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3、悪魔の居城へようこそ


 それから二十分ぐらい、俺は車のシートに無言で座り続けた。
 だって今時「スモーク張りの黒ベンツ・全身真っ黒な強面の運転手・綺麗でおっかない青年」なんて、どんな組み合わせだよ。
 金持ちで、黒ベンツだけならまだわかる。でも運転手はちょっと白髪交じりの紳士だろ、フツーは。
 とりあえずは隣で意味深に笑っている様子のこの人は金持ちだ。きっと家の何処かに小銭が落ちていても全然気にしない人だ。気付いた人に「あげるよ」って言(える)うタイプだ。
 金持ちに対する俺の偏見的認識は置いといて、どこに連れて行かれるのかずっと気になっていた。
 何だか、状況が状況だけに、ただの誘拐には思えないんですけど。身代金なんて必要ないっていうくらいの、ちょっと妙なゴージャス感が漂ってるし。……イメージは違うけど。
 とか考えてると、ベンツが止まって、さっきの運転手がパカッとドアを開けた。俺は先に降りた男に腕を引かれて、その場に荷物を置きっぱなしのまま引きずられるように車の外に出された。
「さて。ようこそ、俺の家へ」
「はぃ?」
 急に言われたせいで脳内での処理が追いつかなくて、俺は聞き返す。
「だから、俺の家に入れって意味だ」
「家? 何で?」
 さらに問いつつ男の向いている方へ目を向けた。そんで―――目玉が飛び出るくらいビックリした。多分十六年と半年ちょっとの人生でこれほどまでに驚いたのは、どっかのテレビ番組で逆立ち二足歩行をする犬を見たとき以来だと思う。
 ……そこには立派な日本家屋のお屋敷が視界から飛び出るくらい大きく構えていたのだ! 屋根つきの門の向こうの両脇には松の植わった石庭があって、なんと池付き。きっとあの中には白と赤とオレンジの鯉が何匹も泳いでるんだ。それに餌をあげるのはバッチリ和服で白髪のおじいさんなんだ。
 ―――いや、それ以前に……。
「ここって本当に人ン家なわけ?」
 俺はまず根本的な部分から信じられずにいた。が、男は気にもせずに「そうだ」と即答する。
 んで、俺は「はぁ〜」と溜め息をついたわけですが……。
 いきなり家の大きな引き戸がガラリと音を立てたかと思うと、黒スーツに黒ネクタイの全身真っ黒な男の波が押し寄せてきた。……までは行かなかったけど、門から家の戸までずらりと両脇に並んだ。
 あの〜、めっちゃくちゃこの光景に見覚えがあるんですけど。特に任侠モノで。
「えっと、もしかしなくてもここ……」
『お疲れ様です、若』
「おう、お疲れ」
 言いかけた俺は、絶妙なタイミングで一斉に頭を下げた真っ黒男と、慣れた様子で声をかける男にかける言葉をなくした。
 間違いない。ここは絶対に「や」の付くお家だ。やーさんだ。警察隠語で言う「マル暴」の部類に入る人達だ。
 放心状態でつっ立っていると、両脇にいる男たちを物ともせずにその中をスタスタ歩いていく男に、「何してんだ。早く来いよ」と言われた。
 だって気付いた上で入るなんてこれ以上のバカはいないだろ。
「や、やっぱり俺帰るっ」
 クルリとUターンした俺は、ガシッと後ろから捕まえられる。その腕は数メートル先にいたはずの男のものだった。俺は何とか逃げようと、手足をばたつかせる。
「ぐあーっ、はなせヤー公! 俺は一般市民だ。こんなところとは無縁な人間なんだーっっ!」
「ここまで来て逃げるなんて、男らしくないぞ」
「男らしいもクソもあるかっ。俺はまだ死にたくない!」
「だったら尚更逃げるなよ。じゃないと、そこのコワいおじさん方が、懐から物騒なモノ出すかもしれないしな?」
 ここまで言えば、わかるよな? と現実味のある脅迫を耳元でされて、俺が動けるはずがない。
 動きをピタリと止めてしまった俺の手を引いて、男はズンズンと開け放たれている玄関に真っ直ぐに向かう。
 俺はいつまで経っても頭を上げようとしない黒ずくめの男の列に目を向けないようにしながら、男に従っていた。
 ―――こんな事だったら、アパートに隕石を落っことしてくれた方がマシだ〜っ。
 それも今じゃ無意味な想像でしかなかった。


 そんな意味もないことを考えながら俺は言われるがままに屋敷の中へ入った。
 中は微妙にタバコ臭くて、靴入れの上には大きな剥製。そんで正面には旅館並みの屏風。しかも描かれてるのは牙をむいた虎。
 ここまで露骨だと逆に「嘘だろ」と言いたくなるけど、開いたままの戸の向こうに並んでいる怖いおじさんに睨まれそうな気がして、黙っておくことにした。
 とにかくここは……物言わぬ威圧感が漂いすぎている。
 バリマジ、やくざって感じ?
 いや、どーして俺はこんなところに…。
 そもそもの理由があやふやになりつつあるのは俺の記憶力の問題? それともこの物言えぬ雰囲気のせい?
 目が回りそうな俺はその場で立ち止まっていたらしい。前にいる首謀者の男が「はやくしろ」と急かす。
 はいはいはいはい、わかりましたよ。
 心の中で唾を吐きまくり、でも表情はえらく引きつったまま靴を脱いで、几帳面に揃えてからその男の背中を追う。
 長い縁側を通り、さらにその先にある渡り廊下を進んだところにある部屋に俺を入れた。
 ここは畳じゃないし。そしてタバコ臭くない……。むしろ綺麗なくらいだな。
 変なところに感心していた俺は、十畳ほどある室内に置かれていた大きなソファにどっかりと腰を下ろした男を目に、いつの間にか解いていた警戒心がむき出しになる。
「そう怖い顔するなって。俺はべつにお前を脅したり、殺したりとかすつもりなんてねぇから。東理人」
「……いきなり、呼び捨てにしないで下さい。それに何で俺こんなところに連れてこられなきゃいけないんですか。バイクの事は俺も悪いでしょうが、明らかにあんたの不注意でもあるだろ? ガソリン代とかケチい事言うような人間には見えないけど……」
「落ち着け。俺はまだ何も言ってないだろう」
 この状態で「何も言ってないから」なんて理由が通ったら、そいつはきっと頭がおかしいだけだ。
 何も言わなくても、こんな家に連れてこられて、あんな派手な出迎え受けたら、矢継ぎ早の質問を浴びせる権利が俺にはあるはずだ。
「まぁとりあえず座れ」
「どこに」
「ここに」
 即答して、男はポンポンと自分の座るソファの空いている部分を叩く。もちろん俺が「はーい」と素直に座る訳がない。
「ふざけんな。用がないなら俺はもう帰るっ!」
 敬語もすっかり忘れて怒鳴った俺に男はボソリと呟いた。
「兄貴に電話するためか」
「…………っ!!!」
 な、何故それを!?
 俺の表情が一瞬にして張り詰めたのを見て、男がニヤリと笑った。
「今日一日で色んなことを調べさせてもらった。東理人、十六歳。都内でそれなりに名の通る高校に通い、成績は上の中。家族構成は地元の不動産で働く父、専業主婦の母にブラコ……」
「わーわーわーっ!! 何でそんなこと知ってんだよっ」
 母さんの次は絶対に兄貴の話が出るに決まってることは確かだ。だって俺と兄貴が連絡を取ることもわかってるくらいだし!
「裏の情報網を甘く見るなよ。たとえ実家が北海道でも沖縄でも、情報収集には何の問題もない」
 と言って男が差し出した数枚の紙を奪い取るようにして受け取り、内容を急いで確認する。
 そこには、俺の現在の住居や家族構成はもちろん、バイト先や高校の友人関係、どこから手に入れたのか小中学校の成績まで、大雑把だがそれでも俺を把握するには十分な事が記されていた。
 俺はビリビリとその紙を破り捨てた。
「何だよこれ! 何のためにこんなことしたんだ」
「お前が気に入ったからだ」
 紙吹雪に使えるような大きさまで細かく引きちぎり、フローリングの床に紙をばら撒いた俺を楽しそうに眺めながら、男はまたも即答した。
 しかもすっごい不本意な理由を並べて。
「は!? 何で俺があんたみたいなヤクザんとこの人間に好かれなきゃいけねーんだよ」
「十年近くも年上の俺にそういう言葉を吐ける気の強いところとか」
 人差し指を突きつけて指摘する男の気持ちとか性格とかその他諸々……俺には理解しがたいことばかりで、思考がついていけない。
「怖い顔が嫌だって言うから、少し雰囲気を緩めてやれば……やっぱ口の減らないガキだな」
 途端に顔にフッと影が差す。昨日の夜に見た、夜叉でも逃げ出すほどの冷たくて、言葉だって喉元で凍りつくほどのそれに変わった。
「……そ、れがどうした」
「俺は、そういう奴は嫌いじゃない」
「そ、そーですかっ」
 兄貴、俺はどうすればいい。蛇に睨まれた蛙みたいな心境なんだけどっっっ!
「まぁ座れ」
「いやだ」
 それでも拒否ばかりを続ける俺に溜め息をついてから、男は立ち上がる。
 後退った俺をゆっくりと追って壁に追い詰めると、男は息がかかるほど顔を近づける。
「口で言ってわからないなら、体でわからせるまでだ」
「…………っ」
 低く、静かに体に響く声に俺はゾクリとした感覚を覚えた。
 その言葉の意味がよくわからない。けど、頭の中で警告音が激しく鳴ってる。
 ………これは、マジでやばいかも?
 体でわからせるってことは……もしかして指とか手とか持っていかれたりするのか!? それとも吊るされて鞭打ち!?
 そんなのどっちも願い下げだっっ。
 冷や汗が背中を辿る。額にもじわりじわりと暑くもないのに汗が滲む。男の顔はまだ近くにあって、その双眸も真っ直ぐに俺を捉えて放さない。
 睫毛が男のくせに長くて、切って開かれたような整った目蓋。その下の茶色がかった瞳の中に俺の怯えたような目が映っている。
 その目にかかる黒くて艶のある前髪も、先は尖った刃のように真っ直ぐに伸びていて綺麗だった。
 ……って、何で俺はこんな状況で物騒な言葉を普通に口に出す男を観察してんだよ。この状況から早く抜け出して、とっとと帰って、兄貴に電話するんだろ! ……なんて、することはわかってるのに、言うことを聞いてくれない体が憎い。
 どうにも出来なくて目をギュッと瞑ってしまった俺は、何かが唇に押し当てられた感触を覚えるのに数秒かかった。
「…………?」
 何だこの…弾力あって、プニプニしてる不思議な感覚は……。
 ん? ってか妙に気配が近くないか? 息も顔にかかってるし、しかも鼻息っぽいぞ?  えーっと……これはもしかしなくても――――。
「んんんん――――っ!!」
 俺は目をパッチリと開いて、渾身の力で男を引き剥がす。
 ま、まさか……。
「お、男が男に何するかーっ!」
「何って、高校生の癖にそんなこともわからないのか」
「知ってる上で聞いてるんだよ!」
 そーだよ、俺キスというものをしてしまったんだよ! 名前も知らん、ヤバイお家柄の美青年に拉致られた挙句に(行為の意味を理解してから考えて)初キス奪われちゃったんだ!!
「理由なんて簡単だ。気に入ったからに決まってんだろ。俺は、そういうものはとことんまで手に入れるタイプなんだ」
「はぁ!? ……って、うわぁっ」
 常識とかそういうものを無視した物言いで自らの意志を主張する男は、首を捻った俺をいきなり抱き寄せ、勢いに飲まれて身動きできない俺の体をソファの上に倒した。
 男はニヤリと笑いながら上にのしかかってくる。そこで俺は今までにない危機的状況に置かれていることをはっきりと認識した。
 兄貴〜〜〜っっ!
 俺は今、あり得ないことに男に貞操を狙われそうになっている!! いや、完璧狙ってる目で見られてるっ。
 それすら信じられないっっ。
 わ、わ、近寄ってくるって、顔が―――!
「んんっ……ふっ」
 あぁ、セカンドキスまでっ……とか思っていた俺にはお構いなしに、今度は強引にも唇を割って舌を差し込んできた。
 うわわわわわ……!
 口の中でいやらしく蠢かれておっかなびっくりしていた。だけど、何か体がフワフワ浮くような不思議な感覚が少しずつ体を埋めていく。
 ダメだって! 断じて、気持ちがいいなんてこと、あっちゃダメなんだってば!
 っていう俺の中の一般人的な理性が拒絶しようとするが、どうしても本能の方が勝る。
 に、人間って、やっぱ即物的な生き物なんだー……。
 って意識の中で妙に悟りムードな俺は、いつの間にか服を剥かれて……まんまと食べられてしまったのだ……。


This continues in the next time.
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