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 空の燃えるような橙色に、紅く色づいたもみじが風の吹くたびに踊っている。
 夕暮れ時の宮村家で、俺は珍しく庭の植え込みのところまで来ていた。金子さんと一緒に座り込んで、ぶちぶちと雑草抜きの真っ最中だ。
 今日は土曜日で学校もなく、早めに宮村家に着いたのだが、「雑草抜きしなきゃいけなくて……」と言った金子さんのげんなりした顔が何となく放っておけなくて、子一時間ほど前から二人で雑草抜きをしている。
 植え込みの部分に生えた小さな草を根っこごと引き抜いて、背後にポイポイと放る。
 当然それだけやっていても退屈なわけで、ぼそぼそと話しながら作業をしていた。
「ところでさ、何で金子さん、雑草抜きしなきゃいけなくなったわけ?」
 一時間も話していれば、自然と話題も尽きてくる。それでも退屈しのぎに会話は欠かせない。だからどうでもいい素朴な疑問を投げかけた。
 すれ違った金子さんの少し落ち込んだ顔についついついて来てしまったが、そういえばこんなただっぴろい庭の植え込みで雑草抜きなんて、何か理由があるんだろう。元々に庭師だっているんだし。
 すると金子さんはぶちっと草を引っこ抜く手元を見ながらボソリと言った。
「朝寝坊の罰」
「……寝坊?」
「あぁ。…今朝は長谷川さんに人手がないから入ってくれって料理長と仕入れ行くつもりだったのに、昨日の夜玄さんと酒飲んでて寝るのが遅くなって、寝坊しちまったんだよ。それで、罰として庭師が明日するはずの雑草抜きをやらされてるってわけ」
「寝坊の罰に庭の雑草抜き……」
 まるでしかられて拗ねる小学生のように口を尖らせる金子さんの横顔に笑いそうになりながら、長谷川さんのやらせそうなことだな……と納得してしまう。
 それにしたって……。
「ココって、広域暴力団の本家だよね?」
「それがどうかしたのか」
「それで……寝坊したから雑草抜きって、何か違うような気がするのは俺だけ?」
 普通、幹部クラスの人間の言うことを無視(したわけではないとは思うが)したら、普通に根性焼きとかされそうなイメージがある。
 宮村組……というか、長谷川さんのやり方はあまりにも普通すぎていて、全く相手を傷つけない。しかもそれが雑草抜き、とくれば家庭的すぎてヤクザと思えない。
 ヤクザというより、もう養子縁組しまくった大家族みたいな感じだ。
「俺だって寝坊をしたくてしたわけじゃない。けど本来なら、それなりに何かあるんだろ。俺は宮村組以外のやり方を知らないからよくはわからねぇし、まだこの世界に入っていくらも経ってねぇからな。どれがそれらしいかなんてことも、よくわからねぇんだよ。……ただ、長谷川さんは俺みたいな舎弟どもの失敗もそれでチャラにしちまうんだ」
 抗争を好まない組ってのは、こんなものでいいじゃねぇの? と、金子さんは苦笑しながら満更でもないようだった。
 いや、実際良くないと思うけどな……。
「よくそれで膨大な人数の、しかも気性の荒そうな世界の人間を束ねられるよなぁ」
 ボソリと洩れたのは、偏った認識ゆえの単純な感想だった。
 金子さんはからからと笑って、それに答えてくれた。
「俺みたいなペーペーには届かないようなところで、色んな偉い人間が……剛さんに世話になったと言っては頭を下げにくる。それだけ宮村って言うのは人が好くて、そして頭もいい。武力を好まないこの組に、長谷川さんはいい人だったんじゃねぇか?」
「でもヤクザらしさっていうのも、時には必要じゃないの? そんな簡単なことで許してしまえる長谷川さんに、ヤクザなんて務まるのかな」
 そこで俺は先日チンピラに絡まれたときの長谷川さんの対応を思い出した。
 腰抜けと言われても動じないのは、何を言われても揺るがない自信や強さっていうのがあると考えれば、長谷川さんの行動は最善だと言えるのかもしれない。
 金を取られようが、殴られようが、何も起こらなければ、それでいいと思っているのなら、仕方ないのかもしれない。
 頭を冷やして考えてみれば、いくらでも理由は浮かんだ。
 だからといって、単なるチンピラ相手に本家本元のヤクザが腰を引いてまで逃げる必要もないんじゃねぇの?
 いい人ってだけじゃ、どうにもならない世界だってことは重々承知の上であるはずだ。
「……それ、本気で言ってんのか」
 金子さんが俺を見た。その目は鋭く研ぎ澄まされ、いつもからかわれては肩を落とすような三下扱いの若衆の一人だったはずが、思わず喉の奥を引き攣らせてしまうほどの強い感情を孕んだ表情になっていた。
「だって、さ……この前、チンピラに絡まれたとき、相手に何言われても全く抵抗もしないで、明らかに嘘だってわかってんのに、大金渡して帰って来たんだよ? そんなの見せられたら、らしくないって、誰だって思うだろ」
 言い訳がましくも、本当のことを言った。じゃないと、本気で射殺されそうな気がしたからだ。それくらい、金子さんの真面目な表情にはクるものがあった。
 ぶちっと引っこ抜いた雑草は、一瞬走った緊張に力が入りすぎて、草の部分が切れただけだった。
 手の震えを隠しながら、何でもないことのように振舞っていると、金子さんは「何だそんなことか」と納得したように張りつめた空気をすぐにほどいた。
「あの人は俺をいろんな意味で救ってくれた人だ。それを侮辱するってんなら許さねぇと思ったが、そんなことがあったとは知らなかった。……長谷川さんは基本的に怒らない人だ。ただ、にっこり笑って窘める。それが怖いってことを、自覚してるんだろうがな」
「え?」
「つまり、本当に怖いのは、いつも怖い顔をしている奴じゃなくて、いつも笑ってる人間ってことだ。お前が心配しなくても、長谷川さんは立派にこの世界の人間なんだよ。……玄さんでさえ、鬼と呼ぶくらいの人だからな」
 それはあなたにも言えることだと思います。
 お陰で俺は今の数秒間で寿命が五年ほど縮む思いをしました。
 まだ少し速い鼓動を落ち着かせるために軽く息を吐いてから、「鬼?」と眉を顰めた。
「俺も詳しくは知らないけどな、二十年くらい前に何かがあったらしい。それで長谷川さんはその当時のことを知っている者たちの間で『鬼の長谷川』と畏怖されているって話を聞いた。それ以上は教えてもらえなかったん―――」
 唐突に金子さんがちらりと目を俺の頭上に移動させて、言葉を途切れさせた。
 後ろを振り向くと、そこには和服姿の剛さんがいつの間にか立っていて、俺たちを見下ろしていた。
 一瞬反応が遅れたものの、金子さんがバッとその場に立ち上がるのにつられて、ズボンについていた葉を落として立ち上がった。
「おやっさん! どうかなさいましたか」
 さっきまでタメ口をきいていた金子さんは、礼儀正しく背筋を伸ばしながら剛さんに訊いた。
「いや、二人とも暑い中ご苦労。金子、寝坊はいかんぞ? 長谷川も面白いことをさせおるのぉ」
 のほほんと笑って数センチ上の金子さんの額をこつんと皺の刻まれた拳で軽く小突いた剛さんは、相変わらず健康的な体形・姿勢をして、しっかりとした口調で話す。
「以後気をつけます。すいませんでした」
「まぁ、儂にはあまり関係ないことだがな。……大林も何かしたのか?」
 柔和に細められた目が俺に向けられた。スッとほんの一瞬、その目が何かを試すように少しだけ光を帯びて、何もしていないのに背筋に冷たいものが滑り落ちる。
「な、何もしてませんって。金子さんの手伝いをしていただけです。夕飯まで、結構時間があったので」
 金子さんみたいに、がらりと空気が変わったわけじゃないのに、俺だけに向けられる得体の知れない圧力に後ずさりそうになる。
 今更、夏のあの一件のことを責められるとは思えない。
 じゃあ……一体、何?
 暑さとは関係のない汗がこめかみから頬に流れた。
 それがわかっているのかわかっていないのか、金子さんは「そうなんです。庭を散らかして申し訳ありません」と点々と散らばる雑草の小山を見やって、俺の肩を叩いた。
「ほら、片付けるぞ」
「え、あ……うん。じゃあ剛さん、また夕食で」
 会釈をして足元に出来つつあった雑草の山を片手で掴んだ。
「……金子、片付けは悪いが一人でやってくれ。儂は少し、大林に話がある」
「え?」
 屈んだ頭上から思いも寄らない言葉が降ってきて、正直「マジかよ」と思ったがもちろん口には出さなかった。
「あ、どうぞどうぞ! ……ほら、それこっちよこせ。手もちゃんと洗えよ」
 手の中からひょいと雑草を取り上げると、金子さんは小声で「間違ってもタメ口使うなよ」と念を押してきた。
 言われなくても、そんな畏れ多い真似はとてもできたもんじゃない。
 その忠告に無言で頷いてから、歩き出した剛さんの後を早歩きで追いかけた。
 どうやら剛さんは屋敷の奥の方にある縁側から出てきたらしく、ぐるりと表門の前を通って敷地内を半周し、鯉の泳ぐ池がある縁側まで来た。
 剛さんは中に入らず、その縁側の適当な場所に腰を下ろした。
 ついて来たはいいものの、何処に座ったらいいのか、そもそも俺は座っていいのだろうかと考えているうちに、剛さんが「さて」と話し始めたため、結局立ったまま話を聞くことになった。
「色々と、ややこしい立場に立っているようだな、大林は」
「……そう、みたいですね。まぁ、俺の自業自得みたいなところもあるんですけど」
 てっきり夏の話をしているのかと思った俺は、当たり障りなくそう返した。
 すると剛さんは首を振って、そのこともあるがそれだけではない、と言った。
「……他に、俺が何かしました?」
 と形だけ訊いてみるが、実際身に覚えがない俺は首を傾げそうになる。
 訝しげに見ると、剛さんはもう一度首を振ってから不意に俺の目をジッと見て、「長谷川のことだ」と静かに言った。
「長谷川さんの……?」
「そう。チンピラに絡まれたとき、無抵抗だったという話を、偶然聞いてしまったんでな。……この家で今一番お前の身近にいるのは、長谷川だろう。それで少し、話したいと思っておった。……長谷川のことをな」
 少しずつだが確実に、剛さんの口調には重みが増していた。それは、それだけこれから語られようとしていることが重要なことであると、何よりも如実に示していた。
 長谷川さんのこと。
 長谷川さんに対しては、何でヤクザなのに保育士顔負けの柔和な笑顔で、何に対しても丁寧で人が好いのか、ヤクザじゃなくても十分食べていけるような器量が備わっているはずなのに、何故あえてこの世界を選んだのか…としばしば考える。確かに興味は尽きない。
 だからこそ。
 剛さんが言う「長谷川さんのこと」が、興味本位に訊ねられたとしても決して教えないような話だということを教えていた。
 多分、理人も知らないことを。
「俺は、それを知ってもいいんですか」
 深い皺の刻まれた口元は、そうと決めたら決して開くことがないとわかるほど厳格に引き締められていた。また語られるものはそれだけの重みがあるのだと、言外に匂わせている。
「その必要があるから、こうして呼び出したんだろう。ただ……これから話すことを、長谷川以外の前で口にしてはならん。絶対にだ。それを守れるのなら、儂はお前に語ろう」
 まばたき一つせず、剛さんの目は俺の心を見透かすように真っ直ぐ俺だけに向けられていた。ただ、俺の目に注がれていた。
 俺はその視線を、同じようにジッと見返していた。


This continues in the next time.
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