-3-


「長谷川さんの言う『大事な野暮用』って、何だと思う?」
 適当にカードを切りながら、ゲームに参加している人間全員に向かって訊いた。
 長谷川さんと依岡兄弟、そして前組長で宮村の父親である剛さんと夕飯を食べた後、組員が集まっている和室に移動して、持参したトランプを片手に今日もゲームの参加者を募った。
 夏休みのほとんどをこの家で過ごすことになった俺は、必然的に宮村家の身内以外にも顔を合わせたりすることがあり、いつの間にか麻雀や花札やトランプなんかで、ゲームをするようになっていた。
 宮村家に常駐している人間は、離れに住んでいる依岡兄弟や理人、元々の身内を除いての残り数人。あとは報告会議や常駐の組員に用がある人なんかがちょくちょく出入りしていた。
 仮眠用の和室がいくつか宮村家にはあって、常駐の組員はそこで寝泊りし、食事は各々で済ませているらしい。仮眠部屋は、前を通るとたまにいびきの合唱が聞こえてくることがある。
「さぁなぁ。長谷川さんは何事も『野暮用』でいつも済ませちまうから、俺にはわからねぇよ」
 すこし掠れ気味の声でそう言ってから軽く咳をしたのは、常駐組員の一人で「玄さん」こと相良玄武さん。
 組員の中では古参の方で、常駐組員のほとんどが兄貴扱いだが、兄貴と呼ばれるのが何となく嫌らしく、だから俺も含めて宮村組の人間は親しみと敬意を込めて「玄さん」と呼ぶ。
 自分より下の人間に対して上下関係にあまり拘っていないようで、何かとフレンドリーだ。
「玄さんが言うんだから、俺にもちょっとなぁ……」
 切り終わったカードを一枚ずつ左回りに配り始めると、俺の右隣にいる、こちらも常駐組で若衆にあたる金子春芳さんが首を左右に振った。
 金子さんは三年前に唯一の身内である母親を亡くしてから、常駐組となって住み込みをしながらシノギに出たりしていて、家の手伝いをしているところなんかもよく見かける。
 夏休みの間、組員同伴の場合のみ外出を許されていた俺は、組の中でも宮村の次に年の近い金子さんと一緒になることが多かったため、玄さんよりも話しやすい相手だった。
 今年で三十路らしく、現在進行形で彼女募集中だとか。
「俺たちなんかより、たっくんのが長谷川さんと一緒にいる時間多いと思うけど。それでもわからないんなら、剛さんにでも聞いてみたら?」
 俺をたっくんと呼んだのは、赤茶の髪をした依岡涼一。兄弟の兄の方だ。
 出会い方が最悪だったせいで、何かとつんけんしていたものの、今では何事もなかったように普通に接してくる。俺としては普通に接してくれるようになったことだけでも奇跡だと思ったが、「たっくん」と妙なあだ名を付けられてしまった。
 普通に呼んでくれ、と言ったら、「今の君に、拒否権があると思ってんの?」とにっこり怖いくらいの笑みを浮かべられて、一種の仕返しのようなものと諦めるしかなかった。
「……そう、なのかなぁ」
 首を傾げながら、宮村家に世話になり始めてから今日に至るまで、長谷川さんと一緒にいた時間の割合を何となく考えた。
 五枚ずつ配り終えて、残りを全員の前に山札として置き、自分の手札を確認しながら「そうかもしれない」と思ったが何も言わなかった。
 いつもは、花札やトランプには長谷川さんも一緒に参加するのだが、ここ一ヶ月は夕飯を食べた後、『大事な野暮用があるので』と、爽やかな笑顔を残して、車で出かけてしまうようになった。
 そして俺がそろそろ帰らないと、という時間には戻ってきていて、しかも必ずシャワーを浴びた後のように、微かに石鹸の匂いがしていた。
「俺が帰るときにはいつも石鹸の匂いがしてたから、運動でもしてんのかな」
 手札から二枚引いて山札の隣に捨て、新たにカードを捨てた枚数分引いていく。面倒なルールを省いたポーカーだ。
 次に左隣の玄さんが二枚手札を捨てて、「それもそうだが、長谷川さんくらいの人なら、おめぇ、女ってコトもあるだろうがよ」と俺に向かってにやりと笑った。
「長谷川さんに、彼女ー? あんまり想像つかないけどなー」
 玄さんが終わったあと、依岡が一枚カードを交換しながら言った。
「そうかぁ? 俺は結構あの人普通にモテると思うけど。長身だし、顔立ちもいい。言葉遣いも丁寧で、とても裏の人間には見えないからな」
「俺にしてみれば、金子さんも十分見えないよ」
 長谷川さんとは違った意味で、とまでは言わないでおいたが、それだけで俺の言いたいことは十分にわかったようで、三枚カードを引いた金子さんの眉間にはくっきり皺が刻まれていた。
「まぁそういうなや。金子は結構繊細なヤツだからよ。おめぇさんも、ちったあ気ぃつかえ」
 肩を上下させて笑う玄さんに、金子さんは「それ、フォローになってませんよ」とげんなりしながら言って、俺と依岡もつられて笑った。
 誰もストップをかけなかったため、もう一度カードを交換する。
「でも『大事な』っていうくらいだから、やっぱそういうことになるのかな」
 ツーペア、と手札を確認しながら言うと、玄さんは「まぁ、年も年だしよ。金子の言うとおり見た目もいいってんで、他の組から見合いの申し込みも来てるって噂だ」と言ってから、脇に置いてあった自前の缶ビールを煽った。
「年も年って……長谷川さん、今何歳? 金子さんとそんなに変わらないような気がするんだけど」
 長谷川さんの親父臭さのない、穏やかで柔和な笑顔を思い浮かべながら言うと、依岡が「あの人もう四十過ぎてるよ」と答えた。
「うっそ」
「本当」
 ちらりと金子さんを盗み見た俺は、これ以上は何も言うまいと口を閉じた。長谷川さんが若いのか、金子さんが老けているのか、なんて言ったら……色んな意味で可哀想だと自分でも思う。
「……他のところから、ってことは、政略結婚ですかね、やっぱり」
 俺の視線に気付かないまま、金子さんが淡々と玄さんに訊いた。
「そういうこった。特に、娘しかいねぇところが、組長ならそうもいかねぇが、代貸ってんなら婿入りさせるのも一つの手だってんで、話持ち込んでるらしい」
 女も選べねぇなんて、あの人にゃあ酷ってもんだろうがよ、と少しだけ表情が険しくなった。
 そういう玄さんには、既に奥さんと子供がいるらしい。この四人の中で唯一の既婚者だからこそ、誰よりも恋愛や結婚について理解しているんだと思うと、やっぱり他人事として済ませられないんだろうな。
 元から面倒見のいい兄貴分みたいな人だから、やっぱり気になるんだろう。
「なら、いいじゃん。野暮用がデートなら、長谷川さんには相手がいることになるし」
「ところがどっこい、それで済まねぇのがこの世界だ。望まれない相手との縁組なんて、ザラにあるもんよ。昔の貴族様みてぇなもんだ」
 組の人間にとって、組ってぇのは何よりも大事なもんで、その繁栄に貢献できるってんならむしろありがたく思わなきゃあならねぇ。
 玄さんの言葉には、経験に裏打ちされた真実味があって、何だか嫌な気分になった。真実なのかそうでないのかとかいう意味じゃなく、言外に「仕方がない」と当たり前のように諦観せざるを得ない世界にいるということが、何となく嫌だった。
 そういう俺も、仕方ないとしか言えないんだけどな……。
「ふーん……」
 表情を曇らせた俺の背中を、玄さんはバシバシと叩いた。
「まぁ気にすんな若造。そうと決まったわけでなし、一々気を揉むことでもねぇ。ましてやお前さんに関わる話でもねぇしな。……悪ぃな、長谷川さんの野暮用ってのは、結局俺たちにもわからねぇんだ」
「そういうこと。……あ、ストップね」
「え、嘘」
 依岡がストップをかけたのに、すかさず金子さんが反応して、玄さんも俺から視線を外した。そこでもう話は終わりなのだと教えられる。
 俺としたことが……思いっきり、気を遣われた。
 結局疑問は解消されないまま、案の定ゲームは連戦連敗で、何だか色々と消化不良のまま約束の時間になり、長谷川さんはきっかり時間の五分前に俺を呼びに来た。
「先に車で待っていてください」
 キーを渡してくれたときに触れた長谷川さんの指は温かかった。髪の毛も乾かしたようだが微妙に濡れていて、どう見ても「移り香を落としてきた」とか「汗かきました」っていうようにしか見えない。
 やっぱり、女の人と会ってんのかな、なんて、俺が気にすることでもなんでもない。
 でももしそれが本当なら、相手がどんな人なのかっていうのは純粋に気になる。
 いつも温厚で丁寧な言葉遣いと淡い微笑みを浮かべる長谷川さんが、そういう相手の前でどんな口調で、どんな顔をして喋っているのか。
 不思議な人だからっていうのもあるのか、考えてみると興味が尽きなくて、それでも俺はその外側にいて、それを見ることは出来ない。
 色んな意味で、歯痒い存在だ。
 一見して、組長の秘書的な立場の人だっていうのは一目瞭然な事実なのに、少し踏み入るとそれは霧に包まれて、何者であるのか全くわからない。
 俺自身、長谷川さんにそこまで興味をかき立てられることに少なからず驚きながらも、結局それを口にすることはしなかった。小走りに俺の乗る車へやってきた長谷川さんに、俺は何事もなかったかのようにキーを返した。
「助手席、あまり良くないですよ」
 職業柄いつ何が起こるやもしれないと危惧する長谷川さんに「そんなしょっちゅう狙撃手に狙われたり、事故られたらたまんないよ」と笑って、そのまま助手席のシートベルトをした。
 長谷川さんはそれほど強く言うこともなく、仕方ないという表情で口を閉じた。
 低音で振動もそれほど感じさせないエンジンを温めて、長谷川さんが流れるような手つきでギアを操作するのを黙って眺めた。
 そういえば奈津からのメールを確認してなかったな、と思って携帯を開くと、奈津のメールが七時からほぼ三分おきに十通も入っていて、早く寝て気付かなかったことにしようと、間に入っていた理人のメールだけを開いた。
『すげぇすげぇ! ホテルのディナーが、めっちゃうまそう! 今から食べるぞ。いいだろ〜』
 高校生とは思えないほどのはしゃいだ文章に、前菜っぽいサーモンのマリネの画像が添付されていた。
 これもこれで、何だか返すだけ無駄な気がする。
 着信は七時半。今頃一体何をしているのやら、と下世話な勘繰りをして、今着信音鳴らしたら宮村さんにしばらく睨まれそうだと真剣に考えて返信するのをやめた。
 無駄どころか、有害で実にリアルだと、我ながら冷や汗の滲む予想だ。
 携帯を閉じてポケットに突っ込むと、何もすることがなくなってちらりと長谷川さんの顔を見やる。その横顔からは、石鹸の微かな香りとあいまって、いつも以上に清潔感が漂っていた。
 その涼しげな表情の下に何を隠しているのか。
 口をついて出そうになるのはそんなことばかりで、俺は結局何も言わずに左右に流れていく夜の街に視線を戻した。


This continues in the next time.
*ご意見・ご感想など*

≪BACK    NEXT≫


≪MENU≫