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−6.5−

 同時刻。
 長机やパイプ椅子をステージの下にある大きな収納スペースに運び入れ、ケータリングの業者と片づけを急ピッチで進めていた中森の額には、うっすら汗が滲んでいた。
「あと少しで、終わりそうだな」
 主賓のはずの村井もわざわざ片付けに参加し、幹部のメンバーと二次会に行く予定で手持ち無沙汰になっていた人の手伝いもあり、スムーズに片付けられていく場内を見て、中森はフッと軽く息をついた。
(西原にメール入れないと……)
 重労働は西原の嫌う作業の一つだ。当然、この場にはいない。美術室に行くのはちょっとしたタイムロスになるので、西原に昇降口のところで待っているように、とメールをする。
 両手に二脚ずつたたんだパイプ椅子を抱え、せっせと作業を再開するが、中森のポケットで携帯のバイブが鳴った。画面を見ると、西原からメールの返信だった。
《悪い。気分悪くなったから帰るわ、俺》
 そら、ないでしょ。
 口には出さなくても、中森はトホホと思う。折角早めに切り上げて、積もる話とやらを楽しみに労働に精を出したというのに、これではやる気も半減だ。
(気分屋な所もあるしなぁ……。俺の立場なら、折れてやるのがいいところ、なんだろうけどさ)
 そこは、長年の付き合いからわかる「引き際」というものである。ここであっさり引き下がらないと、西原の機嫌は悪くなる一方だ。
 こういう「突然の体調不良によるドタキャン」は、手を引かないと後々大変になる。  熟知しているからこそ、譲歩する。もしかしたら、それが煩わしさを感じさせないという理由で、傍にいさせてもらえるのではないかと考える。
 中森は頭を振って暗い考えを隅に追いやり、了解、と返信した。
「何溜め息ついてんの〜? 中森」
 幸せが逃げるわよ、と麻生が軽く背中を叩いたのと、携帯をポケットにしまったのは同時だった。
「何か色んなもんが背中に張り付いてるよ」
「え、何、ゴミ?」
「違う。重苦しい雰囲気とか、重苦しいオーラとか、重苦しい空気とか」
 全部一緒だろ。
 軽く心の中で突っ込んで、何でもないと苦笑してみせた。
「……まぁ、気分屋のお守りも楽じゃないってところかな」
 あえて名前は出さなかったが、麻生にはそれが誰のことだかわかっているようで、
「そうみたいね」
 と物知り顔で言った。
 西原のことになるとツーカーになれるというのも不思議な感じである。中森は他の友人に助っ人で呼ばれて離れていく麻生を横目に、本来の仕事を終わらせることに専念した。
「それじゃあみなさん、お疲れ様でした。これにて解散!」
『お疲れ様〜!』
 麻生が音頭を取り、体育館に残った幹部や片付けを手伝ったメンバーは声をかけ、一同解散になったが、中森は一人不満顔でその場に立っていた。
「何してるの、中森。閉めるから、早く出てよ」
 気付くと、体育館の扉の隙間から麻生の小顔が覗いている。
「悪い」
 中森は小走りに入り口へ向かい、麻生と一緒にいたメンバーからの二次会の誘いを断って帰路に着こうとした。
 そのとき、携帯のバイブが鳴った。
(まさか、陽司、なわけねぇよなぁ……)
「体調不良」まで使って二次会を断ってきた西原が、舌の根も乾かぬうちに「やっぱり行こう」など、ありえない話だった。
 わかることと言えば。西原は、誰かと話せる状態ではない、ということだ。
 画面で確認すると「天野」と表示されていた。
 中森は顔を顰めたが、すぐに出る。
「何の用だ」
 周囲には誰もいないので、会話の相手が誰なのか詮索する人間もいない。いいタイミングなのだろうが、中森は天野からの電話など、訝しく思いこそすれ、嬉しいなどとは思わない。
 刺々しい声に、天野はくつくつと笑った。
『何、警戒してんだよ、中森。まだ何も言っちゃねーだろ〜』
 その軽い口調に、中森は嫌悪感を抱かざるを得ない。本音を言えば、天野とは関わりたくもなかったのだ。
 学生時代、普通に考えれば弱っていたであろう西原につけこんで、あわよくばモノにしてしまおうとしていたことを、中森が知らないはずはない。
 だが、その頃の西原は既に「今」の西原で、歯牙にもかけていないようだったが、中森は要注意人物として見続けていた。そしてそれは今も変わらない。
 同窓会を企画するまですっかり忘れていたが、並みの警戒心ではなかった。
「当然―――」
 そこでハタと気付く。
(もしかして……?)
 つい三十分ほど前の西原の言葉がフラッシュバックする。
 美術室にいるから、とっとと片付けて来い―――。
「お前、陽司に何かしたのか」
 天野は元美術部員で、請えば美術室の鍵を借りることも出来るだろう。西原が行くのを追ったということも考えられる。
 どっちにしろ、迂闊だったことに変わりはない。
 すると天野は意味深に笑って答えた。
『さぁ、どうだろうね』
「っ……テメェ!」
 もし、天野が何かよからぬ事を西原にしたのなら、ドタキャンしたことも合点がいく。
 中森は校門のところで振り返り、中等部の校舎の一階部分を睨んだ。そこは丁度死角になっていて、中森の立つ位置からでは、美術室を見ることは出来ない。
『何も、覚えてなかったけどな。「アレ」も、全部。西原が記憶ないのって、もしかしてお前が催眠でもかけたわけ?』
 天野の言う「アレ」を、中森は西原の次に知っている。
 そして「アレ」は、二度と思い起こさせてはならないということも。
 その記憶を、当時いた内の何人が覚えているかは定かではない。それが西原の心を抉り、傷つけ、踏みにじったか……思い出すだけでも、中森は腸が煮えくり返るほどの思いに駆られた。
「そんなわけないだろ。「アレ」を忘れたのは、あいつの……陽司の意思だ。それ以外に何がある。俺は触れないって決めてるんだ。わざわざ思い出させて、苦しめることもないだろ」
『そんなに熱くなるなよ。俺だって、知らないわけじゃない。西原が死にかけたことくらい、な。……ってことは、公にされてなかっただけで、そっちの「噂」も本当だったってわけだ』
「じゃあ、今更なんだってんだよ。お前には何も関係ないだろ」
 いっそそこの部分だけ、西原の人生からすべてなくなってしまえば……とさえ中森は思った。そうすれば、西原は今よりももっと居心地のいい環境で過ごしていけただろうに、と。
 西原は何もしていない。
 ただ、自分の居場所が欲しかっただけなのだ。
 それを知っているのは、中森だけだった。
『あぁ、関係ない。けど―――何か、惹かれるんだよな、西原に』
 悪い意味じゃなくて、と天野は笑みも含まずに言う。
 ふざけてんのか、と怒鳴りたいはずの中森は黙っていた。どうしてか、口が動かなかったのだ。
 聞くほどの価値もないとわかっていながらも、天野の西原に対する賛美を聞きたいと思ったからなのか、それとも、奥底で中森も同じ感覚を抱いていたからなのか、はたまた、突拍子もない言葉に、呆れて物も言えなかっただけなのか。
 いずれにしろ、中森は何も言わずに、天野の話を聞いていた。
 中森の沈黙に、天野は続ける。
『あいつの頑なさっていうのにさ、フツーの人間には理解できない境地の部分で……まるで引力で引きつけられるように、必然的に惹かれる感じがするんだよな』
「何が言いたい」
『お前も、多少の自覚があったから、西原と一緒にい続けたわけじゃねぇんだ?』
(恋愛対象として見ていると言いたいのか、こいつは)
 そんな厚かましい感情で、西原を繋ぎ止めることは出来ない。
 それを誰よりも理解している中森だからこそ、その道は選ばなかったのかもしれないが。
 もちろん、中森自身はストレートで、男相手にどうこう……など考えたこともない。
 どちらにしろ、中森が西原を恋愛対象として見るのは誤っているのだ。
「お前がどう思おうが、陽司は陽司だ。俺は陽司を「親友」として選んだから一緒にいる。それ以外に何の理由がある」
『別に、仰るとおりですよ』
 天野の一言一言が、ねっとりと心に絡みつく。感情の置き場が揺らぎ始めるのを感じた。
 中森の中で、危険信号が点滅する。
「―――じゃあな」
 もう話すこともない、と有無を言わせず中森は電話を切った。天野とは西原の話をしたくなかった。
 自らの弱さを抉られるような気分だった。
「惹かれる、か」
 中森はもう一度、美術室の方を一瞥して足早に歩き始めた。
 それも一理あるのかもしれない、と中森は思う。思ってはいけないのだと、わかっていても。
 たまに、感情を疑うような気持ちにさせられるのだ。
 もしかしたら、無関心になってしまうかもしれない。いつか、自分のことも忘れて、 どこか遠いところへ行ってしまうかもしれない。
 普通の友情であるのなら、何処へ行こうが何をしようが、本人の自由だと割り切れるものだと思う。が、西原にだけは、そんな余裕など持っていないということを、今更ながらに気付かされる。
 西原の性格も災いしているだろうが、一挙一動にそこまで不安を感じてしまうのは、依存にも程があると言えよう。
 天野の言うように。
 まるで、恋愛をしているかのような、感情。
 ―――それでも。
 一度収まった形を崩して関係を変えようとしたところで、今度こそ永久離別の宣告を受けるだけだろうということは、安易に想像がつく。
 一線を越えるか越えないかで、恋と友情は区別される。思いの強さではなく、「どうありたいか」で決まってしまう感情のボーダーラインだ。
 所詮理性の上に成り立つ「ルール」など、感情の域では何の役にも立たない。すべては気持ち次第、ということだ。
 だが、どうあっても、中森は線の向こう側に足を踏み入れる気はない。
 思いの強さなら恋に匹敵するものだとしても、変わることのない、変わる必要のない関係。
 何故、と訊かれれば中森は迷わず答えるだろう。
「それが―――俺たちのスタンスだからだ」
 あやふやになった心の置き場を保つように、中森は呟く。
 大切な人間を守る方法は、一つではない。
 親友にも、出来ることはある。
(これ以上、陽司を傷つけたくない。あの時みたいなことは、もうたくさんだ)
 大切な人間を失いかけるようなことは、二度としたくない。だから、出来る限りのことをして守り続ける。
 それは中森の決意だった。
「―――……」
 硬い殻の中身は、あまりにも脆いことを中森は知っている。
 日はまだ高く、全てを覆い隠す夜までは時間があった。
「ったく、こっちの都合なんて、だぁれも考えちゃくれねぇんだもんなぁ……」
 何事も上手くいかないときは、ぼやきたくもなる。口から洩れる溜め息は、心なしか、重い。
 中森は携帯の短縮ダイヤルを呼び出して、何処かへ電話をかけ始めた。



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