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「……早く言いなさいよ」
「誰も言うなんて言ってねー」
「じゃあいいもん。勝手に想像してあることないこと吹聴して回ってやるから。あんた女関係には結構前科あるもんね。意外と当たるかもー」
「そういうの、キョーハクってんだよ」
「知ってるわよ。だから脅してんじゃない」
「…………」
 いかにも人の不幸をあざ笑っているような笑顔にどうしようもないほどの殺気がこみ上げる。
 だが相手が相手だけに、それがただの脅迫にとどまる筈がないということは容易に想像できた。
 何せ、人目も俺の都合も気にすることなく、教室の外で痴話喧嘩を公言する奴だ。
 解決するどころか、悩みの種を増やしてんじゃねぇか。
 はー……。
「……とある事情で、俺の世話役やってるやつが、昔子供を亡くしてて、その子供が俺と同じ名前で生まれた年も一緒なんだと。抵抗あるはずなのに、何も言わねぇの。しかもそいつが自由に動けないのは俺と一緒にいるからかもしれないって、そいつの……『家族』に言われたんだよ。……なんかあったまきてさ」
 ややこしいことにならないように、適当なところを省いたり誤魔化したりしながら、結局白状した。
 ―――拓海さん。
 俺を呼ぶ、長谷川さんの笑顔が、耳に心地よい穏やかな低音の声とともに蘇る。
 同時に、熱くこみ上げてくるものを飲み込むために、俺は少しの間口を閉じてその衝動に耐えた。奈津が空いた間を繋ぐ。
「……頭きて、結局どうしたの」
「嫌ならそう言えばいいだろ、っつって、逃げてきた。それからはほとんど口もきかないまま」
「ふーん」
 あまりにもあっさりしすぎていたその短い返答に、何かアドバイスでもくれるのかと期待した自分が心底馬鹿だと思った。
「真面目に聞いてんのかお前」
「聞いてる」
 即答した奈津を試すように横目で睨むと、逆に俺を訝しむような表情をしていた。
「何だよ」
「そこまで拓海って慌てるような性格だったっけ、とか思っただけ」
「慌てる……?」
「だってそうじゃん。その、世話役? の人が、拓海に直接「嫌だ」って言ったわけじゃないんでしょ?」
「そりゃそうだけど。普通そういうのは言わないもんだろ」
「そうやって割り切ってんのに、ムカつくんだ?」
「ムカつく。そいつ、やれば出来んのに、俺がいるからって自分のプライドとか普通に捨てんだぞ」
「それも、拓海のせいだってその人が言ったの?」
「いや? けど、そうとしか考えられないから言ってんだよ。何か、ムカつくだろ」
 賛同を求めると、それにも奈津は首を傾げる。
「そぉ? 申し訳ない、とは思うけど、その人に対してムカつくことってあまりないかも。自分のためにプライド捨ててくれるなんて、むしろ感謝しなきゃってくらいに思うのが普通なんじゃない?……っていうか、拓海がそんなにムカつくムカつくって目に見えて怒ることが珍しすぎて、もはや不思議なんですけど」
「……はぁ?」
 別に普通だろ、と言うと、奈津はこれ見よがしに盛大な溜め息を吐いて「相当重症ね」と精神科医のように診断結果を下した。
「ずばり、恋の病ね」
 ………………は。
「今「は」って思ったでしょ」
「思っだ!」
 た、と言い終える前に奈津の手刀が頭の上に飛んできて、舌を噛まない代わりに語尾が濁音になった。
「……ぃってーな!」
 すぐさま奈津の頭を殴り返すと、「暴力反対!」と、同じことを先に仕掛けた事実を棚にあげて嘯いた。
「誰が恋の病だ。寝言は寝て言え。つーかそんな不可解で意味不明なことは寝言でも言うな」
「だってそうとしか考えられないし」
「何を根拠にそんなことが言えんだっての」
 真面目な話をしているのがわかってねぇのかこいつは。
「女の勘、とか言うなよ」
「まぁそれもあるけど。…って何構えてんの」
「往復ビンタでもかませばそのふざけた口を塞げるかと思って」
「真面目に答えてるわよ!」
「なお更悪いわボケっ!」
 とにかく理由を言わせろと煩いため、奈津の馬鹿げた妄想でも少しは暇つぶしになるかと思い直し、そして真面目に白状した自分の間抜けさを呪いながら大人しく耳を傾けることにした。
「相手の人、子供を亡くしてるってことは大人よね。で、その亡くした子供っていうのが拓海と同じ名前。……大切にしたいっていう気持ちは多かれ少なかれきっとあると思う。そして普段の拓海なら、そんなもんか、ってきっと気にも留めなかった。……まぁ、どんな時でも、一歩引いて冷めた目で現実をちゃんと見てるような卑怯な奴だしね」
「……おい」
「本気にならないってこと。相手を欺いている余裕があるのは、本気じゃないって言ってるようなもんじゃない。本気の恋愛に、本気にならないのは卑怯ってもんよ」
 奈津はもぐもぐと口を動かしながら、非難するような目で俺を見た。
 身に覚えのある俺はぐうの音も出ない。
「……それで?」
「怒るって結構単純な感情だと思うの。単純っていうのは、単に短絡的っていうのじゃなくて、素直って意味ね。……それだけ、拓海はその人に対して素直になってる。素直になれるってことは、相手に心を許してるってことでしょ? そして、相手が自分の知らないところで嫌な思いをしている、それが自分のせいなのに言ってくれない。それもムカつく。……隠し事されるのが嫌な証拠じゃん。
 心を許していて、隠し事されるのが嫌で、純粋な好意で以ってただ大切にされることに苛立ちを感じる。頭ではわかっているのに、実際は割り切れない。……どんな意味合いにせよ、拓海はその人のことを好きなんだとしか思えない。相当、入れ込んでるよ。
 自分ひとりで溜め込んでいるから喧嘩にならないだけで、私が順ちゃんと喧嘩するのと、そう変わらないと思うけど?」
「…………」
 思う存分主張した奈津はすっきりした様子で、妙な含みをイントネーションに込めながら、早くも最後の一口を食べ終えた。
 妙に説得力があった奈津の答えに少なからず動揺していたせいもあって、その顔を直視出来なかった。
 ―――俺が、長谷川さんを好き、だって?
 そんなフラグ、一度として立てた覚えはないぞ。
「……はぁ、ありえねー……」
 両膝を立ててその上に腕を乗せ、足の間に頭を垂れていかにも呆れた口調で呟く。
 それは脱力したというわけじゃなく、単純に探るような目で顔を見られたくなかったからだ。
「何で」
「何でって……大体なんでそんなんで好きとかいう感情ばっかり強調されんの。むしろ嫌いって感情を軸にするべきじゃねぇの」
「っかー、それも自覚なし? 気に入らない相手がいくらアタックしても黙殺してばかりで見向きもしなかったくせして。そんだけ悩んでるんなら、まず嫌いってことはないわよ」
 額に手を当てて呆れたように上を向いた後、指に挟んだプラスチックスプーンで奈津はビシッと先の部分を俺に向けた。
「……そうだっけ」
「とぼけるところがさらに怪しい」
 顔を見ないでも、奈津がさっきよりもにやにやしながら感情を推し量ろうと誘導尋問にかけようとしているのがわかる。
 今顔を見られたら、動揺していることが一発でばれる。だから顔を上げないまま、ひたすら足の間に向かって溜め息を垂れ流し続けた。
 ―――だから、離れるのが嫌だっていうのかよ。
 そう思った瞬間、顔に一気に血が上るのを感じた。
 どうして長谷川さんのいい人過ぎる部分に無性に苛ついたのか。
 どうして死んだ子供の影がちらついて、辛い思いをしていることを知ったとき、あんなにも胸が痛かったのか。
 今も、離れるという結論に達したのに、それを受け入れられないのか。
 奈津の「好き」という言葉一つで、なるほど全てが解決してしまう。
 そんな短絡的な解決は出来ればしたくないのだが、他に言い訳があるかと聞かれれば、何も言えないのが正直なところだ。
 いや、ラブじゃなくてライクの方で考えれば別に不自然じゃない気も……っていうか何で長谷川さん相手にすぐさまラブの方で考えるんだ? 理人の奴に毒されたのか? くそ、後で一発殴ってやる。
 俺自身かなり身勝手なこじつけだと思うが、そうでもしなきゃ、この微妙な違和感、もとい動揺は収まってくれそうになかった。
 その動揺の元凶となった言葉をさらりと言ってのけた元彼女は、コンビニの袋にプリンの容器とプラスチックスプーンを投げ入れると、おもむろに立ち上がって伸びをした。
「ん〜……っ。……どう、少しは楽になったでしょ?」
 雲の流れる空を見上げながら、奈津が問いかけてくる。
 余計に悩みが増えました。
 言えばそれこそ最悪の墓穴になりかねないので、それを抜きにして考える。
 色んな意味で揺れ動きはしたが、実際話してみて、奈津の話を聞いた後では、明らかに気持ちに変化があった。
 結果がどうであれ、自分一人でもやもやと考え込んでいた時より、気分はずっとすっきりしている。
 結論も解決策も出ていない。ただ自分以外の視点からの意見によって、自分の中にあるわだかまりの原因が何となく理解できた。
 それだけでも、随分と楽になった気がする。
「そう……だな」
 付き合っていた頃は、異性なんてほとんど変わらないと思っていた。庇護の対象。感情的になりやすく、脆弱な上に単純である、と。
 だが隣に立って空を見上げる一人の女は、ただそれだけというわけではないのだと、初めて思い知る。
 それも、年上の恋人と「本気でぶつかり合い」ながら変わったのだとしたら、俺は少し勿体無いことをしたのかもしれないと思い、苦笑した。
 が。
「ふふ。……せいぜい頑張って、年上の相手ゲットしなさいよ。プレイボーイの本気の恋がどうなるのか、ちゃあんと見届けてあげるから」
 「いい女」になった。
 ただ煩いだけの元彼女だと思っていたが、実はそういうわけでもないらしい。
 ……そう見直した俺が馬鹿だった。
 一言多いところは、昔も今も、変わらないままだ。
「黙れ、ボケ奈津かぼちゃ」
 小学生の頃、そのネタで散々からかわれていたと聞かされたことを思い出した俺は、意趣返しに呟いた。
 すると奈津も負けず劣らず不機嫌そうに顔を顰めて、冷ややかに俺を見下ろしてくる。
「小学生レベルで悪態吐くのやめて下さいー。あんたと恋人同士だったなんて考えたくなくなるわ」
「色んな意味で、それは俺の台詞だ」
 ボソリと呟くと、奈津はそれを無視して「教室に戻る」と言い、ゴミの詰まったレジ袋を拾い上げてその場を後にした。
 誰もいなくなった屋上で、やっと落ち着ける、と俺は目を閉じる。
 好き。
 頭の中を空っぽにして、その一言だけを何も思わずに反芻させると、目蓋の裏に一人涙を流しながら、最愛の人の帰りを待つ母が浮かんだ。
 好き。
 それは動揺以外のものも、俺の中に植えつけた。
 一瞬、言いようのない嫌な感じがして、ざわりと胸が騒いだ。
 ―――何だ?
 その感覚に眉を顰めてあたりを見渡す。風は気持ちいいのに空気は埃っぽく、流れる雲が丁度初秋の日差しを遮っていた。
 すっきりした、というのは確かな感覚には違いない。
 だが。
 奈津の計り知れない部分、そして俺自身でさえほとんど無意識の領域において、思った以上に事態は複雑さを増していた。


This continues in the next time.
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