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−5−

 ゴールデンウィークの最終日は、風薫る鮮やかな五月晴れだった。
 朝七時には起きていた西原は、カーテンを開けた瞬間に額に皺を寄せた。あまりのまぶしさに目に刺されるような痛みが走る。
(よりにもよって…こんなピーカン……)
「ピーカンは死語か……」
 寝惚けながら意味もわけもわからない言葉を呟いて、西原は大きく伸びをする。
 今日の為に温存しておいた猫パワーも、これ以上ないほど漲っている。級友……と呼べるほどそれなりに付き合いのある人間すら少ない。
 酷いときには。
『何か……ね』
『付き合いづらい…っつーか、いるだけで周りの雰囲気も悪くするっつーの?』
『存在感が影響力ありすぎなわりに妙にきつい部分が多すぎっから、ハッキリ言ってあそこまで行くとただの迷惑』
 とまで言われていたのだ。
 それはまぁ、「みんなで仲良く楽しく」、「団結が一番」の、「みんなでやれば、何も怖くない」的な、何でも集団でやらなければ正当化することを躊躇ってしまうガキっぽさをべっとり貼り付けた、妙な仲間意識の中に生まれるばかばかしい「差別」によるもので。
 高校に入ってからは個々の人格が形成され、しかも総合と選抜で別れ、更に外部からの受験生が入学してきたこともあって、西原を悪し様に言う人間はいなくなった。女子など、以前は「偏った仲間意識」の下、誹謗中傷の輪に加わっていた癖に、外部生のミーハーさに圧されたのか、逆に「親衛隊」や「ファンクラブ」系に流されていく始末だ。
『え〜…まぁ、でも……顔はいいしね。良く考えてみれば、ほとんど何でもこなせちゃうし』
『近寄りがたい雰囲気っていうの? クールで、それでいて発言や行動に矛盾も無駄もないし。やっぱいいわ』
 これはこれで、腹の立つ話である。
 西原にしてみれば「その他大勢」が何をして騒ぎ立てようと、所詮は「その他大勢」。が、反省もせず、自らの「罪」を悔い改めることもなく、勝手にはしゃいでそわそわと傍迷惑なオーラを垂れ流す。あまつさえ、それまでの行為を「過去」としてほいほい投げ捨てて、忘れてしまえるのはいかがなものか、と一時期は考えたものだ。
 考えるだけ無駄なのは判りきっているのだが。
 だからこそ、放っておくに越したことはないが、それでも一度気づいてしまった以上、「お前らウザイ」と顔に出さない自信はなかったので、今日の気苦労は絶えないだろう。
 無闇に突っぱねては、行った意味がない。目的は、旧交を温めあうことではなく、言ってみれば「親友のご機嫌取り」なのだ。
 言うまでもなく、初対面の人間と接するよりも息苦しいだろう。
(……今日も、いないんだろうなぁ)
 ふと浮かんだのは倉本のことだ。
 初対面でも、息苦しさを感じさせない何かが、倉本にはあると、西原は思っていた。
 画家としての自信と。
 描き続けることに対する余裕。
 そして、不器用で暖かい言葉。
 暖かい言葉、と感じるのは自分だけだろうか、と西原は思う。
 知らずのうちに、見当違いの思い込みと期待の入り混じったフィルターをかけているとすれば、ただの自意識過剰だ。
 ただ。
 倉本が西原にとって欲しい言葉を、欲しいときに、同じ質量、同じ重さで与えてくれるのは紛れもない事実だった。
 西原が(本人曰く)自意識過剰になってしまうのも、仕方のない、ある意味必然的なものなのだ。
 中学からの持ち上がり組だけの同窓会、というのも、中々気の進まない話ではあるが。
(二言はない、なんて古臭い考え、現代社会に生きる人間なら、足枷にはなっても役立つ場面なんて使う人間によるからな。持ってるわけねぇけど)
 西原は行くと言ったのだ。
 それを反古するつもりはなかった。
 何故か、どうしても。
「……っしッ」
 とりあえず気合を入れ、いつも通りの部屋の中を顧みて―― 一気にその気をそがれてしまった。

* * * * *


 嫌味なくらい清々しい青空の下、西原は母校の門をくぐった。
 体育館までの最短ルートは、学校の敷地内を横切るかたちになるので、卒業したときから代わり映えのしないグランドや校舎の外観に、言いようのない懐かしさが自然とこみ上げてくる。
 その頃には、孤独を強いられてしまっていた西原が、今更懐かしむような「楽しかった青春」なんてものは限られている。
 学校という閉鎖的な空間自体が、窮屈で仕方なかった西原は、軽いホームシック状態だったのかもしれない。
 引きこもりにならなかったのは、単に性格の捻じ曲がり具合が酷すぎたのと、中森の存在があったからだ。
 そう考えると、中森にはずいぶんと助けられてきたなぁと思いながら、誰もいないグランドをのんびりと歩いていると、後ろからザッザッと土を蹴る音が聞こえて振り返る。
 そこには昔と違い、黒い隙間すら見えない白髪の頭が印象的な、西原よりも幾分か背の低いかつての学年主任がいた。
「よう、西原だろう。久しぶりだなあ」
 目じりには数年前よりも皺が多く寄っていて、こめかみに血管がくっきりと浮いている。それでも張りのある健康的で懐かしい声音に、西原は感心した。
「お久しぶりです、村井先生。その節はお世話になりました」
 基本的に教師陣には受けのいい猫を被っていた西原は、わざわざそうしようと意識しなくとも、自然と柔らかな笑みが出てくる。中身のない笑みではあるが。
 二人は揃って体育館に歩き出し、村井は「もう先生じゃないんだけどな」と笑った。
「それでも、俺たちにとっては恩師ですよ」
 俺たち、とは誰のことを言ったのか。
 西原が、自分と一纏めに呼べるようなクラスメイトなど、中森以外にはいないが。
 始まる前から不快な気分にさせられるのは真っ平御免、というのが心情だった。そうなれば、機嫌取りなどと言っていられない。
 その辺は、自分をとことん理解している西原の制御装置が働いている証拠だ。
「そういやお前、部活全然出てなかったなあ。まあ俺や関さんも黙認してはいたがな」
「よく憶えてらっしゃいますね。俺ですら忘れかけていたことだったのに」
「相変わらずだな、そういうところは」
「そうですか?」
「あぁ。けど、あの頃より角が取れてきて、またいい男になった。孫を嫁に出したいくらいだ」
 そんな冗談に苦笑を洩らしつつ、それでもきっぱりと断って、二人は体育館に入った。
 体育館の中は、外に比べれば日の光が当たらない分暗く、入った直後は目が慣れず、西原にはほとんど真っ黒にしか見えなかった。
「村井先生!」
 西原は靴を脱ぎながら、慣れ始めた目で声のした方を見た。
 長机の向こう側で頼みもしないのに、主賓の登場に立ち上がっていた受付係に見覚えがあったのは一人だけだった。
 西原にとって、まともな話が出来る人間は、今回のメンバーの中では中森しかいない。
 舞台の上での緊張を少しでもなくすための言い聞かせではないが、中森以外の人間はカボチャやジャガイモも同然なのだ。ただし視覚的にそうである必要はないので、扱いが変わる、という程度である。
 その程度は半端ない格差なのだが。
「お久しぶりです。憶えてらっしゃいますか? 麻生です」
 名前を聞いても、西原は思い出せなかったが、西原の倍以上も年がいっているはずの村井はすぐに思い出したようだ。
「あぁ、麻生くんだね。憶えているよ。それから中森くんだ。今日は呼んでもらえて本当に嬉しいよ」
 教師になると、名前を覚えるのも得意になるのか、と思いながら、記帳を済ませた村井の後に、西原はボールペンで雑に名前を書いておく。
「久しぶり」
 とは、中森にのみにかけた言葉で、麻生はもとからジャガイモ扱いだ。それを知る由もない麻生は微笑んで挨拶を返してくれた。
「久しぶりね、西原くん」
「会うのは久々だな、陽司」
 西原は人の良い顔を麻生に向けて頷き、そして中森には屈託なく笑いかけた。
 西原を知らない人間が見たら「シャイな人」と思うだろう。それは確信犯で、ある意味当たり前の他意のない「そっけなさ」だということに、麻生はしっかりと気付いていた。
「あとどれくらいで始まる?」
「あと来てないのは……二人くらいだから、そろそろ始めようと思う。焦れてる奴もいるだろうからな」
「何で」
「葉書きにも書いてあったと思うけど、後で会費徴収するからな。その分、ゴーカな同窓会にするっつーこと」
「メシ、か」
「そういうこと。人数も人数だし、そこまで高くないから。けど、来たからには食べないと損だぞ」
 その場で西原と喋り始める中森の代わりに、麻生は紙をまとめて長机の端に寄せ、待っている間飲んでいたお茶の入ったボトルとコップを片付ける。
「あ、悪いな、麻生」
「いいのいいの。マイクの用意してくるから、中森は西原くんと中で待ってていいわよ。他の幹部の人にも、始めること言ってこなきゃ」
 腕時計で時間を確認してから、麻生はスリッパをパタパタ鳴らせて、足早に体育館の中に入っていった。
 二人だけになると、西原は早速息をついて中森を恨めしげに見る。
「今回だけだからな。同窓会、なんてイベント」
「嫌々来ました」という心境を包み隠さず口にすると、中森は「ほんと、相変わらずだな」と苦笑した。
「しかし、村井先生と一緒に来るとは思わなかった」
「仕方ねぇだろ。あの人、いきなり声掛けてきたんだ。白髪頭がなけりゃ、麻生と一緒で誰か判らない」
 長机に腰をもたれて、西原は悪びれもなくカボチャとジャガイモのぞんざいな認識を告げる。
「随分な言い方だな」
「文句でも?」
「いや。そんなの咎めてたら、お前に限ってはキリがないからな」
 西原が、同じ場所に立って話すことを認めた相手は、中森しかいない。それは西原の視野を著しく狭めている要因の一端でもあるが、中森もそれを「良くない」と言うつもりはない。
 それが西原の「他とは違う」という意思表示や、中森にのみ与えられた特権階級(親友の意義)であればなおさらだ。
「よくわかってるな」
「そりゃどうも。伊達に十年、お前と付き合ってないんでね」
 ―――十年。
 平均寿命で考えた場合、人生の約七分の一を共に過ごしてきた親友との久しぶりの再会に、お互いどうでもいい会話に舌がよく回る。
 その時の口調や表情一つで相手の気分が読み取れるのは、時間をかけてパターン化された行動の意味を把握できるからで。
 そして中森は、西原が、自身の言葉や態度ほど、再会を喜んでいるわけではないこともわかっていた。
 喜ぶ喜ばないの次元ではなく、他に気がかりなことがあって、そっちにばかり気がいっている、という感じだ。
 それを直球ストレートに訊ねても、答えないことは承知しているので、さりげなく話題を振る。
「最近、何かあった?」
「何かって……何が」
「普通に、何か。俺は最近、バイト変えたんだ。工事現場の通行整理ってのも、棒振って、笛吹いて、無線で確認しあったりするだけの単純作業だからな。つまらなくて」
「いいじゃねぇか、そんなんで金が手に入るなら。ま、わからなくもねぇけど。で、何に変えたんだ?」
「そんなんでって…結構きつい時もあるんだけど? まぁいいや……お前も近況報告したら、教えてやる」
 ギブアンドテイク。もしくは等価交換。これ、基本。
 どこかのキャッチフレーズのように言って、にやりと中森は笑う。
 もったいぶりやがって……と言いつつ、思案顔になって西原は考える。
「近況ぉ……? そうだな……美味いコーヒーを出す店を見つけたことくらい、か。俺のところの近くでさ」
 西原はわざと画家云々を端折っておいた。
 そこまで言う必要はないし、思わぬところで墓穴を掘るような真似はしたくなかった。
 特に、倉本に関しては西原自身でもわからないことが多すぎて、困っているのだ。  中森だからこそ、余計な詮索は避けたいのが本音だった。
「特に何もないだろ。さ、とっとと吐けよ」
 何もない、と言う割に、西原の表情はどことなく固い。中森には、それだけわかれば十分な収穫だった。
「はいはい。……ファミレスの厨房係だよ」
 別にギブアンドテイクや等価交換の価値もないただの私情だったが、使えるものは何でも使うのが、中森の主義だ。
 等価、というには、いささか軽すぎだったかもしれないが、西原はそれを気にする様子もない。
「うえぇえ、お前、まともなメシ作れんのかよ? よく採用されたな」
「失礼な。これでも調理師免許取得を目指してる身だぞ?」
「いつからそんなもん目指すようになったよ?」
「去年くらいから。俺何も出来ねぇからな。特にやりたいこともなかったし。何か……食べることに困らなそうじゃん」
 人間、食べることは何よりも大事だ。どこかの健康番組の司会のようなことを言う中森を軽く罵倒して、西原は人には見せないような無邪気な笑みを浮かべた。
「なんつーか……随分と短絡的思考になってきたんじゃねぇ、お前。昔の方がまだ説得力があったっつーか、意味不明な行動はしてなかったと思うぞ」
「何でもトライしてみるのはいいことだろ」
「理由やモノにもよるけどな。ま、その辺はご本人の了見次第、ってことで。俺はパスだな、そういう綱渡り」
 笑っていても呆れたように息をつく西原を見て、ひでぇな、と中森もからからと笑ったが。
 放任主義、というより単に興味がないだけなのか、そう考えると物悲しさに似た寂しさを感じる中森だった。
 同時に、熱くなっているのは自分一人だけで、実は思っているほど西原の中での自らの価値は高くないのだと。
 西原と違って、表情のコントロールがしきれていない――と言っても、標準レベルだが――中森が何を考えているのか。その辺は西原も一緒で、読み取ることは容易い。
 これだから、放っておけないのだ。
「……誤解すんなよ。俺は、お前をどうでもいいとか思ってるわけじゃないからな」
 距離は一定で、思考や言葉の違いはあっても、根本的な部分では同じ場所に感情を置いている。
 西原にとってはそれで丁度いいのだ。
 自分の考えがいつも正しいわけではないし、むしろ排他的な人間関係しか築けないことに、もどかしさや不満さえ抱いていた時期もあったのだ。
 そこまで意識することでもないし、それはそれで困るようなこともない。気兼ねなく生活できるなら、西原にしてみればそれに越したことはないのだ。
 が、決して「それ」を好いているわけでもない。
 自分とは全く違う思考や言葉で、立場も境遇も違い、プラスアルファで多少の人間性や居心地のよさを加味した上での人選。それはある意味、簡単に離れられる――つまり、相手の顔色を窺いながら常に気を張る――ような軽い人間関係を好まない西原にしてみれば、長く付き合っていける相手を見つけるための手段でもあるのだ。
 あとは運とタイミング次第。
 そんな狭き門に飛び込んでこれたのは、後にも先にも中森ただ一人で。
 だからこそ、大事にしたいと思うのだ。
「お前、最近ビクビクしてんのな。何をそんなに不安がってるのか、わかんねぇけど」
 そんな思惑の西原なのだが。
 実際、人の心を読める人間などいるはずがない。よって、西原の思惑がそっくりそのまま理解されているというわけではない。
 感じるものはあっても、曖昧であるのには変わりないし、人の心は頼りないのが常である。
 中森にしてみれば。
 自分のいないところで、自分の知らないところで、親友が何をしているのかなどわかるはずもない。
 つまりは、そういうことなのだ。
 当人が何をしようと勝手だが。それによってこの丁度いいバランスがあっさり崩れてしまうのではないかと危惧することはままあるわけで。
 ましてや、半年も会わず、声だけを頼りにその時々の相手の感情を読もうとしたところで、それが出来るかと言えば否だ。
 言葉ほど、再会を喜んでいないことがわかったら、尚更で。
 以前なら手綱を放して乗ることも出来た馬に数年ぶりに乗って、ちょっと体の位置や状態が乱れただけで肩を強張らせてしまう感覚に似ている。
「そうか? 悪い、そんな気はなかった」
 結局、自分は親友を信じきることが出来ないほど臆病者だったのか、と叱咤し、自らに呆れ、一種失望するしかないのだった。
「悪くはねぇけど。そんなにいちいち神経擦り減らしてっと、老けるぞ」
(どっかの誰かさんみたいにな)
 その「どっかの誰かさん」は、今何をしているのか。考え出したらきりがない。だが心の隅でいつも気にしている自分がいることに、薄々西原は気付いていた。
「その毒舌も、相変わらずだ」
「そうそう変わってたまるかよ」
「いや、お前はもう少しいい方向に変われると思うぞ」
「どういう意味だ」
「そういう意味」
 言うが否や、じとーっと半目がちに睨めつける西原から逃げるように、「そろそろ始まるぞ」と言ってさっさと体育館内に避難する。
 体育館にまで冷暖房が完備されているわけではないので、大勢が集まっていることもあり、熱気が籠もっていた。ドアも窓も全開だが、温度はあまり変わらない。
 二人が入ったときには、既に料理をつつき始めていて、ステージの脇で、麻生がマイクを片手に村井と話しているのが見えた。
 何もわからない西原に、中森は一番手前のテーブルに置いてある皿とフォークを取ってきて渡した。
「見ればわかると思うけど、立食な。こぼすなよ。掃除すんのも俺ら幹部の仕事なんだし」
「はいはい」
 中森はその場に西原を残し、会のスケジュールやミニゲームなどの最終確認をしに、麻生の元へ向かった。
 一人になった西原は、次第に集まり始める同級生、特に女子の視線をビシバシと感じていた。
(結局、こうなるのか……)
 ある程度の自覚があると、この先どういう運びとなっていくのか、大体予想がつく。中森のいない状況では誰に逃げることもできない。中森以外の人間に、逃げるつもりはなかったからだ。
 今か今かと構えるより、案ずるより産むが易しと思うことにして、その視線をあっさりスルーさせながら、いくつかのテーブルに分けて並べられている料理を見始めた。
 ひそひそ。
 ざわざわ。
 西原が入る前も、もちろんざわざわとした話し声は聞こえていたが。
 少しばかり、騒がしくなった気がするのは、気のせいではないだろう。
(頼むぜ、おい……)
 当時とはまた違った意味での息苦しさと、不快感は募るばかりである。
 ここにいるよりは、一日中木村の店でコーヒーを飲んでいたほうがよっぽど有意義な時間の使い方だと思わずにはいられない。
「あ〜……帰りてぇ」
 視線を寄せる者は多かったが、近くに誰もいなかったのは幸いである。苦々しげに呟いた言葉を聞いていたのは、西原以外誰もいなかった。



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