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最終話、現実は決して甘くない


「理人、起きたか」
「……起きてる」
 とっくに。
 腰から下が痛くて動かせないということと、横になっているのが自分のベッドではないことを除けば、いつもの朝とそう変わりないのかもしれないけど。しかもそもそも今は朝じゃないし。
 何せコトが済んだのは、起床時間になってから。俺はもう本当に精も根も尽き果てていて、やっと目蓋が持ち上がったのは午後の二時過ぎ。それでもまだ眠い。
 宮村は既に着替えも済ませて、俺のために三時の昼食を持ってきてくれていた。
「ほんっっっとに、人のこと考えないよな、アンタって」
「ジンだって、何度も言っただろう。それにもっと、だの早くイカせて、だのを言ってきたのはお前だ」
「言うなバカッ!! それに同じ人間指してるんだからいいだろ」
「俺が気に入らない。名前で呼べ」
「…………」
 マジで、いつになっても、好きだと感じても……ムカつく人間だと思う。人が恥ずかしがってんのに、呼ばせようとするなんて。性格が悪い証拠だ。
 そんなわけで、めでたく俺は「顔はいいけが実は性悪ヤクザ」と恋人同士になってしまいました。どうしてだろう、素に戻った途端、認めたくない気持ちで一杯だ。
 兄貴が知ったら卒倒するような大スキャンダルです。
 もう何日兄貴に電話してないんだろう?
 昨日学校に電話してきて、そんでまた今日も無断欠席。そろそろ兄貴が壊れるかもしれない。精神的に。
 俺としてもそれは不本意だけど、そろそろ弟離れも必要な時期だと思うからなぁ。あ〜でも、俺も兄貴と離れなくちゃいけないのか。ちょっとだけ淋しい気もする。
 それとこれとは別問題にしておいて、とにかくこの生活がばれることはなんとしてでも阻止しなきゃいけない。なのにこの男は、平気で俺の心配事を増やす。
 明日、学校へ行くのが少し怖くなった。
 ベタベタのはずの体は濡れタオルで拭かれて、さっぱりしていた。服を着るときも楽だった。
 俺は軽い偏頭痛を起こしながらも、箸とご飯茶碗を手に持った。そして気付く。
「……なぁ、一つ訊いてイイデスカ?」
「いいですよ」
 どうしてだろう。俺の周りの温度がシュウウと音を立てて下がっていく。
 危ない外人みたいに、語尾がカタカナだ。
「どうして、赤飯ナンデスカ」
「何でだろうな」
 この家で赤飯が出るといえば、何かめでたいことに違いない。確か、俺にとってはめでたくないことを祝っていた気がするけど。
「アンタが作った?」
「俺が作れるわけないだろう。まともに台所にも立った事がないのに」
 その「まともに台所に立った事がない」というのを胸張って平然と言えるのはどうかと思う。
 それ以前に。
「まさか…………」
「夜のコトか? 俺が起きた時には全員知っていた。…涼一が触れ回ったらしいな」
 あぁ…………あの人ね。
 フ、フフフフ……。
 大丈夫だよ、俺。もう慣れちゃったし、そういうトラブルとか。そもそもヤクザに目をつけられること自体多分普通の人生から外れている証拠だしね。だからもうイマサラ宮村とアンナコトやソンナコトしてるなんて言いふらされたって、平気ヘーキ……。
「平気なわけねぇだろっ、あのデバガメ男!! 今どこにいる!?」
 俺の怒鳴り声にさすがの宮村も少しはビビったらしい。実際ビビったかどうかは定かじゃないけど、素直に居場所を教えてくれた。
「…多分自分の部屋じゃないか?」
「…………殴ってやる」
「あ、おい……」
 俺はご飯茶碗の中身に手をつけることなく盆に戻し、だるくて痛くて仕方ない腰を奮い立たせて、危ない足取りでフラフラと依岡兄の部屋へ向かった。
「何でアンタまでついてくんだよ」
「今は…やめた方がいいと思ってな」
「今は!? 今じゃなきゃ俺の気が済まねぇのっ。どっちにしろもうすぐそこだし!」
 許せん……っ!!
 勝手にすれば? という顔をしながらも尚俺の後についてくる宮村はほっておき、ノックもせずに依岡兄の部屋へ乗り込んだ。
「おいっ、いい加減にし、ろ……よ…」
「―――何を?」
 部屋の中にいた依岡兄が訊き返す。言うべき言葉は決まっていた。なのに俺の口はパクパクと開いたり閉じたりしているだけで、言葉を発することは出来なかった。
 そして一発。殴った、ではなく、叫んだ。
「きっ……兄弟で何してんだぁあああぁあっっ!!」
 俺以外のその場にいた全員が耳を押さえた。その場にいたのは宮村と、依岡兄弟。
 ちなみに依岡兄弟はベッドの上で、しかも裸で……布団を被っていただけマシだったけど……とにかく絡まっていた。
 二人とも関心なさげな表情で「どうしたの」といわんばかりの顔を向けている。弟の方が肩で息をしているのは、多分気のせいじゃないよな。
 つまり「真っ最中」。
「だから言っただろう」
 後ろから呆れた声で宮村が言ってくる。
「知ってたんなら止めてくれよぉ……」
「止めたって聞かないだろ。頭冷えたか?」
 ……あぁ、十分冷えたね。むしろ「そういう時」に部屋に飛び込んでいったのが申し訳ないとさえ思う。
 なぁ、それにしても、何でこの家の人たちはそんな普通にしていられるんだよ。
 見られた側も平気で話すし。
「何か用? ちょっと待っといて。今抜くから」
 どこから何を抜くんだよ、依岡サン。
「涼二、大丈夫か……っと」
 布団がもぞっと膨らみ、それと同時に弟の方は悩ましげに眉を寄せて、唇を噛んだ。
「いえ、もういいです、何でもないですっ。ごめんなさいっっ!!」
 俺は全裸のままベッドから降りてきた依岡兄から目を逸らして早口にそういうと、宮村の腕を引っ張って部屋から飛び出した。
「な、なんで俺ばっかこんな目に……」
 やっとまともな言葉が出てきたのは、廊下を走りぬけて、宮村の部屋に入り、ドアをバタンと閉めたときだった。
「前に聞いてなかったのか。近親相姦って」
「キンシンソウカンってなんだよ!? 知るかよそんな専門用語なんかっ」
「まぁ……ブラコンが過ぎるとああなる」
 きっと違う気がするけど、そんな気もしてきた。
 ヤバイ、俺にも重度のブラコン兄貴がいる。
「兄離れしよ……」
 これほど強くそう思ったのは、初めてかもしれない。
「やっぱりブラコンだったのか、お前」
「うるさいっ。俺は普通の人間だッッ」
 行き場を失った拳は、代わりに宮村の頭を襲っていた。
 その日の晩、夕食の席でまともに依岡兄弟の顔が見れなかったのは言うまでもない。


「一日振りなのに、何でか一ヶ月ぶりくらいに感じる…」
 今日もご機嫌に運転手役を買って出ている宮村の後ろで、重たく呟いた。
 昨日は逆に寝すぎたせいで、体が重い。朝練も全然出られないし、全身がなまりまくっている。
「帰るときになったら、連絡しろ。迎えに来てやるから」
「へーへー……」
 また同じ事が起こらないとは限らないと、帰りも車で送ってもらうことになり、昨日のうちに宮村は俺の携帯電話を用意してくれていた。
 何とか電話のかけ方は覚えられたけど、俺はそんなことに頭を使っている余裕はなかった。この前からテスト前だってわかりきっていたのに。
「拓海には負けたくない……」
「テストつっても、定期テストなんてのは勉強しなくたって点は取れるもんだろう」
「俺はアンタみたいに、頭がいい人間じゃないから。頭が良すぎて性癖までぶっ飛んだ方向に行くよりは普通の頭してますー」
「じゃあ、お前も一緒だ」
「何でだよっ」
 牙を剥き始める俺に対して、宮村は本当に楽しそうだったから余計にムカついた。
 車が止まる。気付けば学校の前。
 あーあ、拓海が校門の前に立ってるよ。今度こそ本気で何か言われそう。
 あの「ふ〜ん。そう」以来、怪しまれる行動はしないと堅く誓ったはずなのに。
「じゃあな」
 俺は車のドアを開けた。
 相変わらず不吉な色合いの車をはにかんだ顔で見送った時、俺を呼ぶ声が聞こえた。拓海の声じゃないことがすぐにわかった。
「理人ぉ〜〜〜〜っ!!」
「……へ?」
 拓海より先に声をかけてきたのは、昨日の一件で離れようと心に決めた超絶ブラコン兄貴その人だった。
 何でここにいんの!?
 という前に、俺の体は条件反射のごとくズササササッと後退してしまった。後退して、クルリと振り返って校内に逃げ込もうとしたところを、校門の前に立っていた拓海にガッチリ腕をつかまれる。
「た、拓海っ」
「どこ行ってたんだよ、お前」
「その話は今度にしてくれっ。俺はキンシンソウカンは嫌だッ!!」
「ハァ? 何言ってんだよお前。しかもそんな言葉、こんなところで言うもんじゃねぇぞ」
 離せ離せともがいているうちに、兄貴が俺の傍まで来て、俺の両肩を掴んだ。ビックリして兄貴の顔を見ると、寝不足気味のやつれた目元に溢れそうな涙を溜めていた。そんで…嫌な予感は見事なまでに的中した。
「理人、どこへ行ってたんだ。兄ちゃん、心配してたんだぞ」
「お前が荷物ごとアパートから消えてるって大騒ぎになって、昨日一晩、俺もずっと起きっぱなしだったんだからな」
 二人して、問題の核心を突かないでくれ。俺には何も言える事がない。って、それはもう単なる言い訳で、許してくれるはずもない。
 ぁあ、それにガクガクと揺さぶらないでくれ。頭がくらくらしてきた。空が回る〜。
 登校途中のほかの生徒が、俺たちの奇怪な行動と異様な雰囲気に目が釘付けのまま校門をくぐっていく。
 もう、諦めるしかないのか。
 というより、諦めが悪すぎたのかもしれない。ヤクザに掴まった時点で、普通の、一般市民としての平和で平凡な人生は諦めなきゃいけなかったんだな。何をイマサラ気付いてるんだろう?
 俺は大きく息を吐いて、そして小さく息を吸って、言ってのけた。
「俺は……まぁ成り行きで…ヤクザの恋人になった」
 あぁ、言ってやったさ。
 フンと鼻を鳴らして二人の顔を見ると、二人とも俺の常識とはかけ離れた言葉に身を固めた。最初に何を言われようと、次の行動はもう決まっていた。言葉を待ったのは、認めてくれないかなーって言う、思うだけ無駄な望み。
 その望みは、打ち砕かれたけど。
「なっ…………何言ってんだよアホ人」
「りりり理人!? 冗談は―――」
「悪いけどっ。冗談でもなんでもない。拓海、お前の行ったとおり、アレはヤクザの黒ベンツ。兄貴も、そろそろ弟離れしてくれてもいいんじゃない? 俺が誰と付き合おうと関係ないだろ」
 誰と、よりは「どんな人間と」の方がわかりやすかったかなぁ。でも、性別が同じ時点で、一般市民でも兄貴にしてみればNGだよなぁ。
「じゃ、俺逃げる」
 いたたまれないので!
 俺はさわやかに手を振って、呆気に撮られている二人を残し、陸上部一のスタートダッシュを決めてみせた。
「理人!?」
「待ちなさい、理人ぉ〜」
 間抜けな兄貴の声が、俺の背中に貼り付いていたけど、周りの視線から逃げるように足は止めなかった。
 まさか、こんなに早く携帯電話を使うことになろうとは。
「テストの点が落ちたら、兄貴と拓海と宮村のせいだ」
 責任転嫁を勝手にして、通話ボタンをプッシュした。
『理人? どうした』
 運転中のはずの宮村は、ツーコール目には電話に出てくれた。まぁ職業が職業ですから、警察相手でもどうにでもなるのかもしれない。
 そう考えると俺の恋人って、かなり無敵だ。
「い、今逃走中。駅まで走るから、迎えに来て」
『誰から逃げてるんだ』
「えーっと……とりあえず兄貴と拓海(げんじつ)から」
 冗談じゃなくそう思ったから言ったのに、小さなスピーカーの向こうで軽く吹き出すのがわかった。
 どーせ、アンタにしてみればやっぱり俺は面白いガキなんだろうけどさー。
「どうしてくれるんだよ!? 俺もうその場のノリで拓海達にカミングアウトまでしちまったんだからな!」
『安心しろ。俺が責任取ってやるから』
「絶対だな!?」
『あぁ、絶対だ』
 その自信たっぷりな声が俺の鼓動をどんどん速くさせる。…走ってるんだから、そんな風に言われたらすぐに疲れるだろうーが。
 言わないのは、すげぇ歯の浮くような台詞でも、恥ずかしい以上に嬉しいと思えるからだと思う。
 こんな短期間に、ヤクザ相手にここまで思える自分って、どうよ。
 ちょっとだけ運命を恨んだ。
「じゃああとで」
『あぁそうだ、理人』
「んだよっ」
 弾む声で、急に思い出したように呼びかける宮村に返した。
『一回、素で言ってみようと思ってな……』
「だから何をよ」
 何、「ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」っていう不可解ながらもめちゃくちゃ恥ずかしい言葉を言ってのけるんだろうか?
「シェイクスピアはお断りだからな」
『何言ってんだ? つまり俺が言いたいのは……』
「あと五秒以内で言わねぇと、切るからな」
 払うのは宮村だからいいのに、どうしても通話料を気にしてしまうという貧乏性は、ヤクザが恋人だろうと、都内にでんと構えられた屋敷に住んでようと、変わらなかった。
「マジでカウントダウンするからな」
 心の中で、五、四、……と数え始めたときだった。
『――――理人、本気で……これからもずっと、愛している』
 ……プチッ。
 あと二秒くらい残っていたのに、俺はボタンをプッシュして通話を切ってしまった。
「だからロミジュリはやめろっつったのに……!!」
 ある意味ロミオとジュリエットよりも恥ずかしい言葉に、多分俺の顔は真っ赤だ。
 平気でこんなことまで言える宮村以上に強い人間は、世の中には存在しないのかもしれない。
 俺は確信しながら、同じ制服を纏った人間と反対方向に走り続けた。
 いつまでも、逃げ回ってるわけにはいかないだろうなぁと思いながら。


This continues in the next time.
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