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5、臨時休業日


「――――それで、君が最近何かとジンが気にかけている……何て言った?」
「……東理人です」
「そう東か」
 わざわざ確認までして、座卓のほぼ真正面から名前を呼んだのは宮村の親父さんらしい。
 何もしていないのに拳がじっとりと汗で湿ってくるような感覚が襲うのは、気のせいじゃないと思う。
 というか……このシチュエーション、どう考えても「お嫁さんを僕に下さい」的なイメージがあるんですけど。
 何ていう明らかに見当違いな考えを持っているのは、この空間の中で俺一人だ。
 あの後、落ち着き払った言葉と視線で宮村と依岡兄を部屋から追い出すことに成功した俺は、あてがわれた服を着て案内されるがまま離れから母屋の座敷に移動した。
 そして座卓の上の豪華な日本の朝食に驚きつつもその目は厳格そうな五十半ばのおじさんに向いた。
 やけにきつい目つきで、入ったときからジッと見られているせいもあって、背中は冷や汗だらけだ。
 依岡兄は弟を起こしてくると一度座敷から姿を消し、まだ戻ってきていないので、ここにいるのは宮村とおじさんと俺だけ。とりあえず何も話題がないので慣れない正座をして俯いていたら、いきなりおじさんが話し始めた。
「ジンの父親で、宮村組二十五代目組長の宮村剛だ」
 どーして訊いてもいないのにこの家の人は自己紹介をしたがるんだろう?
『人の名前を訊くのなら、まず自分から名乗れ』なんてこと、俺はひとっ言も言ってないんだけどな。
 でもそれは突っ込んじゃいけないことなんだろう。一発で逆鱗に触れそう。まさに一触即発な雰囲気が組長さんから感じられる。
「な、何で俺、いや僕はこんな状況におかれているのか、教えていただければ助かるんですけど〜……」
 頬の筋肉が引き攣って、笑顔もまともにつくれない。
「何を言う。今は飯の時間だ。食わんでどうする」
「あ〜、はい…そうですね」
 まぁその通りなんだけどさ。そもそも俺がどうしてここで朝飯を食べなきゃいけないんだ、とかいう意味で言ったのに、この人は気付いているんだろうか?
 否、絶対に気付いてないに違いない。気付いていたとして、それが当たり前だと思い込んでいる口だ。
「もう少し待て。依岡の二人が揃うまでな」
 だから、別に飯を早く食べたいとか言っているんじゃないからね、俺は。
 何処か、何かが絶対にずれまくっている宮村と組長さん。ヤクザってみんなこんなんなわけですか?
「ところで――――」
 そんで、組長さんが思い出したように口を開く。俺は不吉な予感を感じた。
「東はいつここに引っ越してくるんだ?」
「…………は?」
「話を聞いていただろうが。いつから住むんだと訊いているんだ。場合によっては離れの方をすぐにでも増築しなきゃならん」
 うん、いや。俺の耳は結構な地獄耳として知れ渡っている。それくらい普通の人でも聞こえる。
 誰がいつ、ここに引っ越してくるって?
 俺は目を吊り上げて隣に座る宮村を見た。涼しい顔をしながら、宮村はサラリと言い放つ。
「理人はもう俺のモノだ。自分のモノをどこに住まわせようと、俺の勝手だろう?」
 あ、そっか…………。
 ――――じゃないっ!
 当たり前のことを言わせるな、っていう顔で言うから納得しちゃったよ。
「何で勝手にそんなこと決めんだよ!?」
 俺は座卓の反対側に座る組長に聞こえないくらいの声で、宮村に怒った。対する宮村は目だけを俺に向けて言った。
「俺の親父は気が早いんで、俺がお前を連れ込んだと知って話を飛躍させているんだろ。まぁ俺もそれはそれで別に問題はないし、お前もとっとと腹くくれ」
 あぁ、そう。つまり俺に「諦めろ」と……。
「何を二人でコソコソと話しとるんだ。儂の質問にはいつ答えてくれるんだ」
 さっきよりもやや目つきの悪くなった組長さんにここで俺が「ふざけんな」って怒鳴れたら、それは一種の病気だ。
「えぇと……そのぉ〜、まだ決めて、ない、です…」
 あ、しまった。「するつもりはない」って言おうとしたのに。これじゃあ「そのうち引っ越してくる」ってことになっちゃうじゃんか!
 俺の予想通り、勘違いしたままの組長さんは頭の中に勘違いをまたも呼び込んだ。
「そうか。まぁまだ高校生だと言うしな。引越しの一ヶ月か、出来れば二ヶ月前には言っとくれ」
 さっきまでのキツイ目つきはなんとかなった。けど明らかに俺をここに住まわせる気でいるぞ、このオヤジ。その息子もだ。
 それで俺はどうしてかホッとしているし。まだ安心も出来たもんじゃねぇのに…。ニヤニヤと笑っているであろう宮岡の顔をまともに見る事が出来ず、俯いたまま内心でシクシクと涙を流していると、廊下で俺達にいる座敷に向かってくる足音が約二人分。
「おはようございます、剛さん。遅れてすいませんでした!」
 襖をスパンと開いて、開口一番組長に頭を下げたのは、後ろにいる俺の見た依岡とそっくりな俺と同じくらいの男子。
 依岡弟だな……。俺は直感した。
「構わん。お前が朝起きられないことについては何も言わんよ。二人とも早く座ってくれ」
「はい」
 申し訳なさそうな顔をしながら依岡弟らしき人は、依岡兄と一緒に座った。
 すると依岡兄弟が二人して俺に向き直る。
「こいつ、紹介遅れたけど俺の弟の涼二。今年で十八歳だから、りっくんより一つ上」
「初めまして、俺は涼二。君の事は兄から聞いています。よろしく」
「よ、よろしく」
 ニッコリと微笑んで差し出された手をぎこちなく取る。兄から一体どこまでを聞かされているんだろうか? っていうかりっくんって何よ。
 俺の心配と疑問をよそに二人が食卓に向き直る。
「いただきます」
『いただきます』
 組長が言うのに合わせて、俺以外の人間が手を合わせた。俺は慌てて手を合わせ、控えめに「い、いただきます…」と言って箸を持った。


 平日にも拘らず俺はやる事がなくて、縁側に座ってのんびりとしていた。
 拉致されて、食われた挙句に学校を強制的に休まされたって感じが全くない。
 ただ、どうしてか俺に付いて離れない宮村は、何を考えているのか全く読めない表情で俺の隣に座っていた。
「なー、アンタさぁ」
「ジンだ」
「…………。ジンさんはさぁ〜、こんな事してて何が楽しいの」
 洗濯日和の空の下、キラキラと揺れる池の水面を意味もなく眺めながら訊いた。
「さんは別につけなくてもいい。俺がそうしたいからそうしているだけだ。何か文句でも?」
「いえ…。ただ、そんなに暇なのかな〜と思ってみたりなんかしたりして」
 何のためらいもなくサラリと理由のない行動の理由を片付けるなよ。納得しそうになるじゃんよ。
 それに二十歳すぎれば立派な大人なんだし、大学にも…通っているような感じはしないから家業をやっているんだろうな〜って考えると…やっぱ真面目に働かないといけないと思う。ヤクザが何をしているのか、あまり想像が付かないけど。
「暇じゃない。色々と書類が回ってきているからな。理人が昨日玄関で俺を待たせている間も溜まっていたし、見るだけで頭が痛くなるものは見ない」
「左様ですか……」
 暗に「お前が早く帰ってこないから、仕事が面倒になったんだ」って言っているようなモンだよな、これ。
 っていうか、アレはしょうがないと思う。まさかヤクザの若頭が自分の下駄箱に伝言入れるなんて、普通考えないし。
 それに見なければ見ないほど、いずれ見なければいけないものが増えていくという考えを、この人は持っていないのだろうか?
 隕石論、カムバック。こんな窮地に立たされるくらいなら、アパートに隕石が落ちようが、大きなクレーターが出来ようが可愛いもんだよ……。
 誰も「俺のせい」なんて言わねぇから。
 大人しくしてないと、絶対何かされるからちょっと敬語とか使ってみたりしているけど、慣れない事はやっぱりどこまでいっても慣れなくて。
「あーもう、埒があかねぇ。家に帰せ! 学校行かせろ。勝手にしてきたことを俺に押しつけんな、バカタレ!」
 あまりにものんびりとしすぎて、逆にイライラとしてきた俺は勢いよく立ち上がって宮村の頭をグーで殴ると、脱兎のごとく走り出した。
 そんな俺に追いかける様子もなく、背中に笑い声をふっかける宮村は本当にヤクザかと疑いたくなるような人格だった。
 ……そのふてぶてしいまでの話術や会話の切り返し方は、何となくわかる気がするけどな。
 顔以外は家柄も含めて全て最悪だ。
 何で俺はこんな奴のバイクになんか乗っちゃったんだろう? っていうか、俺の持っているバイクは兄貴譲りだし、結構安い型だ。何でこんなでっかい屋敷に住んでいて、何しているかはわかんないけど金だって目が点になるくらいの貯蓄はあるだろうに、そんなのに乗っているんだ?
 明らかに二人乗りとかもできないし、地味といえば地味だし。
「ん〜〜〜〜。……ん?」
 唸りながら立ち止まった俺は今俺がいる場所がどこなのか、サッパリわからなかった。  畳の部屋。真四角っぽくて、窓みたいだけど実はそうじゃない障子の貼ってある壁をくりぬいたような円形のついた部屋。誰もいないのに花がいけてあって、その後ろにはどれだけの価値があるのかわからないけど、とにかく凄そうな掛け軸。
 勝手な推測だけど、もしかして茶室ってやつ? ってかヤクザに茶室とか必要なのか? 絶対、あのシーン…と静まり返った風景と、ヤクザってかみ合わない……。
「この家、あとどれくらいのどんな部屋があるんだ?」
 俺が今まで見たのは縁側の前の和室と、宮村と依岡兄弟の部屋がある離れ、そんで組長と初めて対面して朝食をとった座敷。あとはトイレくらい。
 それでも俺自身が外から見た屋敷の大きさを考えれば、まだ全体の三分の一程度しか把握し切れてないような感じだ。もっと奥行きもあるみたいだし。
 はあぁぁ〜…………広い。
 もうそれしか言えない。
 俺は今の状況を考えるのが面倒になって、畳に足を投げ出して横になった。ほんのりと畳の懐かしい匂いがした。
「あ〜…この匂い懐かしいなぁ。アパートは全部フローリングだし。確かに掃除とかしやすいのはいいんだけど――――」
「何してるんだ?」
 体の力を抜き、すっかり和みモードになって寛いでいた俺の頭上から宮村の声が聞こえてきた。
「ぎゃあっ」
 心臓が口から飛び出るくらい驚いてその場から飛び起きると、宮村が腰に手を当てて「こんなところによく迷い込んだな」と呆れたように構えているのが見える。
「い、いいいいつの間にっ!?」
「いつだって構わないだろ? ここは俺の家なんだからな」
「…………」
 いっちいち勘に障る野郎だな、この男は!
 そもそも茶室なんてほとんど来なそうな癖して、しかも走ってったハズなのに何でもう追いついてんだよ。
「ここは俺の祖父が使っていた茶室だ。もう誰も使わないが、俺はたまに来る」
「へぇ……。アンタみたいないつでも嵐を運んでくるような人間でも、茶室は使うんだな」
「嵐って何だ」
「その通りだよ」
 嵐どころか、俺にとってはハリケーン並の衝撃を運んできてくれたよ。
 しれっと言い放って、おもむろに掛け軸の前にある活け花を指差す。
「アレは誰が活けてんの? 新しい花に見える。頻繁に変えてるんだろ?」
「あぁ、あれは……多分涼二がやってるんだ。昔華道をやっていたらしいな。誰も行きもしない場所に飾るにはもったいないが、本人がそうしたいと、ここに置いている」
「ふ〜ん。華道か……。そういえば、何であの二人、ここに居候してるんだ?」
 俺は、依岡兄が言っていたことを思い出して訊ねてみた。
 けど宮村は難しい表情になって、少し考えてから首を左右に振った。
「あの二人には特殊な事情がある。本人たちが話そうとしない限り、俺にも話す権利はない。拾ったのは事実だ。それしか俺にもわからないと言った方が正しいが」
 気にするな、と俺の頭を撫でる宮村の表情は依岡兄弟の過去に普通ではない何かが起きたのだということを語っているようだった。
 つい十数分前まで高ぶっていた感情はすっかり落ち着きを取り戻し、俺は無言になって畳の上に寝転んだ。宮村は何も言わなかった。


This continues in the next time.
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