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6、いきなり同棲生活


 はぁああぁぁあ…どうしてテスト一ヶ月前だってのに、無断欠席しちゃったんだろう?
 俺は車内で流れる景色を見ながら、憂鬱な定期的イベントを思い出して溜め息をついた。
「酔ったのか? 学校までもう少しだから我慢しろ」
「ちげぇよ。それくらいで酔うかっての」
 運転席に座る宮村に向かって悪態をつく。つかなきゃやってられない。
 俺は昨日の夜、学校へ行くために家へカバンや、教科書のような必需品を取りに行った。
 まず最初に気になったのは電話。留守電のランプが点滅していたから見てみると、着信件数五十件。たぶんそのうちの四十五件くらいは兄貴で、学校が一件か二件くらい。無断欠席の連絡も親に行っていると思うからそれで一件か二件。で、最後は拓海だな…と大雑把に割り当てたけど、面倒だから聞かなかった。
 そのままアパートにいればそれで一件落着! かと思ったんだけど、着ていったのが依岡弟の服だったり、制服がまだ宮村ンとこにあったりしたせいで、半ば強制的に屋敷に連れ戻され、今朝は宮村が運転手を買って出た黒ベンツに乗せられて登校だ。
 言っておくが、俺の通う学校は毎日ベンツやBMWみたいな高級外車で送迎! 運転手に執事付き、みたいなお金持ちの通う私立校じゃない。普通の都立高校で、通うのはまぁそうでない奴も例外としているが大体は一般市民であり『庶民』だ。
 そしてその中の一人だった俺が、ある日突然黒塗りピカピカツヤツヤのベンツで超がつくほどカッコいいおにーさんに送られてきたら、それは目立つだろうねぇ。
 そんで、一番目を引いた人間はもちろんといえばもちろんの拓海だ。
 あまりのゴージャスさ(怪しさか?)に身を引いていた一般市民の皆様方と違い、真っ先に俺の背中を叩いてきた。
「よぅ。お前、昨日一日休んでたと思ったら、何、どっかの国の王子様にでもされちゃったわけ?」
 俺の不機嫌&不安顔なんて気にもせずにこの男はケタケタと笑いながら誰でも否定する冗談を言う。絶対違うし。
 でも本当の事なんて言えない。ヤクザの若頭のバイクを間違えて乗り回し、次の日に家で待ち伏せされ、拉致られた挙句に食われたなんて、言えやしない。
 うぅ…あいつのせいでお嫁にいけない体に…いや、お婿にいけない体? それとも嫁をもらえない体か? とりあえずフツーの人生から一歩どころか百メートル以上道を踏み外してしまったよ。
 まさか自分がそうなってしまうとは…思いもしなかったさ。俺は一生普通に生きて、庭付きの一戸建てに可愛いお嫁さんと二人の子供(娘と息子一人ずつ)を養って幸せに生きるという平々凡々だが結構壮大な計画を控えていた矢先なのに…あんまりだ。
 未来の「幸せ家族計画」が音を立てて崩れていっても、そこまで気にはならなかった。重大なのは、その夢が崩れたことじゃなく、俺自身がホモに食われたことなんだよ。
「それは置いといてさ、お前マジで大丈夫か? 無断欠席なんてお前がするとは思わなかったぞ。それに今の車、質は良くても中身が悪そうだったしな。やーさんにでも捕まったか?」
 俺はポーカーフェイスで乗り切るつもりだったが、笑って「んなわけねぇだろ。俺がいつ、どこのヤクザに喧嘩売ったよ?」なんて言えるほど人間が出来てなかった。……引き攣った笑みだけを口元に浮べて、辛うじて首を振る。
 その通りだよ、この野郎。
「まぁいいけどさ。こうして無事にお前が学校来れたんだからな。特に傷も見当たらないし―――」
 全身を心配して見る…というよりは何事か起こっていないかという好奇な目で俺をジロジロと見ていた拓海が突然言葉を切って「ちょっと待て」と俺をその場に押し止めた。
「な、何?」
 拓海の視線が俺の首筋にピンポイントで突き刺さっている。まさか、いやでも…もしかして、コレは……?
「お前、蚊にでも食われたわけ? 首筋ンとこ赤くなってるぞ」
「……!? ――あ、あぁそうなんだよっ! 俺O型だからさ、蚊に食われやすいんだ」
「お前ってO型だったっけ?」
「そーだよ、忘れたのか? でも正確にはAOだけどなっ」
 俺にはその『蚊』の正体がわかっていた。とてつもなくでかくて、そんでホモのヤクザにするにはもったいないくらいの美形で、人の話を聞かない害虫。
 慌ててフォローを入れながらバッと手でその部分を覆い隠す。一瞬血の気が引いて、汗が滝のように流れ出る感覚に襲われた気がした。
 そういえば、コトの最中に噛み付かれた(?)ような気がする。
「ふ〜ん。そう」
「そうそうっ」
 拓海が気にもしていないように口にする「ふ〜ん。そう」は、バリバリ疑っている証拠だ。拓海の方を見ると、まだ疑わしげな目で俺の首筋を観察していた。
 うん、ばれてる。ナニをされたのか。誰にっていう部分はわからないと思うけど、俺からしてみれば、それだけでも拓海に疑われているってことは由々しき事態だった。
 ちっ、わざと言わなかったんだな、宮村の野郎。依岡兄は気付いても言わないタイプだろうし、弟は自己紹介のとき以来、朝・昼・夕の食事時以外はあまりというかほぼ顔も合わせない。
 組長だってもし気付いていたとして「野暮をするもんじゃない」という風に心得ているに違いない。つまり敵ばっかってことだ。
 俺は顔だけは笑っていた。でも色んなところで泣いていた。


「次の訳を、東。……東!」
 あ〜……誰かが俺の名前を呼んでいる…。そういや今何時で、ここどこだっけ?
 そうだよ、今朝宮村のクソバカ変態ホモ野郎に校門の前まで送られて、そんで拓海に首筋の赤い痕のこと言われて授業前に保健室に絆創膏を貰いに行って……授業が……授業!?
「東理人っ!!」
「ひぅわぃぃいっ?」
 机に突っ伏していた俺はフルネームで呼ばれた拍子に奇声を上げて勢いよく立ち上がった。一拍置いて、クラスの笑い声が俺の耳に入ってくる。
「まったく。無断欠席で心配をかけたかと思えば授業中に居眠りか? 黒ベンツの送迎といい、随分と偉い身分になったもんだな、東。なんなら、テキストの問題の束をTOEICの受験票付きで献上して差し上げましょうか?」
 帰国子女でハーフの英語教師に、そのアイスブルーの冷たい瞳で嫌味を言う。学問に王道ナシだって? んなの知っとるわぃ。
 ふん、うるへー。俺だって送られたくて送られたんじゃないわ、ボケ。一度ケツの穴掘られてみろってんだ。
 それに俺は英語教師や海外旅行の飛行機の添乗員になると言った憶えはねぇ。
 意味のわからない文句を心の中で呟いてから、顎に垂れてきていたよだれを慌ててシャツの裾で拭う。
「まぁいい。この時間が終わるまで後ろで正座だ。放課後、罰として廊下掃除。いいな」 「……はい」
 最悪としか言いようのない状況。
 何もなかったかのように「代わりの今の英文の訳を…加藤、やってくれ」と教卓に戻りながら授業を進める英語教師さえも呪いたくなる。
 けっ、イギリスだかイタリアだかで育った帰国子女かなんか知れねぇけどな、ジャパニーズマフィア(やくざってそんな風なイメージがある)は恐ぇンだよ。
 英語教師の背中にベーッと舌を出しながら、一部よだれのかかってしまった教科書とノートを閉じて、教室の一番後ろで正座をするが、十五分くらいすると、偏屈親父のように胡坐をかいていた。


 キーンコーンカーンコーン……。
「あ〜…部活時間終わっちゃったし」
 俺は袖まくりをした手にモップを持って廊下に立っていた。窓の外は「夕焼け小焼けで日が暮れて〜」みたいなメロディーが聞こえてきそうなオレンジ色を超えて、藍色にほぼ変わりつつあった。
 ちなみに今俺がいるのは二年の教室前の廊下だ。
 足が痺れるのが嫌いな俺は、正座なんて十分以上もしていられたこと自体が凄いと思うのに、ご機嫌斜めな帰国子女の英語教師様は懇切丁寧に俺の掃除場所の指定をしてくださった。
 それが二年教室のある二階の廊下全て+最も汚いと言われている特別教室前のトイレ三ヶ所の掃除だった。
 まず手がけたのはトイレ掃除。
 誰が残したか、汚物が便器にこびり付いていたり、トイレットペーパーは少なくとも二回は便器の中にボッチャンと落とし、ブヨブヨになってしまったそれが乾いたような状態だったり、とにかく凄かった。蜘蛛の巣さえ張っているところもあった。
 ここ、掃除する奴いねーのかよ。いないはずはない。でも特別教室の中でたむろっているんだよな、絶対に。
 それを偶然目撃しても「まぁ関係ないし」って感じで素通りしてったけど、こんなことをさせられるんだったら、たとえ先輩でも「掃除くらいしろよ」って言っとけば良かった。…タコ殴りされるのは目に見えているけど。
 それから全九クラスあるとてつもなく長い廊下・給食室の前・渡り廊下を箒で掃いてから、モップをかけるという作業を延々続けていた。
 いつもは十五分という短時間で役割分担をしてパパッと終わる掃除でも、一人でやるとなると結構辛い。
 ねーねーねー、何で俺ばっかりこうなるの? 英語の授業、後ろから見ていたけど、普通に窓際で授業も聞かずにボーっとしてた拓海にはお咎めナシ? 明らか不公平だろ。顔がよければ何でもありな世界は最早全国共通、いや全世界共通?
 俺は用具入れに水気を切ったモップと、空になったバケツを乱暴に放り込んで教室に戻ると、既に用意してあったカバンを引っつかんで足早に下校した。
 電車は帰宅ラッシュ前みたいで、少し混み始めていた。でもやっぱり庶民はコレだ。黒塗りの怪しげなベンツになんか乗ってられるかってんだよ。
 学生や、仕事帰りのサラリーマンに押しつぶされる前に何とか駅で降りて、二十分かかるアパートまでの道のりをトボトボと歩き始めた。
 両肩は落ちきっていて足取りは重いし、なんとも言えない不安やら不吉な予感やらが胸の中で渦巻いていた。
 絶対に、何かがある。でもアパートに帰らなきゃどこに行く。実家に戻るだけの金は持ち合わせてない。
 三日ぶりの曲がり角をのろのろとカーブすると、アパートの前には黒ベンツ……はなかったが引越し業者のトラックがあった。
 誰か引っ越して来たんかな。それにしては急だし。ここって全部部屋は埋まってなかったっけ? ここから出て行くにしたって、今の時間帯から荷物運びなんて変な人もいるもんだ……。
 と思いながら開け放たれたトラックの中を覗くと、妙に見慣れた家具たち。ボーっとしながら考えていた俺は顔色が変わっていくのがわかった。
「そこのにーちゃん、どいてどいて」
 荷物運びの人が二人掛かりで重たそうに持っていたのは、俺が服を入れている箪笥に似ていて、色も形も全く同じだった。
 俺は恐る恐る訊いてみた。
「あの…これはどこの部屋のものなんですか?」
 箪笥を積み上げてバタンと荷台のドアを閉めた人は、何だよ、忙しいのに…と言いたげな顔をして答えた。
「ああと…二階の東って人の部屋だけど。突然頼まれてな…」
「そ、それってもしかしなくても、『宮村』って人から!?」
「おぉそうだ。もしかして、アンタ東さん? その人から伝言預かったんだ。家に着いたら電話しろってな」
 部屋にメモを置いておいたから、と言うと俺の家具を入れたトラックに乗って、走り去って行った。
 ちょっとまて、アパートの鍵は!?
 そこまで考えて、財布の中に入れてあるはずの鍵を色んなところのポケットを含めて探してみたが、どこにもない。……んのヤロー。抜き取りやがったなっ!
 どうしてか、俺の不吉な予感というものは当たるらしい。
 用済みとばかりにポストに放り込まれていた鍵を使って部屋の中に入ったが、今までそこにあったはずのものが綺麗サッパリ消えていて、残っているのは備え付けの冷蔵庫だけだった。まるで引き払われた部屋だ。まだ大家にも話つけてないし、実家だって「どこに行くんだ!?」みたいなことになる。それに答えられることなんて何一つない。
 食卓の上には小さなメモが置いてあり、携帯の番号が書かれていた。
「ちっくしょー、俺携帯持ってねぇんだよ、あのバカ頭がっ!」
 俺はその紙を持って近くのコンビニにある公衆電話に全速力で走った。
 三十分後、迎えに来た宮村はさも当たり前のように「増築は特に必要なかった。今日からお前は俺の家に住め」と言った。
 俺は悪口雑言を並べ立てながらも、身包みはがれた人間も同然で、お決まりの黒ベンツに乗るしかなかった。
 かくして、俺の頭の中に作られた「非常識日記」に、「同棲(居)」という単語が嫌々ながらに記されたのだった。


This continues in the next time.
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