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7、嵐の前触れ


 ……見慣れない天井。
 俺は目を覚ました途端に視界に入ったもの全てが嫌になった。
 ここは『俺の』部屋らしい。箪笥も机も、たった今まで横になっていたベッドも使い慣れた俺のものだ。
 けど、決定的に違う部分がある。それは「ここ」が、俺が借りて住んでいたアパートじゃないと言う事だ。
 微妙に家具の配置も違う。床は畳だし、天井も板張り。今は雨戸が閉まっている窓も障子の向こう側。外には都会の喧騒とはかけ離れた純和風庭園が広がっている確率120%。
 本当なら、窓の向こうに広がるのは景色ではなく隣のビルのひび割れた灰色の壁だったのにと思うのは、今更だ。
 どうしてこう、俺の生活を脅かすんだろうか、ここの家の住人は。
 ダメだ。もう嫌だ。現実を受け入れたくなくなってきた。
 現実逃避をするために、今日は休日だ! と思い込むことにしてガバッと布団を被ろうとした。学校なんて、知るもんか。俺は引っ越ししたてで疲れたんだ。
 被ろうとした布団の俺を覆うスペースがやけに小さく感じられた。自分のすぐ脇で布団の端を引っ張っている物体がいることに、ここで初めて気が付いた。
 それで……俺はあらん限りの叫び声を上げた。
「ぎゃああぁああ〜〜〜〜〜っ!!」
 断末魔の叫び声、というには少し間抜けな声音。…いっそ本当にそういう窮地に立たされていた方が、今の俺にとってまだマシだったよ。
 すぐ脇にいた物体は俺の叫び声にもぞもぞっと反応し、腹筋を使って勢いよく起き上がるといきなり俺の頬をギュッと抓ってきた。
「いぃっ!? いひゃいひゃろ、にゃにひやはうっ」
 左右にめいっぱい口を広げられながら、寝ていても起きていても綺麗なつくりの顔をやや顰めて、物体こと宮村ジンは口を開いた。
「お前、本当に煩い。ガムテープ引っ付けて寝たくなきゃ、二度と叫び声なんか上げるな」
「いいひゃへんはにゃふえ」
 ゴムでもないのにぐいぐいと引っ張りまくる宮村の両手を引き剥がして、ほんのり赤くなってしまったような感じのする頬をすりすりと撫でる。
「て、テメーが勝手に人の布団の中に入ってくるのが悪いんだろ!?」
「理人の布団に入っちゃいけないなんていう決まりはない。それに俺達はあんなことやそんなことまでしあった仲だろ? 今更何言ってんだ」
 「しあった」んじゃなく、「一方的に襲った」の間違いだろ、このボケ。
 ただそれを口に出して言えないのは、単に俺の肝が据わってないという問題だけじゃない。
 何せ相手はこの屋敷を中心として都内の広範囲をシマとする宮村組の若頭サマなのだ。
 そんな「エンコ」とかいう血にまみれた恐ろしい単語は俺と宮村の間じゃ飛び交うことはない。それよりももっと立ちの悪い行為を強いられるから言えない。それさえなければこんな悪意の塊みたいな奴、口から溢れんばかりの悪口雑言を吐いてやるところだ。
 が、世の中には俺よりも肝の据わった人間が山ほどいるわけで。
 そのうちの一人である依岡涼一が、ベッドで臨戦態勢に入っている俺の部屋のドアをノックしてきた。
「りっくん、メシ。今日は赤飯朝っぱらから炊いてくれたとさ」
 だから「りっくん」て、何でそんな小学生並のあだ名しかもらえないかな。
「わかった」
 これまたいきなりのことで声が出なかった俺の代わりに、心臓に毛が生えている宮村は俺の迷惑も顧みずに答えた。
 向こうも向こうで、宮村がここにいるのはわかっていたようだった。ドアの向こうから返ってきた言葉は「慌てて隠すとこも隠さねぇまま来んなよ」という何とも下品極まりないものだった。
「何もしてねぇっつーの……」
 依岡兄の足音が遠ざかってから、ボソリと呟く。こういう挑発的な台詞を残していくから……。
「じゃあ一度ヤってからメシにするか?」
 なんていう無意味で傍迷惑な宮村のやる気を引き起こしてしまう。きっと俺が苦労する要因の二割くらいは依岡兄という存在も含まれているに違いない。あの下品極まりないセクハラまがいの言葉がなければ、というかいっそ黙ってくれていたら、容姿の面では憧れくらいにはしていたかもしれない。弟はまともな言葉を発してくれるだけありがたい気もするけど、あまり話さない。
 俺の肩に手をかけて押し倒してきた宮村の腹を足蹴りして、私服に着替えるかどうか迷ってからやっぱり学校へ行くことにした。
 宮村のいるところで一日ぐうたら生活していたら、確実に襲われてしまう。それにテスト前に何日も休んでいられるほど、俺の頭はマンガの主人公みたいに都合よく出来ていない。
 ベッドの上で、腹を抑えながらも人の着替えを見る気満々だった宮村を追い出してから早々と着替えた俺は、もう場所も覚えてしまった食事をとる部屋に向かった。
 ちなみに言うと、俺にあてがわれた部屋は離れの一室だ。たまたま一部屋、使わずに空けておいたという部屋に昨日、突然放り込まれ、今朝に至る。
 ワンルームにせせこましく置かれていた家具が大きく間を開けて置いても十分スペースが確保できているということは、少なくとも借りていた(今も実質的には借りているけど)アパートよりは広い。
 都内の坪単価、いくらか知ってんのか? と訊ねたくなるほどここは広い。ピンからキリまであるから一概にそうとは言い切れないけど、都心からはあまり離れていないみたいだからきっと高い。
 この生活環境の違い、そして職業柄が、俺と宮村&組長の隔たりをますます酷くしていること間違いなしだ。
 後ろから長い足を有効活用して、短い足で何とか追いつかれまいと両足を必死こいて動かす俺の後ろを、宮村は常に五十センチ以上の間隔を開けずについてくる。
 時折聞こえてくる押し殺したような笑い声はきっと……いや絶対俺に向けられていた。
「後ろでクスクス笑ってんじゃねぇ。気色悪ぃな!」
 勢いよく後ろを振り向いて、十五センチ近く上にある目にガンを飛ばしてみる。けど、明らかに笑っているのに「笑ってないから、早く行け」というのはどうかと思う。
「見るからに笑ってんじゃねぇかよっ、このヘン……」
 言いかけたところで、グッと腹に力を入れたせいで生じた、唸るような虫の声。
 それで我慢しきれなくなったのか、宮村が盛大な笑い声を上げながら俺の前を進み始める。
「わ、笑うなっ!」
「だから、わらっ…てない…っ…て…」
 本気で……ムカツクね、こいつ。


 そして今日も黒ベンツを鼻歌混じりに運転する宮村とともに学校へ。
 いらん視線と拓海の集中攻撃はもうこの際気にしないことにした。俗に言う「開き直り」というやつだ。
 現実逃避よりはまだまともな打開策……ただの防衛手段。
 折角のバイクも、車で送り迎えされちゃあるだけ無駄だ。まぁ石油価格の高騰している昨今で、ガソリン代を節約できるのはありがたいことだったけど、今の俺にはガソリン代と宮村のベンツ送迎は秤にかけてもいい勝負だった。
 いいよな。バイトなんかじゃなく、ある程度の収入が得られる職(決してなりたいとは思わねぇ職業NO1だけど)持っていて。あ、でも金があってもなくても、今の俺には関係ないのか。家賃とかそういう生活費を心配するような窮地に立たされているわけじゃねぇから。
 授業中も溜め息は止まらず、ジャパニーズマフィアの意外性光る脅威など知らないネチネチ帰国子女の英語教師には、またもや「俺の授業はそんなにつまらないか」とでも言いたそうに目をつけてくるし。
 そうまでして自分の話を聞かせたいのかよ、とこっちも言いたくなってくる。
 若干十六年と半年ちょっとで、バイクの無断利用を咎められて生活を狂わされ脅かされ、相手は男、そしてその親には既に同棲許可まで頂いちゃったりしていて。
 とにかく目が回るほど精神的に疲れている。
 あー……危ない、花畑が見えるよ〜〜〜。
 何のために学校に来ているのだろう? と思わずにはいられない。
 ふと、窓の外を見てみると今にも雨が降りそうな空模様だ。俺のこれからの生活を暗示しているようで縁起が悪い。
 っていうか、宮村の迎えもいらないって言ったし、傘もってねぇし。
 駅までは部活の連中に入れてもらうとして…アパートに戻るならまだ仲間がいるけど、宮村の屋敷に戻る駅には確か誰も行かないはずだ。
「あーやだ。全てが俺をどこまでも不幸にさせている……」
 なんて悲劇のヒロイン…いやヒーローを気取っているのにもそろそろ限界が来た。
 俺は半開きの目蓋の向こうでこっちをジロリと睨みながら授業を進め続ける英語教師に、ほんの少し、ホントにすこ〜しだけ申し訳なさを感じながら、それでも確実に夢の中の住人になってしまった。


This continues in the next time.
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