成長痛じゃない胸の痛みが走り出す。
 俺が、何か言わなくちゃいけない。
 言わなきゃ絶対、後悔する。
 立場とか、どう思われているとか関係なしに、もう一度だけ言いたいことを言うことにした。
「俺が言いたいのは……宮村ジンが宮村ジンらしくなくて、どうするんだって事だよ。そんなんで、この先組を引っ張っていけると思ったら大間違いだぞ。そこんところは部外者で裏稼業なんかこれっぽっちの知識も持たない俺が言えることじゃないかもしれないけど! 言ったじゃんかよ。俺一人のために、組の人間を犠牲にするなって。はっきり言って、そんな弱音を平気で吐くような人間が組の上に立って、組を守っていけるとは思えねぇなっ」
 人として…人を守る側の気持ちだけは、わかるから。俺は迷わない。
「絶対、アンタは俺のこと引きずるだろ。俺が離れても、きっと気にするだろ。でも、俺と違ってアンタは大人だ。血迷ったことも、割り切って忘れられる、立派な若頭だって信じてるからな、俺は。それに……」
 そこまで来て俺はハッと口を噤んだ。危ない危ない、言うつもりのないことまで言いそうになっちゃったよ。
 それも本当は言いたいことだったけど、宮村のことを思えばこそ、言いたくなかった。言ったら「忘れない」ってかなりの確率で言われる気がする。
 結局俺は自分も、宮村も裏切った。
 ……まぁいいか。明日からまた日常に戻れるなら。拓海のわがままにも付き合ってやるのもいいかもしれないし、部活も気持ちよく出られそうな気がするし。
 不思議なほど、冷静な自分がいた。
「じゃ、明日には部屋片付けとく。起きたら引越しトラックに連絡入れといて欲しいんだけど。でも今日はさすがに眠いから、寝かせてくれ」
 俺は何も言おうとしない宮村を置いて、立ち上がる。
 これで、最後だ。
 何も言うことはない。……少なくとも、俺にはないんだ。
「おやすみ。今日はマジでありがとな。アンタ、本当にいい奴だよ」
 俺のために体張って、こんな時間まで構ってくれて。
 一晩寝れば、宮村もいつも通りになる。
 声が震えないようにするだけで精一杯だった俺の背中に、人の気配を感じた。
「な――――んんっ」
 何だよ、と振り向きざまに呟いた言葉は、突然のキスに吸い取られた。
 まるで離れたくないとでも言うように乱暴に舌を絡め取られて、驚いたせいで上手く呼吸が出来ない。
「んぅぅ……っ…ぷはぁっ」
 肩でゼイゼイ息をしながら俺は宮村を見た。眉間に皺を寄せて、とても悲痛に思えてくるような表情だった。
 対する俺は……我慢の限界かもしれない。
 玩具なら、簡単に忘れられるのに。どうしてそんなに「惜しむようなキス」を仕掛けてくるんだろう。
 十七にも満たないガキに、しかも男に本気もクソもあったもんじゃないって、俺はどうして目の前の男に言えないんだろう。
 俺がしっかりしてなくて、宮村が手を離してくれることなんかないってわかっているのに。
 こみ上げてくる涙を精一杯堪えて、俺は告白しようと思った。
 もう、我慢するの、疲れた。
「いくら理人が、俺がお前のことを忘れられる大人だと信じていても、俺は忘れることなんて出来ない。言っておくが、忘れられない大人だってたくさんいるんだ。俺も忘れられるほど器用に生きてはいない」
 嘘つけ。俺のことは器用に手篭めにして弄ぶくせに。
 ついでに、人の気持ちまで持っていくくせに。
 俺にとっては、一生の不覚に違いない。
 だからきっと、俺も忘れない。
「あっそ。…でも俺は忘れてやる」
「…………」
 わざと意味を履き違えるように言葉を選んでやると、案の定、宮村は口を固く結んで黙ってしまった。人はこれを「ショック」と呼ぶ。
 ふん、これくらいの意趣返しは嫌でも許してもらうからな。
 本当に言いたいのはそんな事じゃないんだからさ。
「――――そんな自信なさげな目ぇして、弱音ばっかり吐いてるカッコ悪い宮村ジンなんて俺は忘れてやるね。俺の……俺の惚れた宮村ジンに早く戻ってもらうために」
 俺や、周りが知っている宮村はいつだって強引で、一度やるといったからには絶対にやり通す奴で、傍迷惑なんだけどカッコいい。
 そんで、ムカツクくらい綺麗なその顔に不敵な笑みが戻ってくれば。
 守ってもらえなくても構わなかった。
「ああもう、黙ってないで何か言えコラ。俺はアンタが好きだって言ってんだよ。それでも俺を遠ざけるってんなら、簡単に戻れないように国外追放でもするんだな。じゃねぇと、北海道からでも沖縄からでも、俺はすぐアンタに会いに行く」
 その前にバイトして金貯めないといけないけどなぁ。
 命あってのなんとやら…が自身に言いきかせてきたことだったけど、危険に身を曝してでも一緒にいたい人間って、いるもんなんだな。世間はやっぱり広い。
 だからそんな顔、して欲しくない。
 多分ゆでダコと比べてもいい勝負の俺の顔を、宮村は穴が開くほどジッと、しかも目を見開いて見つめていた。
 そんなに見られると、勢いをなくしそうになる。恥ずかしいからやめてくれ。――そんでもって、何でいきなり笑うんだよ?
「俺のモノになってくれるか?」
 ふわりと笑みを浮かべた宮村は唐突にチンプンカンプンなことを訊ねてきた。「ハァ?」と言いそうになった。けど俺は少し考えてから、コクリと頷いた。
 傍にいられるなら――――玩具でもいい。
 宮村の所有物である以上は、俺はずっと宮村の傍に身を置く事が出来る。
「……上等だ」
 無言の返答に、宮村は絶対無敵な口調でそう告げる。そして俺をもう一度抱きしめた。
「全力で――――お前を守る……!」
 どちらともなく体を離したときに見えた宮村の顔には、不敵な笑みが張り付いていた。それが初めて見たときよりも優しい表情に見えるのは多分気のせいじゃない。
「アンタは俺の幸せ家族計画をぶっ壊してくれた張本人なんだからな。当然だろ…っ」
 疲れも何もかも吹っ飛んだ気分で、俺は宮村に抱きついた。
 何だか、とても暖かかった。
 折角我慢していたはずの涙が、一筋だけ零れ落ちてしまった。


This continues in the next time.
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