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−5.5−

 午前十一時五十分。
 中森は懐かしい顔ぶれで体育館に集結し、雑談で盛り上がる中学時代の知人たちを見ながら、残りの数人と、今回の主役である村井を待っていた。
 体育館の入り口に置かれた受付の紙には、びっしりと名前が書き込まれている。
 癖のある特徴的な字や、ボールペン字のお手本のような達筆なものまでそれぞれだが、名前を見れば「あぁ」と頷ける程度に、中森は旧友たちの性格や特徴を把握していた。
 人脈がある、といえば聞こえはいいが、無駄に記憶力がいいだけ、と一刀両断してくれたのは、後にも先にも西原ただ一人だ。
 中森自身、誰彼かまわず愛想を振りまいていたわけではないので、西原の意見もある意味正しいのかもしれない。
(あいつの場合、無駄に気を遣ったりするのは好きじゃないし、排他的な人間関係の方が、俺から見てもしっくりしてるからな。仕方ないよな)
 今でも名前で呼び合えるのは、自分ひとりだけだと自負できるほどに、西原は人間関係に関心がない。
 電話口からでも、声や見た目は多少変われども、高校時代までに築かれた、淡白である意味潔癖な中身までは変わっていないことは、はっきりとわかった。
 だから今回も、来ないとばかり思っていた。
 西原は折れたのだが、電話での会話に確信犯的な言葉をかけたつもりは毛頭ない中森だった。
(ま、村井と会うのは高等部の卒業式以来だし、一応美術部の副顧問だったからな……あいつ、そこまで憶えてんのか……?)
 入選した作品は、中高合わせれば両手足の指でも足りないほどだが、その実態はかなり中途半端な幽霊部員も同然で、中学時代の絵の製作も、たまに村井や美術教師で顧問である関に構成と色のアドバイスを受ける以外は、自宅でやっていたのだ。
 それを知るのは、「校外活動」を黙認していた村井と関、有事の場合でも事務的な会話しかしない美術部員と中森だけだ。
 ほとんどの人間は帰宅部と変わらない雰囲気に騙されて、賞状授与で体育館のステージに呼び出されたとしても、「絵が上手い」と思いこそすれ、「まぁ……美術部員だし?」という相手の人格を無視した納得をする者はいなかった。
 そんな西原は、まだ現れていない。
 ドタキャンもある程度予想はしていたので、ポケットの中の携帯は、朝からずっと電源を入れっぱなしにしている。西原だって、いくらなんでも連絡なしにフケることはしないという最低限の常識は持っているはずだ。
 あと十分足らずで会は始まってしまう。
 しきりに腕時計を気にし始めた中森に、一緒に受付係を担当していた幹部の一人である麻生が、くすくすと笑って言った。
「なぁに、中森。そわそわして。もしかして、叶わなかった初恋相手との再会が待ち遠しかったりしてる?」
 セミロングの髪を耳にかけ、前髪をピンで留めて額を見せているその顔は、健康的で色艶がよく、見た目だけなら化粧も控えめな、いいとこのお嬢様だ。
 小さく頼りない肩から伸びる両腕は、しなやかに筋肉が付いていて、運動部員としての影がうっすらと窺える。
 何事にも流されてしまいそうな外見に反し、自らの意見をはっきり口にする麻生は、学級委員、風紀委員長、生徒会副会長と、学年を追うごとに、その負けん気の強さとリーダー格としての天性の才能を買われて出世した実力派である。
 口先だけでなく、しっかりとした意志と行動力、そして統率力を兼ね備え、トラブルの対処なども的確な指示を出せるところは、中森も一目置くほどの存在だ。
 それに加え、人といることが楽しいといわんばかりに積極的に輪の中へ入っていける麻生は、人望も厚く、後輩からは羨望の的、先輩からは頼りがいのある礼儀正しい後輩、同学年からは頼りになる学年のリーダー格という不動の地位を得ていた。
 天性の統率力やその他諸々の付随する多種方向に秀でたモノを差し引いて、普通の女子高生と考えることは難しいことなのかもしれないが、人の色恋沙汰に平気で首を突っ込んでくるところは、その辺のパンピーと変わらない。
 それでいて不快感を覚えさせないのは、やはり麻生が麻生である所以なのだ。
 中森は苦笑して首を横に振った。
「違うって。俺、そんなに初心な男に見える?」
 初恋は叶わないもの、とは誰が言ったものか。
 そもそも、中森の初恋の相手など、恥ずかしくて口にも出せないほど幼い頃の記憶である。
 確かに、初恋は叶わなかったが。
 それを哀しむ感情さえ、持っていなかった頃の話だ。
「んーん。見えない」
 フフフ……と笑って、じゃあどうしたの? と訊ねる麻生に、中森はつられて笑いながら正直に答えた。
「俺ね、西原待ってんの。憶えてる? 西原陽司って」
 一度きょとんとした顔になったが、すぐに思い当たったらしく、「あぁ!」と手を叩いて頷いた。
「憶えてるわよー。西原くんが……って言うよりも、周りがね。反応すごかったから。一日に一回は必ず話題に上がったし」
 そうやって思い出している割に、麻生の反応は妙にさめざめとしていて、中森は意外に思った。
「でも……中等部の頃、あれだけ邪険にしていたコたち、デリカシーないわよねって思ったわ。西原くんには変な話、勉強させられた。中学の頃はまだ幼さ故って言えるかもしれないけど……ガキの単純さと残酷さ、ってものをね。人を見るときの参考になったから、知っておいて悪くなかったかもしれない」
 中森は麻生がそこで眉を顰めた理由を探ろうとはしなかった。
 勉強させた西原に対してなのか、それとも露骨に態度を豹変させるコたちに対してのものなのか、あるいはその根本にあるものに対してなのか。いずれも言える気がして、中森は黙って聞いていた。
(麻生は、知らなくてもよかったんじゃなくて、知りたくなかったんだろうな)
 そんな汚い部分など。
 幼い頃の意地悪やいたずらよりも、麻生にしてみれば、明白にそれを証明していたのだろう。
 中学時代が幼くないとは言い切れないが。それでも麻生の目に見えていたのは、醜悪な残酷さなのだろう。
「でもね、私何もできなかった。これじゃ、関わりあいを持ってないって言ったって、結局は共犯者だわ。多分、他の誰よりも臆病だった」
 傍観者でいるのは、いじめている奴と同じだとは、よく言ったものである。
 いっそ西原のようにすっぱりと一線を引いてしまえば、自らの弱さを露顕する事も、下手に糾弾されることもないだろうが。
 誰もが西原のようになれるわけでもない。
 結局のところ。
 中森の偏った見方で言わせてもらえば、所詮自らの地位を優先させる程度の繋がりしか持っていなかったということだ。
「それで、西原くんがどんな思いしているのかってことも、考えさせられた」
 西原とは対照的で、自分以外の人間の心情を考えることの出来る麻生に、中森は驚くこともなかった。
 それだけの綺麗事が言える余裕があるということは、充実していたのと同義であり、実力で誰からも邪険にされず、心をひねさせることもない立場を手に入れていた麻生なら、十分可能だと思うからだ。
 少しでも罪の意識を持ち、意味のない世話を善意と称して焼こうというその心意気は、中森も呆れを通り越して感心するが、西原に対する心遣いが報われることはない。
 誰からも悪意のこもった目で見られることはなく、その期待に応えるような無料奉仕の意義と充実感を知る麻生と違い、西原はどこまでも西原で。
 心を砕いてくれ、その痛みを感じてくれた相手にも「それが、何」で済んでしまうのだ。
 今なら建前だけでも「ありがとう」とは言えるかもしれない。基本的に同情する他人よりもサバサバとしすぎていて、他の視線や自身に抱く感情などという些末な問題は意にも介さない。
「もちろん、西原くんに何かを期待しても意味がないって承知の上でね。……期待できるようなひとでもなかったし」
 最後一言は、親友の立場でも「過ぎるだろ」と言えないほど、歯に衣着せぬ、異性からの率直な意見だった。
(全く……その通りだぞ、陽司)
 とは心の中でのみ、忠告できることだ。
 西原自身が面倒で気付こうとしなかっただけで、麻生は中森の次にまともな「級友」なのかもしれない。が、麻生も中森も、それを本人に言うつもりはなかった。
「でも……西原くんの絵は、好きだったな」
 ぽつりと麻生の口から洩れた言葉は、それこそ素直な、お嬢様の見た目に合った素朴な感想だった。
「……俺も好きだった」
 未だに、ずっと西原と一緒にいた中森は、人が良いとはいえど、麻生を認めようとは思っていない。
 だが、西原への素直な賛辞を跳ね返す必要も、権利もないわけで。
 中森もそれは純粋な気持ちとして同調できた。
 それも西原には言わない。
 言っても、照れ隠し代わりの性質の悪い毒舌に苦笑させられるだけだと知っているからだ。
(あいつらしいから、素直になれ、とは言わねぇけどさ)
 そんな僅かな――そして明確な――温度差を感じ取ったのか。
 何、二人して告ってんだか、と苦笑して、麻生はそれ以上何も言わなかった。
 西原に降りかかった誹謗中傷の「原因」に一言も触れなかった麻生に、中森はふと安堵の息をついた。


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