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 ひとしきり長谷川さんの肩を借りて泣いたあと、色々なことが混ざり合って何から話したらいいのかわからなかった俺は、長谷川さんに「全部話すから少しだけ待って」と、頭の中で整理をするために少し間を置くことにした。
 しかしその選択は良かったのか悪かったのか、その日宮村さんや理人が事情を訊くために見舞いに来たあと、落ち着いてから一週間ほど考えて、やっと話せると思った矢先、また面倒ごとが重なることになった。
 まず学校と両親への説明。
 さすがにこれだけの怪我となると、普通に登校できるようになるまでにまだしばらく休まなければならないし、包帯やガーゼだらけの全身を見れば、教師連中も黙ってはいない。当然、親のほうにも話がいくはずだ。
 その時になって問い詰められるのも、それから派生する新たな問題を考えるとあまり良くないと思った(正確には、長谷川さんの助言をうけてやっとそのことに気付いた)ため、まず親に事情を説明することにした。
 驚いたことに、専業主婦で時間のある義母さんはともかくとして、仕事で忙しいはずの父さんまで俺が入院している紫藤(俺の怪我の手当てをしてくれた男の名前だ)の診療所兼自宅へすっ飛んできた。
 広域指定暴力団の組長とその右腕、迎えの車の運転手をかってくれた古参の組員に加え、ぱっと見怪しげな医師に囲まれて、俺は慣れていたが、免疫が全くない二人は頬が完璧に引き攣っていた。
 そんな連中に囲まれて平然としている俺を「本当に大丈夫なのか」と父さんがこそっと耳打ちしてきたくらいだ。
 だが本題に入ると二人も親としてきちんと事情を説明してもらわなければならないと、真面目な表情を作って簡易椅子に腰を下ろした。
 何故俺がこんなところで包帯ぐるぐる巻き状態になっているのか、それまでの過程を語るには随分と前まで遡らなければならず、俺の一人語りだけで一時間近くかかった。
 宮村家と関わりあいを持つようになった原因、夏休み中の外泊のこと、新学期が始まってからも、用心のために週に何度か夕飯を食べに行っていたこと。
 父さんは里見との一件で、「そんなことがあったのか」と驚きとも怒りともつかない表情を見せ、義母さんは義母さんで「大変だったわね……」と心配そうに眉根を寄せた。
 こんなことがあったのでは、監督下に戻されるのが当然だとわかっていた俺は、アパートを解約して実家に戻ることも覚悟していた。
 俺の友達がヤクザと結ばれてしまったことはもうしょうがないとしか言いようがなく(それもカミングアウトせざるをえなかった)、理人と付き合っていく以上は危険に曝される可能性は十分考えられるため、宮村さんは「もしヤクザとの繋がりが立場上不利になると言うのであれば、ボディーガードを雇ってもらうしかありませんが、差し支えなければ送迎をうちの者に任せます」と、夕飯に寄らない代わりに最大限の譲歩をしてくれた。
 父さんの立場を考えると、もし仕事関係の人間にヤクザと多少なりとも繋がっていると知れれば、父さんや、会社自体の信用にも関わってくる。
 俺は長谷川さんと会う機会が減るし、理人はいいとしても、その先にいる宮村家の人間とは今後一切関わらないようにと言われてしまえば、会う機会どころか、どうやって会うかというところから考えなければならない。
 今回怪我だらけになった大元の原因というのは、たとえ俺が否定したとしても、本人も含めほとんどの人間が長谷川さんだと認めてしまう。
 だから余計に、そんな人と会うことは、子供を守る義務がある親の立場からすれば言語道断、というところだろう。
 それでも俺は「みんな優しい人たちで、一緒にいて楽しいし、俺を守ってくれる。だからこれからも今の関係を続けていきたい」と最後に険しい表情を浮かべる二人に訴えた。
 いきなり連れてこられて、息子を危険な目に合わせた張本人と、息子自身が一緒にいたいと訴えるのだから、父さんも義母さんも色々と理解に苦しんでいるらしく、すぐには答えが出せないようだった。
 だが予想したとおり、家に戻るということだけは真っ先に父さんの口から出てきた。
 それについては何の反論もなく無言で頷いた。
 その後のことは、「二人だけで少し話したい」と言って一度病室を出ていった。
 目の前でヤクザのことを自分たちの立場を交えて話すことはさすがに憚られるのだろう。俺がもし今の父さんたちと同じようなことになったら、やっぱりそうすると思うのだから、仕方ない。
「ちょっと、喉かわいたな……」
 二人がいなくなって、束の間とはいえ緊張が解けた俺は、喋りっぱなしで口の中が乾いてしまったため、サイドテーブルのペットボトルを取ろうとした。
「私がやりますよ」
 するとすかさず長谷川さんがペットボトルを俺よりも先に取り上げて、グラスに注いで渡してくれた。
「……りがと」
 お互いに気持ちを確かめ合って、相思相愛だとわかってから、長谷川さんは以前にも増して俺の世話を焼くようになった。
 前だって相当してもらっていたのに、今では水飲み一つとってみてもこの有様だ。
 包帯や擦り傷と切り傷にまみれた体で風呂には入れないため、ぬるま湯で絞った濡れタオルで体を拭くときだって、自分でやるといくら訴えても、背中どころか顔から足のつま先まで拭いてしまうし、パジャマを着替えようとして紙袋を漁ろうとしたら、それすら全部用意される始末だ。
 長谷川さんがいると、何かをしようとするたびに先回りされて何もすることがなくなってしまう。
 仕事はいいのか、と思ってしまうくらい高頻度で俺の病室を訪ねてくるため、大丈夫なのかと訊くと「退院するまではあなたの世話が私の仕事ですから」と、冗談とも本気ともつかない答えが返ってくるだけだった。
 ごくたまに、長谷川さんが来れないときは、代わりに金子さんが訪ねてきた。
 金子さんは長谷川さんのように世話焼きではないため、俺はやっと自分でできると正直ホッとしたところもあった。
 このままじゃ、本当に長谷川さんがいないと生活できないような人間になってしまうと危惧するくらいの甲斐甲斐しさだったからだ。
 いちいちにっこり笑うから、強く断ることもできない。
「大丈夫ですか?」
 注がれた水をゆっくりと飲み干した俺に、長谷川さんが姿勢を低くして顔を覗き込みながら訊ねてきた。
「どうして」
「ずっと硬い表情をされていたので、これだけの事情を説明するのも大変だろうと思いまして。もし一人で無理だと思ったら、私からも助け舟を出して差し上げますから、あまり無理はなさらずに」
「ありがたいけど、それは駄目。俺の家族とのことだから、なるべく長谷川さんや他の人には介入して欲しくない。俺がどんなに嫌だと言っても、監督の責任がある親が決めたことは従わなきゃいけないし」
 そこだけはきっちりと断って、わかりきったことを頭の中でも繰り返す。どんなに嫌だと言っても、自分を育ててくれて、まだその義務が残っている立場の人が決めたことは、庇護下にある以上従わなければならない。今まで好き勝手やってきた分、今回のことは多少の拘束も致し方ないことだという自覚もあった。
 けど絶対、駄目だと言われても長谷川さんとは会うけどな……。
 普通に思ってから、それが自分の中で思った以上に恥ずかしくなった俺は、一人顔を赤らめる羽目になった。
 以前なら口説き文句をお喋り感覚で何の恥ずかしげもなく言えたのに、こんなどうでもいい考えが妙に恥ずかしいと感じるようになった。
 恋する乙女じゃあるまいし。……まあ恋はしているけど。
 呆れるくらい見慣れた笑顔も、見ると時々鼓動が速くなる。どうなってるんだ、と俺自身に訊きたい。
 これが本気の恋愛であるということも、何となく自分でわかってはいるが、以前の恋愛(と呼べるのだろうか)との差が激しすぎて、気持ちの面でなかなかついていけない。
 ある意味、余裕がない。
 そんなことを考えている場合ではないのに、俺は長谷川さんの一挙手一投足にまで反応する乙女のような思考回路に、どうかしている、と眉を顰め、額を押さえる。
 それにさえ、長谷川さんは「頭、痛むんですか?」と訊いてきた。
「藤次、行動が目に余りすぎる。見ていてこっちが苛々するからいちいちべたべたするな」
 明らかに自分が理人と一緒にいれないことへの不満から、宮村さんが壁に寄りかかって文句を言ってきた。
「お言葉ですが、坊ちゃんも家ではそう大差ありませんよ」
 喋り方は穏やかだが鋭い突っ込みに、宮村さんも身に覚えが十分にあるため、舌打ちしただけで反論はなかった。
 俺たちの関係は理人や組員たちはどうか知らないが、宮村さんには確実にばれていた。というか、長谷川さんが自分からカミングアウトしたらしい。
「あなたの世話をするのに、随分と入れ込んでいたことを指摘されて、隠しても仕方ないので話しておきました」、ということらしい。
 宮村さん自らが理人と付き合っているという時点で同性間の恋愛についてはとりあえず問題がないにしても、年の差とか互いの立場とか、それらのことも含めてしっかり説明したという長谷川さんの真摯さに、まだ長谷川さんにさえ何も話せていない自分が、卑怯者に思えてきた。
 いつ話そうかと考えていると、ゆっくり控えめに病室のドアが開いて、父さんたちが入ってきた。
 和み始めていた場の雰囲気が、また少し引き締まり、俺はグラスをテーブルに戻して椅子に座りなおした二人を見据えた。
 とりあえず、俺は今住んでいるアパートを解約して家に戻り、卒業までは家から学校へ通うことになった。
 そして宮村家との付き合いに関しては、ヤクザであるということは抜きにして、今日初めて会ったため、その人となりを見極めるには時間が必要であり、今はまだその結論を出すのは早いだろうということで、一時保留とし、入院している間はとりあえず今までどおりで構わない、ということになった。
 即刻引き離されると思っていた俺にとってその答えは意外だったが、父さんは「確かに社会的な信用というものは得がたいが、だからといってそれで人を枠にはめ込んで何でもかんでも悪いと決め付けるのは良くない」と言っていた。
 要するに、父さんの「よくも知らない相手を見かけだけで悪者にするのは良くない」という道徳心のお陰で、俺は宮村家とまだもう少し、付き合いを許してもらえたということだ。
 まあ、俺が一緒にいたいと言ったことも、多少は考慮されているのだろう。
 義母さんも、父さんがそう決めたなら、としばらくは口を出さないでいてくれるようだった。
 だが、この個人邸宅兼診療所は俺のような一般市民ではなく、主に裏の世界の人間が訪ねるようなところであるため、俺たち家族が風邪をこじらせたりしたときによく利用する総合病院へ病室を移すことになった。
 これからは義母さんも様子を見に来てくれるらしい。
 紫藤への治療費の支払いや、入院の手続きは父さんがしてくれるそうで、カルテも紫藤が都合の悪いことを省いたものを提出してくれるそうだ。
 治療費については、俺が考えていた以上に良心的で、保険がきかない分普通よりも少し高くなるが、宮村家の知り合いに法外な額は請求できないと紫藤は笑っていた。
「それじゃあ、また今度会いましょう。次は果物持ってくるからね。くれぐれも、傷に障るようなことはしちゃ駄目よ」
 一週間経って怪我も大分薄れきた俺の顔を優しく包むようにして、義母さんはそう言った。
 前妻の子供である俺を、義母さんはまるで自分の子供であるかのように大切にしてくれる。
 でもきっと、もし母さんがもう少し余裕のある女性だったなら、そう変わりはなかったのかもしれない。
 最後の言葉を聞いたときの優しい綺麗な笑顔が義母さんの顔にかぶって見えて、その幻を払うように俺は深く頷いた。
 どこか煮え切らない表情のまま俺に一度別れを告げた二人は、病室の隅に控えていた玄さんと共に病室を後にした。
 ほう、と息をついて長谷川さんの方を見やると、長谷川さんは既に動いていた。
「どこ行くの?」
「ちょっと、言い忘れていた事がありましたので、追いかけてきます」
 何を言うのかある程度予想がついて、顔を顰める。
「俺は介入して欲しくないって言ったよ。カミングアウトも、今はなしだってわかるだろ」
「全くの別件ですよ。すぐに戻ります」
 ご心配なく、というような表情を見せて、長谷川さんは足早に出て行った。
 別件って……宮村家との付き合いとか、俺たちの関係以外に一体何の用があるんだろうか?
 親交を深めるために宮村家の屋敷に招くとか……? 
 何を考えてもしっくりこなくて、数分後に戻ってきた長谷川さんに訊ねたが、「あとでのお楽しみです。とりあえず許可はもらいましたから」と笑っただけだった。
 許可がいるような何かを俺にさせるのか? それとも俺がされる側? 何を?
 楽しみって、何だ?
 楽しげにさえ見えてくる笑みに、長谷川さんの言う「それ」がどうしても気になって、結局病室を移すまでしつこいくらいにそれを訊きまくっていた俺は、移ってからでも大丈夫だろうと何も話さないままだったが、病室を移したら、今度は義母さんや俺が事故(…ということになっていた)で怪我をして入院していると聞きつけた奈津やクラスの奴、はては担任の教師まで代わる代わる見舞いに来たせいで、時間をとることもままならなかった。


This continues in the next time.
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